690 大森林は忙しい
秋の大森林は忙しい。
いや、大森林はいつでもあるがままそこに存在しているだけだ。
ただ、その豊かな実りと冬を前に丸々と肉を蓄えた魔獣がおいしいことを知ってしまった人間が、口の中をだくだくにさせヒャッハーと浮かれ騒ぐのを抑え切れないだけである。
秋だ秋だ大森林だと豊富な草やらなにやらにすっかりはあはあと目が眩み、ペース配分を考えず張り切り早々に体力を使い果たした我々は、最近だらだらと夏休みをすごしたばかりのエルフの里へとおジャマして気を使ったエルフらのガイドや庇護のもと尽きた体力を振りしぼりよぼよぼと大森林の実りを集めた。
危険の多い大森林で落ち着きのない我々を引率させた申し訳なさからエルフへのお礼に美意識高いエルフのぶんの保湿クリームをねりねりと煮たり、希望者をつのって厳重な迷子防止の障壁で包んだドアを利用してローバストへのラーメンツアーを企画したりもする。
このラーメンツアーは希望者が多く、何回かに分けて実施されるほどの人気を博した。ラーメン漬けで最高だった。
保湿クリームに関しては素材集めの大部分をエルフに手伝ってもらってしまっているのでお礼になっているか不安だが、彼らも準備万端にクリームの元になる木の実などの素材をそろえてむんむんとした熱意を持って見守っていたので少なくとも迷惑ではなかったと思う。
ついでにアイテムボックスに備蓄した保湿ジェルになる異世界ヘチマの種もふやかしぐるぐると過剰にかきまぜたものをそのまま、もしくは薄めて化粧水としたものをスプレーボトルに充填して行くお仕事にも手を広げた。忙しかった。
また、そうしてすごすある日には大森林の手乗りチワワサイズの大きめのアリと遭遇したエルフが急いで我々に知らせてくれて、黒糖と言う名の文明にものを言わせて今年も無事に物々交換を行うことができた。
さあ出せ。もっと出せ。その糖のかたまりを。と強く催促するように我々の足に体当たりの勢いで頭突きして、一見ゴミかなんかと見せ掛けてギルドに持ち込むとまあまあ高値の素材を吐き出してくるキミたちのこと、好きだよ僕は。
今年の物々交換はエルフの大人たちによるガチガチのガードのもと参加したエルフの里の子供らやじゅげむのほうにもアリのきのこが出たらしく、せっかくだからと子供たちを中心にエルフの万能薬製作教室が開かれた。
大人がそろえた材料を一つ一つ説明されて、子供にはそれらの材料を大鍋にぽいぽい放り込む作業が任される。大体は大人がカバーしていたが、子供らもうんうん懸命に魔力を込めて鍋をかきまぜ万能薬を仕上げて行った。
恐らく大人だけで作ったほうが手間がなく早いのだろうが、彼らが今作っているのは薬ではなく人材なのだ。あとなんとなく、この一連のお教室の感じがエルフの庇護下で保湿クリームを練ってる時の私に対する空気と似ている。不思議だね。ばぶう。
途中途中で塾のためじゅげむの送り迎えに王都のアーダルベルト公爵家へと足を運ぶメガネからちょいちょいとした我々の近況が公爵の耳に流出したり、それで「呪い……」とドン引きされたり、またウロボロス焼きと言う冷静に考えてみると訳の解らない名前の新しいお菓子が出てきたと知って「君達は忙しいね」と当たり障りないコメントをいただくなどした。
そうこうする内、秋の終わりがやってきた。
もうちょっとラーメン。の気持ちが抑え切れずにドアのスキルでこそっと戻ったローバストで渡ノ月をやりすごし、若干の体重増加と共に冬を迎える。
こちらがお世話になっている側だから決して強要はできないけれど全力でなんだってやってやる。望みをなんなりと言うたらよろし。と覚悟ガンギマリの姿勢で皇国組の宿屋のおかみに保湿クリームを要求されて、手持ちの中からローバストの各所に強靭保湿シリーズを配ってお歳暮とした。
おかみ、スキンケアへの情熱なのか圧は強めでありながらだいぶ気を使ってくれていて、なんか欲しいものはないのか。なんかして欲しいことはないのか。さあ言え、すぐ言え、とだいぶ聞かれて最後のほうにはなんでもいいからとりあえず言えとだいぶ逆ギレになってきてじわじわちょっとおもしろかった。
そうして渡ノ月と二ノ月の頭をローバストでいくらかすごし、我々は再び大森林へ。
秋には収穫シーズンで込み合う、溶岩池近くの露天温泉の様子を見るためだ。
「親分! 親分! これ、ミルクっす!」
「ミルクです!」
「お触りは危険です! お触りは危険です!」
「ご遠慮くださぁい!」
