702 隠れ里
ビートによれば、ここは捨てられた里だった。
ならば彼らはもうすでに一度、見捨てられた人たちなのだ。
そのよる辺なさを、――大人は特に、絶望のように骨身にしみて理解せざるを得なかった。
だから希望なんてとっくになくて、けれどもせめて子供だけはと。
少しでも冬の冷たさから逃げられるように、ベッドを譲って自分たちは凍えて耐えた。
雪と飢えに閉じ込められた家屋の中にあったのは、そう言うものに思われた。
多分だが。
多分だけどもそうとしか思えず、私は泣いた。
そして普通に泣いたはずなのに、なんかだいぶ変な声が出た。
「あばあー!」
目と鼻と口からそれぞれなんらかの液体とダミ声がこぼれちゃう。
「あかん! 助かろ! みんなで助かろ! 子供も大人もごはん食べてあったまったらええんや! たもっちゃあん!」
「はいはい」
こんな時は便利なメガネだとうぐうぐあばば言ってる私に全力で頼られ、たもっちゃんは落ち着いて、そこだけ見ると冷静にてきぱきと対処した。
「マット出しましょ。ベッドマット。草の蔓のやつ。ベッド本体はちょっとないんだけど、下に板とか敷いたら何とかなるやろ」
ただし実際目をやると全然冷静って訳でもなくて、顔面はだいぶ私に近く「あばあ」みたいになっていた。わかる。なる。あばあってなる。わかる。
たもっちゃんがどこからともなく草のつたを蒸したり煮たりしたものをうまいこと整え乾かし固めたベッドマットを取り出して、あわてているのと重たいのとでふらふらしてるとさっと集まり軽々と助けてくれる者がある。
テオや筋肉ウサギの兄弟たちだ。
これまであまりにも静かだった彼らは、この異世界の常識と知性によって「隠れ里って、やばいやつちゃう?」と察してしまい、ビートが走って現れてやいのやいのと言っているのを聞いてからずっとドン引きのおもむきでいたのだ。
そのために開き切った心の距離が現実の距離にも出てしまい、ついさっきまで同じ屋内にいながらに遠巻きな感じをかもしていたほどだった。
まあ、解る。隠密の、さらに隠された里はなんとなくやばい。
ビートやこの隠れ里にいる住人たちが隠密関係であることまではまだバレていないはずだが、常識人の本能が警鐘を鳴らしたりしているのかも知れない。常識人は石橋を定期的な強度検査を経たのちにしかるべき行政組織の認可を得た上でしか渡ろうとしないものなのだ。えらい。
だから関わるべきではないと頭では理解しながらに、それでも目の前に広がる窮状に、そんなことを言っている場合ではないと思い切ってくれたのだろう。
たもっちゃんがぽいぽいと出すベッドマットや厚めの毛布を受け取って、テオやウサギの兄弟たちはきびきび働きあっと言う間に寝床を整え、大人たちは冷えた土からひょいと運んでその上へ。
最初からベッドにいた子供らのほうにも、毛布を追加し白い毛玉の小動物をそっと紛れ込ませたりしてとにかくあたたかくさせていた。
「我ね、我の毛皮いいやつだから! 特別にちょっとだけなでさせてあげる!」
見慣れぬ獣にはわわとしている子供らに、熱源として期待されている毛玉本人も割とご満悦の様子だ。
そうして矮小なる我々人間があわただしくばたついているさなか、バキバキと結構な破壊音がした。
金ちゃんである。
冬対策でただの毛皮を全身にぐるぐる巻き付けられて謎のイエティと化した金ちゃんが、隠密の里の子供らが最初から乗っていたベッドにどっこらせと腰掛け、その干し草で満たした箱型のベッドをど真ん中からちょうどV字にへし折っていた。金ちゃん……金ちゃん、筋肉で重いから……。
しかし、金ちゃんは強く鷹揚なトロールである。
なのでベッドが二つ折りの様相をていし、四本の脚がみしみしきしんで悲鳴を上げつつ金ちゃんがどっかり腰掛けた位置へとどんどん傾いていようとも、そんな些末なことは全く一切気にしない。
現に、たもっちゃんがせっせと煮込んだドロドロのおかゆを誰よりも大きな茶碗でぐびぐび飲んで、「薄い」みたいなキリッといかめしい顔をしている。
反省はない。なにを反省すべきなのかも気にしていない。
これぞ金ちゃんなのである。
