689 ただただ面倒な中年の
確かに、養蜂が軌道に乗って安定的にハチミツの収穫が見込めれば、経費の点でも有益だろう。
ハチミツはお菓子に加工するのはもちろんのこと、そのまま売っても稼ぎになるのだ。身勝手な人間に蹂躙されるミツバチ以外はにっこにこ。罪深い。
ただ養蜂てそんな簡単にできるのかなとチラっと思う部分はあるが、神殿の大人たちもなんだかそわそわと「これで子供にいいところを……」などとぼそぼそ話し合っていたので、簡単かどうかはあんまり問題ではないのかも知れない。
あれよ。少しでも経費の節約と見せ掛け、あわよくば子供らから尊敬と信頼をよせられたい。みたいな、淡い夢のもとに神官たちが不器用に覚悟を決めているように思われてならない。
発想がもうあれ……影が薄くて普段あんまり家庭で存在感のないお父さん……。泣いちゃう……。
子供との距離感、難しいよね。解る。
私もいまだにクレブリの思春期からよく叱られたりしている。解る……。
神殿の大人にはなんとなく深すぎる同情から体にいい草のお茶を出し、子供らにはお菓子ばっかり食べさせていると言う危機感によりやはり体にいいお茶を大変うざがられながらに押し付ける。
そうこうしつつ私も試作のウロボロス焼きを何種類かいただいて、正直どれも甘くておいしいが子供にウケるならハチミツに決めてはどうかと特には内容のない意見を出したりする内にそのまま夕食へとなだれ込んだ。
別にお腹が空いている訳でもないのに、当然のように普通に用意される夕食。力強い。
先に甘いものを食べてしまったが、この場には食べれる時に食べれるだけ食べとくと言うたくましい精神と胃袋を持った精鋭しかいない。
神官も意外に食い詰めてこの道に入ったみたいな人もいて、イケおじだけが不安げに胃の辺りをさするなどしていた。
たもっちゃんとしてはもうちょっと新しい弟子的な子供に構ってもらいどやどやと匠風を吹かせたかったようだが、マーガはしかし優秀だった。
だいぶ早めにウロボロス焼きのコツと道具の使いかたをマスターし、厨房の神官の手を借りてではあるものの次の日にはあんこと生地の仕込みから焼き上げるところまで全然そつなくこなして見せた。
たもっちゃんは泣いた。
弟子の成長に感涙――ではなく、もっとちやほや頼られたかったと本当によくない感じで泣いた。
「じゃーね……俺らこれから大森林行くから……当面の材料は置いて行くけど、大森林でも蜂蜜とか探してみるから……またくるから……ねぇ、ホントに残って手伝ったりしなくて大丈夫? いたほうがよくない? 俺。もっと頼ってくれていいのよ?」
「大丈夫。全然。心配いらない」
「この弟子ちょっとドライ過ぎない……?」
秋である。
いやもう秋なのは知っていたのだが、一応のつもりで受けにきたお祓いのついでに色々と手を広げ、新年である一ノ月に入って数日を溶かしてしまった。
それでそろそろ秋の大森林へお仕事に行きますと宣言し、全然普通に送り出されそうになっているところだ。
そして逆にもっと引き留めてとメガネだけが勝手に寂しがっている。
マーガは有能な弟子なので「ご指導ありがとうございました」的なお礼はちゃんと言ってくれていたのだが、たもっちゃんとしてはまだ一人では不安ですと一回訴えてもらってからお前はもう一人で羽ばたける力があるさとか言ってみたかったらしい。
ただただ面倒な中年の遊び。
これをドライに回避したマーガは、やはり有能であると言うほかにない。
女の子って……女の子ってこうなの……?
