679 危機管理能力
ラーメン屋の店舗を焦がしまあまあの騒ぎとなった、完全なる店側の過失によるボヤ騒ぎ。お騒がせしてます。
この、世間で言えばそんなにめずらしくはないものの当事者にするとまあまあの事件によってこれまでの不満が顕在化。
大森林の間際の町の町内会から「いつかこうなると思ってた」的な苦情をばちばちにぶつけられ、店主たるミオドラグは打ちのめされていた。
でも解る。
日常的にひやっとする事案があったのに、それを放置していた危機管理能力。エルフが細かく消火してはいたらしいけども。
そして実際に失火を許した言い訳のしようもない過失。これはご近所としても看過できるものではないだろう。
あと、トンコツスープを長時間煮込む過程で発生するパンチ強めのよくないにおいに関しては、もう本当に店の場所を町の中から移すくらいしか打つ手がないそうだ。
困る。
と、栗の茶巾しぼり的なものを大量に仕込みながらに我々はしんみりとそんな話をし、うなずき、これはもうしょうがないかも知れないね……と、野営の夜は寂しくふけた。
で、いやいやいや! と、強めの異議が申し立てられたのは、翌日。
なにも知らずにバイト先であるラーメン屋へと出勤し、ボヤ騒ぎからの流れるような改修でさらに惨憺たるあり様になった店舗の様子にぼう然としていたところへ近所の人から大体の事情と我々が町の外の原っぱで野営しているの聞かされて、あわててやってきた製麺エルフたちからだ。
「あるだろう? そんなの! 特定の臭気だけ打ち消す魔法とか!」
なぜか必死な空気さえにじませて、たもっちゃんにぐいぐい迫り訴えるエルフ。
――と言うかバイトの若手にくっ付いて店で飲もうとやってきた、エルフの里の長老の一人。くせっ毛をイケメン風のショートカットに整えたエルフ界の小池さんなのだが。
エルフは長命で青年期が長い。だから実年齢はまた別として少なくとも外見は壮年の頃をいくらかすぎた程度のその人の、思わず取り乱したと言うような強めの指摘にうちのメガネが声を出す。
「あっ」
マジで盲点。みたいな感じの響きがすごい。
私は、おどろくと同時にマジかよと引いた。
「嘘だろメガネ」
えっ、あんの? そんな、今回の問題にあまりにもシンデレラフィットする都合のいい魔法が?
だとしたらなぜ、もっと早い段階で検討していただけなかったのか。こう、なんと言うか、ご近所や町内会のうるさ型との関係に緊張が走る今のようになる前に。
「お前あれやんけ。トンコツのにおいはどうしようもないて言うとったやんけ」
「リコ、人は誰しも間違えるものなの。これはもうしょうがないの。そんなガラの悪い責め方しちゃ駄目。萎縮しちゃう。俺が。萎縮しちゃって可哀想。俺が」
「ええ……」
さすがにそれは忘れるにもほどがあるのではないかと思ったことをちょっと言っただけなのに、たもっちゃんはこんな時だけやたらとキリッと間髪入れず逆にこっちが悪いくらいの返しを見せる。困惑。
「大体ね、俺、ふわっと魔法使えますけども。最近じゃない? 使えるようになったの。そりゃね、ありますよ。ちょうどいい魔法をちょうどいい場面でぱっと思い出せない事も。だって、元々よその人間だもの」
「たもっちゃん、まあ解るよ。自分の痛々しい過失をすぐには認められない気持ち。解る。どうにかなかったことにして深い穴とかに埋めたいよな。黒歴史とか。でもね、見て。開き直る前に一回マジで謝って。私じゃなくてミオドラグに。もう、あれよ。あいつこれまでの常連客と地盤捨てる覚悟で店の移転まで検討してんだぞ。人家のない森とかに」
野営地とした町の外の原っぱで昨日に引き続き詫び菓子折りの製作にいそしむ我々の、誰よりもしょんぼりと、誰よりもせっせと手を動かして、大きな鍋で栗の実と砂糖などの材料をもりもりまぜる一番力のいる作業に従事していたミオドラグは今、明らかにショックを受けていた。
彼は、あまりの事態に従者のクンツがおろおろと心配そうに自分のほうを見るのにも気付かず、エルフとメガネの先ほどの会話に信じられないと言った様子で両目を見開き固まったままだ。
なぜだろう。なんかくさいものをかいでしまって信じがたいみたいな顔になったネコさんの、背後に無限の宇宙が広がっている時のやつみたいなおもむきがある。
