703 唐突な天啓
※ 間接的に冬山での遭難描写があります。ご注意ください。
まるで唐突な天啓でも得たように、住人たちが集められていた隠れ里の家から飛び出したメガネ。
ほどなく戻ったそのメガネが連れてきた男女は、隠密が暮らすほかの里からやってきた夫婦だったとのことだ。
「面目ないっす……。もう食べ物もないと思って急いできたんすよ……けんども、途中で雪に巻かれちまって……」
「食べ物もできるだけ持ってきたんすよ。でも、もうあんま残ってないんす……」
夫婦は、五十に手が届くかどうかの年代で、暖炉のそばでじんわり解凍されているところだ。
まだ冷たそうに湿っているが、いくらか震えもおさまって今はひたすら面目ねえとしょんぼりとしている。
そのそばではテオがしっかり様子を見、暖炉でいい感じに煮込まれたシチューをお皿にせっせと分けるメガネがことの次第を早口に語った。
「あのね、あれよ。ピーンときたのよ。直感が。あっ、リコはちょっと黙ってて。それでね、急いで行ってみたらね、埋もれてるのよ。人間が。雪に。恐くてぇ、もうやだぁと思ったんだけど、急いで掘り返してみたらまだ元気でぇ、よかったー! と思って連れてきちゃった」
私のツッコミを察したのだろう。
早口で話す最初のほうで抜かりなくこっちに向かってちょっと黙ってと止めながら、たもっちゃんは存分に自分の言いたいことだけを語った。
結果、あまりに内容が薄い。
「たもっちゃん、ふわっふわすぎなのよ」
あとお前、あれじゃろ?
それ直感じゃなくてガン見じゃろ? そんな有能な直感が、貴様に搭載されとる訳がないじゃろ?
ただし急に出て行ったタイミングを思うと、なんでシチュー作る途中でガン見したのか解らんけども。
私はそんな所感を持つが、昨日今日会ったばっかりみたいなメンバーが大半のここではそれは言わないほうがいいような気もする。なけなしの気遣いで空気を読んで、私はぐっと大人になった。
代わりに、お前それで説明になってると思ったら大間違いだからなとメガネを詰めて、詳しい話を聞くことにする。
いわく、たもっちゃんが雪から掘り起こして連れてきた二人はほかの里から食料などの救援物資を背負えるだけ背負って山を越えようと移動中、吹雪にあって遭難していたとのことだ。
激しい雪と風に仕方なく、積もった雪に横穴を掘って二人で避難。三日ほど耐えたところでどうにか天候が回復したと言う。
それで届ける食料や薬の入った荷物を背負い直して歩き出したものの、例年にない積雪で本来のルートを見失ったあげく山道を踏み外してちょっとした高さから二人そろって滑落してしまった。
道や谷を隠すほどの積雪がその時はかえって幸いし、ケガなどの被害は軽く済んだが中高年の悲しみか、夫婦そろって両足をひねりにっちもさっちも行かなくなって雪に埋もれ気味の状態で二日ほど、ガタガタ震えて耐えていたところへメガネが颯爽と現れたそうだ。
この、颯爽と言ったところもメガネが自分で語っていたので本当はどうか解らない。
と言うか雪に埋まって二日もよくがんばってたなと、私の胸では悲しいような引いてるような複雑な気持ちが膨れ上がった。
二日も……二日も寒いところで……と思ったが、その前に三日ほど雪の横穴でビバークしてたので恐らく大変なのはその頃からだ。横穴ではたき火をおこせたとは言うが、四方を雪に囲まれて寒くない訳がないのよ。
そう言えば、彼らの背負った荷物には薬もあったと言っていた。この世界には外傷などがすぐさま治るポーションがあるのだ。
それは使わなかったのかと思ったら、山を滑り落ちた衝撃で荷物がばらけて散乱し、足をやられて動けない二人では探し出すことも拾い集めることもできなかったそうだ。
詰みかたがえぐい。
「よくぞご無事で……」
「こう見えて、鍛えてるっす……」
たもっちゃんが駆け付けてほどほどポーションでほどほどに足も回復し、ひとまずなんとかなった中年夫婦はしきりに恐縮しながらに、けれどもほっとしたようにあたたかいシチューの皿を受け取った。
いやでもやっぱりキャンプ用品などもなく雪山で五日はきついと思うが、隠密だものな。
そう言われるとそうなのだろうかと納得みたいな感覚になった。隠密の響き、なんか大体のことは大丈夫そうなイメージがある。