悲しみと戸惑いを隠しきれないメガネのことを神殿の神官たちがそっと背中を支えたりして憐れんで、ほかの子供や私はそれをおっさんたちがなんか言ってるとだいぶひとごととして遠巻きに眺めた。おっさんたちがなんか言ってる。
めそめそと寂しがるメガネの両脇をレイニーと私でがっしり支え、あやつり人形の要領で歩かせたり街の外でどこからともなく船を出して飛んだりフェネさんの本体が祀られているマーモット村へと戻って神殿でもらってきた試作のウロボロス焼きを自称神とその氏子らに配ったりしてから自称神の洞窟に設置した自立式ドアを「さ、たもっちゃん。お仕事ですよ」と誘導しスキルで開かせるなどしてどうにかこうにか大森林の間際の町へと移動した。ぐにゃぐにゃのメガネを操縦するのが大変だった。
大森林へ入るため冒険者ギルドから年一回義務付けられている講習はすでに先日受けているので、そのままギルドへ申請し大森林の入り口へ。
ここまでくると豊かな大森林、そして大森林に里を持つエルフの気配にメガネも元気になってきて、なにしてんの? さっさと行くよ! と手の平を返した。こう言うところが本当にメガネ。
実りの季節であることと有能すぎてあんまり構わせてくれない弟子のことがやはり気になるメガネのガン見で一方的に約束してきたハチミツは、割合すぐに収穫することができた。レイニーが何者をも通さず張った障壁の中から、巣を壊されて怒り心頭のミツバチにはちゃめちゃ追い掛けられているメガネを見守るだけのお仕事だった。
それで、俺はもう油断なんかしない! とキリッと言い張ったメガネが大森林側に軽率に出した自立式ドアを念入りな障壁でガッチガチに包み、不用意な迷子の防止措置を施した上でハチミツを届ける名目でイケおじ神殿へと直接顔を出してみた。これさえあれば歓迎してもらえるはずとメガネは語った。
これがお祓いののち大森林へとお出掛けし、三、四日ほどした頃である。
我々も、この時点ではまあまあまあ、言うてもね。そんな日にち経ってないですからね。マーガもなんぼ有能っちゅうてもウロボロス焼きの練習とかしとるくらいやろ。
みたいな油断がまだあった。
そしたらさ、聞いて。
地方のさびれた神殿で、すでにウロボロス焼きの密売が始まってました。
「どうして……」
「最初は信者の老婦人が始まりだった……」
こそこそと辺りをうかがい礼拝堂の片隅に足を運ぶ信者たち。そこにある奥へ続く扉から、こっそりと受け渡される謎の包み。なにやらあんこのにおいがするような気がする。
そんな姿を連続して見せ付けられて、ほとんどぼう然とするようにつぶやくメガネのすぐそばにどこからともなくイケおじが現れ急になんか説明を始めた。
「祈りにきたらおいしそうな匂いがすると老婦人に問い詰められ、見習いの者が神殿で新しく菓子を売り出すと教えてしまった。まだ先の話だと説明したが聞き入れられず、内密に、少しだけの約束で譲ったところ……その婦人がここだけの話として知人や隣近所に広めてしまった様で……」
それで自分にだけ打ち明けられた秘密のお菓子を神殿に求め、妙にこそこそとした客たちがどうか特別に譲って欲しいと訪れるようになったのだと言う。
「あぁ……それは……もう全然秘密じゃないやつ……」
「あなただけに特別のレア感が余計に……」
我々もだいぶ戸惑っていたが、イケおじ神殿長のバスティアン様も話しながらによく解らなくなってきたようで「秘密とは……」と心情を複雑に揺らし胸を押さえる。
ほの暗い神殿の片隅で細く開いたドアを介して代金と商品をささっとやり取りしている絵面がどう見てもなんらかの密売現場でしかないのだが、売上は結構いいらしい。
まさかちょっと何日か離れているすきに、こんなことになるとは。本当にどうしての気持ちしかない。
しかし、こうなってしまえば余計にハチミツもっといるやろと大森林のおみやげとして渡したところ、移動が速いとの素直な感想としてのツッコミを受けた。気持ちは解る。
あと、ハチミツもやはり普通に買うと値が張るものなので、ハチミツを使ったものは限定販売とすること。それで通常のウロボロス焼きはより手軽に買ってもらえるように、やはり黒糖を使うことに決めたと言う。
確かに黒糖には独特の風味があるが、手軽と言ってもコストは掛かる。入れられるのはほのかな甘みを楽しむ程度で、それでも甘味に縁遠い庶民は歓迎してくれているようだ。
そんな話をしながらに、ふと、バスティアン様が思い出したふうに言う。
「あぁ、そうだ。沢山ではないけれど、マーガが、売り上げから幾らか謝礼を用意しているから受け取って欲しい。置いて行ってくれた材料や道具も寄付と言って貰っていたが、甘え過ぎだと気にしていて」
「またそうやって俺は用済み感出すぅ……」
お金で線引きして他人感出すう、とメガネはもはや逆にいちゃもんのような嘆きかたをしたが、この神殿でのウロボロス焼き販売は経営が苦しい地方神殿を救済するビジネスケースとしてじわじわと広がり、またイケおじもごりごりに交渉してくれたらしく中央神殿から年一で謝礼が振り込まれることになる。