けれど、ムリもない。
昨日のボヤ騒ぎもそうだが、平素から前兆はあったのだ。こんなことになる前に恐らく、もっと深刻に受け取って対策を取ることもできたはず。増してや、魔法があるのなら。
たもっちゃんはミオドラグの「本当に……?」と問い掛けるかのような視線に対し、どこまでもキリッとした顔で言った。
「それはほんとごめん」
いや、びっくりしちゃったよね。においの魔法。そりゃ金ちゃんの首輪に付与してあるようなすごいにおいをかもしだす魔法があるんなら、においを消す魔法があってもおかしくはないよね。なるほどね。
罪悪感が逆にそうさせるのだろうか。
そんな感じでつらつらとメガネは、素直に謝っているようでいて大部分がただの言い訳を長々と並べた。
この態度はさすがに目にあまったらしく、ミオドラグが大きな鍋でもりもりとまぜた栗のあれを清潔な布できゅっとしたやつをお皿代わりの葉っぱに並べてうまいこと包む作業を手伝ってくれていたじゅげむから「ぼく、たもつおじさんがよくないとおもう」と大変重みのあるお言葉が飛び出た。
とてもわかる。
この、色々と兆候はあったのにヘーキヘーキでインシデントを黙殺し全体的に大体みんなよくなかった感じの一件はしかし、最後の辺りで「トンコツの臭気でご近所トラブルになるのはラーメン屋の宿命」みたいなざっくり誤った説を提唱したメガネに批判が集中して終わった。
終わったと言うかラーメン屋の店舗はミオドラグが店を始める時に居抜きで買い取ったものであり、常連客も付いている。
そのことから移転はなかなか困難なこと。
火災防止を目的とする対策に関しては常連客を中心とした職人のおっさんたちが張り切って、そしてすでに破壊に酷似した改装がぬるっと始められていること。
加えて、それが完了すれば厨房も防火仕様に生まれ変わる予定だ。
さらには近所に苦痛を振りまいていたらしいトンコツスープの仕込みに伴う長時間に渡る臭気被害の問題についても、魔法に適性の高いエルフらが特定のにおいを打ち消す魔法的なものをラーメン屋仕様に練り上げて、店内及び煙突に巡らせ精霊一匹通さない完璧な包囲網を敷いて対策を取ると請け負う。
それで、ひとまずはこれらのことをきっちりやれば大丈夫だろうと言う結論に着地していた。あんまり関係ないのだが、精霊の数えかたはそれでいいのか。
もちろん、すでに苦情を訴えているご近所や町内会へは謝罪とていねいな説明が必要になる。
加えて、まあ、対策すれば大丈夫か。と大体の感じで話がまとまるまでに一人責められ追い詰められたメガネが「何よ! 自分達だって何も考えてなくて実際トラブルになってからやいやい言ってるだけの癖に!」などと叫んで意外と的を射た逆ギレを見せ、ダッと走って家出しそうになったりはしたのだが、これはエルフたちがはっとして「タモツ! どこへ!」と声を上げると背中を向けたままぴたりと止まり「……もうちょっと、もう一声」と引き留めのおかわりを欲しがってこちらが心配する前に戻ってきたので、なんか全然平気そうだった。
こうして苦い思いと共に深い反省を胸へと刻み、同時にざっくりとした解決策が提案からの採用。
改築に詳しいプロのドワーフと魔法に詳しいプロのエルフが本能のレベルで反目しながらも、ドワーフでもエルフでもない職人と「わたしがっ! わたしが全部悪いから……!」と涙目のラーメン屋が間に入ってそれもこれもラーメンのためだと根気強く説得。どうにかこうにか火災とにおい対策に特化した店舗の改築に着手した。
こうなると、我々はマジでできるお仕事がない。
ご近所や町内会に菓子折り持ってお詫びとご挨拶に行くミオドラグに付き添ったあとは、本当にヒマになってしまった。
時間ができて当初の目的であった冒険者ギルドの大森林講習を受けられたのでそれはそれでいいのだが、頼られないのもちょっと寂しい。
そんなことを悲しげに、渡ノ月をすごすついでに話を聞いてもらいにやってきた公爵家。その豪華な居間で切々と語るのは主に、エルフにいいとこを見せたいメガネだ。
「俺ね、もっとエルフに頼られたいんす」
「うーん。全く何も解らないけど……大変だったね?」
アーダルベルト公爵の合いの手も、もはやだいぶ大体の感じ。