彼らもきっと、ただの中年夫婦に見えてこれまで大変な修行とかお仕事とかをこなしてきたのに違いない。雪山で二人そろって遭難し、ぐにゃっと両足ひねってるけども。
中高年はほら……ムリが効かないところあるから……。山は油断できないから……。悲しいね……。
そんな気持ちでなんとなく私も一緒になってしんみりしていたのだが、この均衡はそう長くは続かなかった。
ばちばち小さな音を立て、薪をあぶる暖炉の炎がゆらゆらと、あたたかに揺れる明かりを投げ掛ける。
けれども、そうして照らし出される家屋の中を満たすのは、奇妙に静かな寒々しい空気だ。
いや実際に寒くはあるのだが、それは暖炉とレイニー先生の「自分のためですが?」方式の暖房でもう結構あったかい。
ではなにが室内の雰囲気をギスギスとぎこちなくさせているかと言うと、たもっちゃんが中年夫婦の危機を察知し飛び出して、そのついでに隠れ里の片隅で収穫もされず打ち捨てられて雪に埋もれていたものを目ざとく見付けて掘り出してきたもの。
ボウルを二つ合わせたような、と言うかボール状の球体の、硬い殻に守られた僕らの愛する恐怖の実が発端である。
たもっちゃんはいくつも雪から掘り出して勝手に収穫してきたそれを、土間に広げた作業用の敷き布に並べ、とつとつと。ゆっくり静かでありながら、とてつもなく必死に言いつのる。
「アッ……アッ……だから……だからぁ……これ、凄くいいやつでぇ……俺、これ欲しくてぇ……。おいしくするからぁ……いっぱいおいしくするからぁ……お願ぁい……!」
恐怖の実を並べた敷き布に、べたりと頭をくっ付け突っ伏す姿の憐れさよ。
もはや土下座であるかのような、そのメガネのあり様に私は鼻の奥につんと涙の味を覚えた。
どうして……どうしてこんな……どうしてメガネ……。あまりに……あまりにもメガネ……。
――いや、でも、たもっちゃんも最初はもうちょっと勢いがあった。
それこそ見付けてきた恐怖の実を持てるだけ持ち、興奮にはあはあと息を乱して早口でなんか言っていたほどに。
が、周りの、主にこの隠れ里に関連する隠密関係者からの、「こいつは……なにを……?」と言うような静かな、理解しがたい圧倒的狂気を目の当たりにして恐怖を覚えているかのようなドン引きの空気。これが室内いっぱいにあふれ、ひしひしと肌を刺してきた。
いかに空気の読めないメガネといえど、さすがにそれは伝わったらしい。
それでどうにかしなくてはとテンパった結果、どんどん声がもにょもにょしぼんで挙動不審が加速した。
こうなると、我々にできることはなにもない。あったとしても鏡に映した自分を見るみたいな気持ちでメガネに深く同情し、ウッと胸を押さえるくらいのことだ。
かわいそう……。そのアドリブとコミュ力の欠如。たもっちゃん……お前は俺だ……。
地面で土下座気味のメガネ。斜め後ろからその背中を見ながらに、ウッとした顔を両手で押さえてうめき出す私。
我関せずでありながら折れたベッドでころころと一ヶ所に集まりうとうとまどろむ子供たちのそばへと合流し、賄賂の高級焼き菓子に続いて焼き立てのホットケーキにバターをじゅわじゅわ言わせたものをどんどん消す勢いで絶え間なく口へと運ぶレイニー。
喉からゴルゴル低い音を響かせて、その横取りを試みる金ちゃんに、じゅげむが「きんちゃん、まって。今もらうから。まってね。くれるからね」と押しとどめ、アッアッとコミュニケーション不全の海であっぷあっぷしているメガネに近付きぽそぽそと背中を叩いて金ちゃんのためにおやつをねだる。優しい。
もっと離れた所では「兄者、これは……?」とうかがう声や、「つま! あれ、我も!」とキャンキャン咆えて騒ぐのが聞こえ、現場はもはや混沌である。
そんな中、勇気をしぼり出し、それか深い憐れみで、おずおずとビートが進み出す。
「でも……兄さん、それ、普通の恐怖の実じゃないんす。ちょっと煮たらねばねばになって、でも煮る時間が短いと芯が固いし、しゃーなしで粉にしたのを練って焼いてももちゃっとしてパンにならないし……。家畜の餌か、ほかの食いもんとか普通の恐怖の実がなくなってどうしようもない時のもんっす」
「餅粉だぁ。それ、餅粉のそれだぁ」
ものの解らぬよそ者をたしなめるビート。
けれどもメガネはその説明に、俺が求めてたのはそれですうとさらにふえふえとした。