大体先週くらいまでまだすごしやすい秋だった森は、すっかり冬の冷え込みを見せた。
そこをセーターや厚手の上着で防備して、金ぴかの巨大なサルである親分に取ってはお椀程度の扱いのでっかいボウルや冷えた牛乳を捧げ持った我々が、わーっと温泉目掛けて駆けて行くのを温泉周辺に常駐している冒険者ギルドの職員がだいぶ必死にタックルして止めた。
冬の大森林温泉へ、敬愛する金ぴかサルの親分へご機嫌うかがいにやってきたのだ。
ちなみに先走るあまり体育会系の隠密みたいになっているのははあはあした私で、それに釣られてはあはあ言って走るのはじゅげむだ。
あらあら転ばないようにねえ、などとおっとりと見守る空気で男子らやレイニーなども後ろから付いてきてはいるのだが、わあわあと張り切り走る私やじゅげむの姿だけでとりあえずやべえやつがきたとギルド職員は一気に緊張を走らせた。
しかし、大森林の溶岩池のほど近く、土の魔法でどーんと作った露天風呂の警備に当たる五人ほどのチームの中に我々を知っている人間がいたようだ。
「……なんだ。あんたらか」
少し遅れてそう気が付いて、なにやら「話は聞いてる」と、魔道具だろうか。魔力で光る小さめの障壁で守られた荷物のほうへ一旦離れ、ごそごそとしてすぐに戻った。
その手には筒状に丸まった書類。
開くと、ブラッシングで採集したグランツファーデン――金ぴかの巨大なサルである親分の抜け毛を、親分および親分が愛してやまない露天風呂の保護および整備費用としてギルドに納めるとお役所的に整えた内容だった。
私はそれに、なるほどとうなずく。
「前もなんかあったなこう言うの」
グランツファーデンは金ぴかの美しい毛が高級な素材となるサルで、しかしその特性から狩るのではなく手厚く保護されるべきめずらしい魔獣だ。
それとは関係なく我々は敬愛をよせてしまっているが、なんか温泉でゆっくりしてるサル。そんなの好きでしょ人類は。
ギルドも普段から親分がくつろいだあとのお湯にただよう金ぴかの毛を回収し、貴重な素材を得ているそうだがやはりブラッシングでごっそり取れると収穫がおいしい。
このことからなんか知らんが親分にブラッシングを許された数少ない人類である我々も特例として、親分親分! あー親分! と親分専用と化して普段は規制されている露天風呂への接近をお目こぼしいただけることになった。助かる。あと、ぐいぐい行きすぎる我々の敬愛を大らかに受け止める親分。大好き。
我々が親分をちやほや囲んでいる間にしれっと一緒に温泉につかった金ちゃんからも冷えたミルクを要求されるなどしつつ、親分の広すぎる背中に念入りにブラシを掛けてもっさりと抜け毛を回収。こんなこともあろうかと完全に我々の行動を読み切った大森林の間際の町の冒険者ギルドが事前に用意した書類にサインし毛と一緒に納めた。
なぜだろう、決していい意味ではない我々の理解者が増えて行く。
そうする内に体が冷えて、温泉のふちに腰掛けて足湯。からの、お湯が湯舟にひたひたなので結局ズボンがびしょ濡れになりここまでくるともう変わらないのではないかと服を着たままずるずると結局全身で湯舟につかる。
しょうがない。これはもうしょうがない。
冬の温泉、しかもサルと一緒。
最高ではないのだろうかとしみじみゆっくりしていると、なんか人数が増えていた。
「ご無沙汰じゃないっすか。ひどいっす。秋にはくるかと思ってたのに、ひどいっす」
なんだかんだで寒さに勝てず温泉につかりふええと溶ける我々にまざり、冷えたミルクをくいっとやるのは大森林の薬売りだった。
なんかいた。びっくりした。雪山の怪談くらいナチュラルに増えてた。
植物性の笠と荷物をぽいっと置いて湯につかりもう見た感じ薬売りなのかなんなのか解らなくなっているその人物は、ミルクの入ったコップがあるのと逆の手にウロボロス焼きをしっかり持って湯気でふやけちゃうと急いでばくばくと食べていた。
そのどちらもひどいひどいと責められながらにねだられて我々が提供したものではあったが、これだけが楽しみでやってんす! などと言われるとちょっと悪い気はしなかった。
冷えたミルクを渡しただけの、私ですらそうなのだ。
ウロボロス焼きの監修に加え、これまで数々の料理やお菓子を製作してきたメガネとなると、肩までつかった湯舟のお湯をざぶざぶさせて「えー? そーぉ?」と、まんざらでもなく体をぐねぐねさせていた。うれしそう。だいぶ転がされている。




