678 ぐだぐだの安全
閉店後のラーメン屋で起こったボヤ騒ぎ。
全然大丈夫じゃないものをヨシとしてきたぐだぐだの安全体制の、やっぱり全然大丈夫じゃなかった結果として引き起こされたこの事故は、いつものように予告なくただ遊びにきたメガネによって消し止められた。よかった。危ないところだった。
お陰で、天井と壁、そして厨房に面したカウンターの一部を消し炭にした程度で済んだ。
逆に言うと結構焼け焦げているのだが、ダメージは店内だけで建物自体に問題はなんとか出なかったようだ。
むしろ、いやむしろと言うか。焦げているので仕方ない気もするのだが、こだわりの強いドワーフを主要なメンバーとした職人たちの集まりが火災によって受けたダメージを補修するべく素早く入り、この際ついでにあれもこれもと手を広げめきめきに壁や天井をはがし、厨房に面したカウンターをぶった切り、煙突も元々あったものでは火力に対して小さすぎると建物の外に回って隣家とのタイトなすき間に筋肉多めのわがままボディをねじ込んだりとそれぞれがやりたい放題に動き回った、その結果。火災そのもののダメージよりもあくまでも補修の準備段階の破損部分の撤去と職人たちが前から気に入らなかった部分を取り除きすぎて、もはやリフォームを通り越した解体作業のおもむきとなった。
そこへやってきたのが、恐らくヒマとフットワークの軽さを持て余す町内会のご老人たちだ。
「いつかこうなると思ってましたよ! ええ、あたしはね!」
口々に言い立てる町内会のご老人たちには、だいぶ張り切った勢いがあった。元気の秘訣はなんなのか聞きたい。
「らーめんなんて訳の解らないものを持ち込んで! 毎日毎日ならず者でいっぱいじゃありませんか!」
「そうさそうさ! 行列だって迷惑だったし、においの苦情だって出てたんだから!」
季節はそろそろ秋に近いが、夏である。
まだ日差しは厳しくて、そのため大森林の間際の町に目を光らせる老人たちはしっかりかぶった麦わら帽子をクイックイッと直しながらにわあわあミオドラグを責め立てた。
その集中砲火を一身に浴びるミオドラグは、まだどこかぼんやりとしていた。
我々の問い掛けには答えるが、それもふわふわとしていて全然ショックから立ち直っておらず、補修と言う名の破壊の限りを尽くされている自分の店のすぐ前で道端に座り込み「はわあー」と放心状態でいたのだ。
そこをぎゃんぎゃんに詰められて、ミオドラグはそのぼんやりとした見た感じとは裏腹に内心ではかなりのパニック状態にも思われた。
あるよね。パニックが加速しすぎて顔面とリアクションがなんか処理落ちしちゃう時。わかる。
ただ心の中は外から見えないものなので、周りにはノーリアクションのガン無視に思われてしまう。よくない。相手にも自分にも。本当によくない。
悲しみと、致命的な誤解を生み出してしまう。はちゃめちゃに解るよ……。
ご老人たちにやいやい囲まれ文句を言われ、それでも「はわあ」としたまま反応の鈍いミオドラグ。それにうるさ型のご老人らが腹を立てさらにうるさくなるのだが、その悪循環に思わず深い同情をいだく。
悪気だけはないのだが悪気がなければ大丈夫でもないこの感じ。とても他人とは思えない。
よってたかって責め立てられるミオドラグの姿に、これが泣きっ面にハチ。みたいな気持ちになっていたのだが、しかし。
やいやいずっと言い続けているご老人たちの言いぶんをよくよく聞いてると、なんか。
あれもこれも今初めて言われた訳ではなくて、前から似たような苦情は言われてきたのではないかとうっすらとした疑念が浮かぶ。
「ねえ、苦情きてんの? いつから? ずっと?」
そうなってくるとちょっと話が違うぞと、私は道端にうずくまるミオドラグの丸い体を見下ろした。
それを今までほっといたんか?