その金ちゃんの周りには、ベッドのいちじるしい傾きによって毛布にくるまった子供らがころんころんと集まっていた。
そしてなにやらこわごわと、しかし同時に「あ、あったかい」などと小声で言い合い巻き付けた毛皮でふさふさとしている金ちゃんの体にぴとっと密着し暖を取る。隠密の子供、適応力が高い。
その光景に、私の胸には感心するみたいな、でもやっぱりおどろきが一番にまざった気持ちがわき起こる。
「金ちゃんの吸引力よ……」
なんか知らんが子供にウケる、そしてまた金ちゃんも子供に大らかであることのありがたみ。
金ちゃんはただそこに座って追加の食べ物を要求しているだけなのに、まるで全てを受け入れるかのようなたたずまいがある。
すでにおかゆを食べ終えて一旦お腹が満ちた子供らの中には、もはや金ちゃんにすりすりくっ付きうとうとと眠そうにしている子さえいた。なんとなく助かる。
そのまま寝かせてあげたいような、しかしふと、雪山で寝そうな仲間をたたき起こす登山家の叫びが頭の中にこだましてなんか心配になったのでちょっと待ってと一回起こし、体にいい草を煎じたものを子供と言う子供にぐびぐび飲ませるなどしておいた。
隠れ里の子供は七歳にも満たないような幼児から、十代前半とおぼしき年頃の六人。
私もだいぶ追い詰められた里の状況にまだ動揺してたのと、子供らが金ちゃんと毛布とフェネさんに囲まれ混然一体としていたことでだいぶなにも解らなくなってしまったようだ。眠そうな子供らにぐびぐびお茶を飲ませる途中、顔をよく見たらじゅげむだった。
……いや、隠れ里の子供にもちゃんとお茶を配っていたのだが、いつの間にかなんかまざってた。間違えましたね。まあ……体にはいいから……。
子供のあとから大人にも一通りお茶を飲ませて毛布でぐるぐる巻き直し、やっと周りに目をやる余裕ができたのはそれから。
知ったのは、このタイミングでのことだ。
いつでもなににも加担しないレイニーが一人、土間になった室内の壁際に位置する石と泥でできている暖炉のそばに陣取って暖炉の熱と見せ掛けてあったかい空気をかもし出し室温をじんわり上げていたことをだ。
あまりにも静か。さながら、オイルヒーターのようなさりげなさだった。
お陰で、薄着でいられると言うほどではなかったが、上着や毛布をかぶっていれば凍えずに済むくらいにはあたたかい。
普段はとてもそうは見えないながら天界出身であるために地上の命には関わらない縛りを持ったレイニーは、やたらと表情をキリッとさせて「わたくしはただここにいるだけでちょっと寒いので自分のために魔法を使っているだけですが?」みたいな顔である。
そうか。自分のためなのか。
じゃあなにも問題ないな。
だからこれはそれとはなんの関係ないのだが、なんだかアイテムボックスに大事にしまった取って置きの王都の高級焼き菓子を急にレイニーにあげたくなってしまいましたね。
うっかりしててちょっと手持ちが少ないけれど、こう言った時の賄賂には特にいいやつを出さねばならぬ。
こうして一旦どうにかお腹と室温が落ち着いて、炊き出し第二陣として大森林で筋肉ウサギの兄弟たちが仕留めてくれたシカ肉を野菜と一緒にほろほろに煮込みシチューを作ろうとしていたメガネが、その完成を目前にふと、大きな鍋を火に掛けた泥と石の暖炉の前で不意にすっくと立ち上がって言った。
「俺、何かちょっと行かなきゃ」
たもっちゃんは運命の声を聞いたかのように、そして鍋を暖炉の火に掛けたまま焦げないように見てて欲しいと信頼のテオに託して家を、隠れ里を、飛び出して行った。
で、二十分くらいで戻ってきたら、なんか寒さでガチガチに震えて服やら荷物やら、そして髪やらヒゲやらに固まった雪をこびり付かせた男女二人組を拾って戻った。
その、冷たく湿ってお腹を空かせた憐れげなキューンとしたあり様に、つい。
「たもっちゃん、元の場所に……」
「リコ、子供が捨て犬拾ってきたみたいなそのネタは今は本当に洒落にならない」
お約束のような軽い気持ちなのだろう。解るよ。しかし、仮に動物だとしても捨てられた場所に戻すのはそもそもどうなのか。
たもっちゃんはそんな、マジレスの真顔で首を振って見せた。すいませんでした。