なんでや? と、店の経営にもご近所付き合いにも素人の私が、つい批判的な色を含んで問い詰めてしまうそのすぐそば。
補修だか破壊だか解らない勢いでどんどん焦げた建材が引きはがされる店舗の様子を一緒になって「わー……」と見ていたうちのメガネが、流れ弾でも食らったように急にウッと自分の胃の辺りを押さえた。
「行列は……行列の苦情は……キャパがないのにお客が増え過ぎた飲食店にありがちなやつ……スタッフによる行列の整理と近隣住民に対する丁寧な説明と理解が必要になってくる……難しいやつ……」
たもっちゃんは黒ぶちメガネの奥にある両目と眉毛をぎゅっとして、あまりにも暗澹としたものをかもし出す。そしてぶつぶつもごもごと、早口になにやら延々と口走っていた。
どうした。
地球ではお店やってたみたいな話も聞いてるし、お前もなんかあったんか。
と、まあこんな感じで我々は町内会のご老人たちにド正論で揉まれた。
なんか解らんけど、これ多分こっちが悪いんとちゃう? そんな正しめの所感をさすがに我々もいだく。
また、町内の安寧を守るご老人らの話によると、申請や許可と言うほどキッチリしたものではないものの、建築物は新築する時だけでなく補修や改造も町などに一応話を通してからでないといけなかったらしい。
そりゃ……ありますもんね……。騒音とか、粉塵とかね。工事関係者の出入りも増える訳ですし。それはね。なるほどね。
これはマジでそうと言う納得しかないし、その観点からもしっかりとお叱りを受けることになる。
これはこの町で周知の決まりだった様子で、わーっと集まりわーっと勝手に作業を始めた常連客の職人の、町内会の老人らからならず者扱いされていたおっさんたちも破壊に近い作業の手を止め、なんとなく気まずげにもじもじとしていた。工具や建材を手に手に駆け付けてくれていた、職人のおっさんたちはどう見てもその道のプロなので多分本当にダメだった。
――なぜだろう。
これまでもなにも言われなかった訳ではなくてただなんとなくぬるっとスルーされてきたいくつもの問題が、この機に押しよせ吹き出すかに似たこの感じ。
さすがの私も思いましたね。
問題はまだ大ごとになる前の小さな内に、小まめに潰して行かないといけないんだなと。
問題を問題とすら認識できず、毎度毎度こじれにこじれさせている我々が言うのもあれですが。
なお、普段から苦情がよせられていると言うにおいについての問題はとんこつ系ラーメンの店の宿命で、本当にどうしようもないらしい。
ただ普通に暮らしたい近隣住民と、本能のレベルで抗いがたいトンコツのスープ。
両者、どうしても譲れないぶつかり合いである。
町を巻き込んでどろどろのいさかいが巻き起こるかに思われたこの件は、本当の本気で心底ガチギレているご老人たちの剣幕に基本腰が引けているミオドラグにより「あっ、すいませんでした」と深々とした謝罪がなされて今日のところはひとまず決着となった。
根本的な問題がなに一つ解決されていないので、多分また改めてガチギレし直されるのだろう。
そうして、大森林の間際の町の秩序を守る町内会メンバーからの襲撃を受け、しばらく。
我々は間際の町のすぐ外のだだっ広い原っぱで、夏の夕暮れが刻一刻と薄暗く閉ざす視界に抗いせっせと栗を茹で、ゆで上がる端から真っ二つに割り、スプーンでもって中身をちまちまとえぐり出し、ボウルや鍋に集めたそれに砂糖なんかを適切にまぜて栗の茶巾しぼり的なものを大量に作ろうとしている。
作業員はいつもの我々に、ミオドラグとその従者クンツだ。
金ちゃんとフェネさんは一部が焦げて常連のおっさんたちにより破壊が進んだラーメン屋の中から発掘された大鍋から発見されたチャーシューをそれぞれ丸々一個ずつもらい、どこから噛り付こうかとそわそわ顔を迷わせて大事そうに食べることに忙しい。なんだかとてもうれしそうだった。
かく言う我々人間もあとでチャーシューをいただけることになっていて、私やレイニーやじゅげむまでもがやたらとキリッとした顔で真剣に作業に取り組んでいる。もう今からわくわくしてしまう。楽しみ。
そんな、今にも日が暮れようかと言う屋外の、町の中ですらない原っぱで、テーブルや道具をぽいぽい出した我々がもはや若干追い詰められたような勢いで茶巾しぼりづくりにいそしむのには理由があった。
そう、ボヤ騒ぎからのこれまでのご迷惑に対する隣近所への詫び菓子折りの製作である。
謝罪は疾くなさねばならぬ。
それがご近所トラブルで、さらには百で責任がこちらにある場合は特に。
当事者であるミオドラグなどはもうすっかり怯え自信をなくし、「店を移転させるしか……」などと涙を浮かべてメガネから、ものすごく雑でものすごく同情いっぱいに「それよね……」と何度もうなずき賛同を得ていた。




