673 えぐめの戦闘
※ (トロールによる)暴力描写あり。
先んじたのは変異種トロールのボスだった。
さらに大きく、さらにいかめしく鎧のように進化した体で、めいいっぱいの気迫をぶわりと吐き出し咆える。
ガル、と耳をつんざく怒号と共に、瞬間的に圧縮された空気の壁が周囲に広がり近くから遠くへ。見えない膜となってばたばたと、あらゆるものをなぎ倒すようになでて行く。
その圧を最初に、そして正面からまともに食らったのは金ちゃんだ。
たまらず体勢が崩れたところへ、厚く、それでいて鋭い爪を持つ、皮膚そのものもごつごつと岩のように変化したボスの腕が振り下ろされた。
その音は。衝撃は。
どっ――と、辺りを震わせる。
人から見れば充分に大きな。
けれども特殊進化した変異種のトロールに比べれば、小柄な。
ノーマルトロールの金ちゃんが、目の前にいるかつての仲間だったトロールたちのだまし討ちで切られた。そして恐らく奴隷になるまでの段階で人間によって再びつなげられた隻腕で、ダマスカスの斧をすらりとななめに切り上げたのだ。
金ちゃんはボスの咆哮で、たたらを踏んで体勢を崩していたように見えた。
それをうまく利用したのか、最初からあえてだったのか。
転がるように身を屈めた姿勢から、無造作に、それでいて素早く振るった斧はぬるりと軽く、変異種ボスの岩のようにごつごつ重げな手首を切った。
切られた当人の足元に、どすりと重たく手首が落ちる。傷口からは遅れてびしゃりと血らしき液体があふれ出た。
痛みに対する条件反射で声を上げ、ボスがあわてて飛びずさる。
考えてのことではないだろう。
そうするのが本能であるように、金ちゃんが敵が後ろへ下がったぶんだけぐっと足を踏み入れる。今度は力加減を間違わず、吹っ飛ぶことなくうまくやる。
一歩踏み込み取り戻した間合いで、ぶおん、と横一文字に振るう斧。その切っ先が触れたかどうか。
木目のような細かな模様がきらめき浮かぶ刃の先が、スッと通りすぎてから少し遅れてボスの顔に切れ目が入り血が吹き出した。
ギャ、と踏まれたネコみたいな声を上げ、よろめくボスに金ちゃんが手にした斧を振り上げて――ふと。
くしゃっといかつく顔面をしかめた金ちゃんが、ダマスカスの斧をしげしげ見てからぽいっと軽く投げ捨てた。
力を入れた様子でもないのに、結構遠い所までふっ飛んで行くダマスカスのいい斧。
そしてダマスカスのいい斧が落下した辺りで、地面や岩がドカドカ砕けるのが見えた。どうして。
「金ちゃんそれいらないにしてもちゃんと私に返して欲しー……!」
私としては自分の所有している斧を貸しているつもりだったので、ついついそんな細かい悲鳴がこぼれ出た。
多分、そんな場合ではない。血と暴力の応酬。金ちゃんがえぐめの戦闘をしている。
いや……でもやっぱ捨てないで。ホント、普通に返して。斧。それ。いいやつ。斧。
我々は自分たちだけ完璧に安全を確保して、今はエルフが張ってくれている障壁の中から因縁のトロール対決を観戦の構えだ。
そしてその同じ障壁内部では、たもっちゃんやエルフの流れ弾で心に傷を負いすぎている男子らによって構成され金ちゃん全面バックアップチームが「まずい」「まずい」とひそひそ言い合う。
「やべぇ。金ちゃんが武器捨てちゃった。あれって、あれ? 切った感触がいつもと違って手応えないのが気に入らない感じ?」
「支援魔法が強力過ぎたか……?」
「気合が入ってしまったからな……」
「あの頑強な変異種の腕が、ああも簡単に落ちてはな……」
たもっちゃんの誰にともない問い掛けに、エルフらが小さな声で意見を交わす。
どうやらエルフ、あと多分メガネ。さっきの失敗を教訓に金ちゃんの足には心持ち弱めに、代わりに上半身を重点的にまたもや支援魔法をぶちかましていたらしい。
「自重よ」
「だって金ちゃん負けたり怪我したら嫌だから……」
「それは解る……」
それはそう……。
たもっちゃんと私は、金ちゃんは元気じゃないとねとなんだかしみじみうなずき合った。
そのそばでは支援魔法の加減についてひそひそ話し合うエルフにまざり、自称神たる白い毛玉をくっ付けたテオが剣士としての意見を述べている。
「刃物はよく切れるに越した事はないが、切れ過ぎると少々戸惑う。おれも、プディングを切る様な手応えでは不安だ」
金ちゃんがさっきしっくりこないみたいな顔でお気に入りの斧を捨てたのは斧そのものの切れ味が変わったとかではなくてエルフによる多重的な支援魔法の効果が荒ぶって通常よりも腕力が増強されていたのが要因のような気がするが、テオは切れすぎる刃物への見解として「少しくらいは骨まで断った感触が欲しい」と、あるあるみたいなテンションで物騒なことを言っていた。骨て。
一方、トロールたちの戦いはまだ終わっていなかった。
片腕の手首から先を失って、顔にも真新しい傷を作った変異種のボス。
これは特殊進化の影響でノーマルトロールに輪を掛けた巨躯へと変異していだが、その体はもうすでに金ちゃんが重たく打った蹴りにより背中から地面に倒されたあとだ。
今はもう、馬乗りになった金ちゃんの黄金の右でなすがまま、ぼこぼこにされるばかりである。そらもう。全然休みなくめためたよ。
我々が出会うずっと前、一度切り落とされた両腕の片方だけをどうにか取り戻したらしき金ちゃんの、右腕が重たく振るわれるたびそのむきむきとした腕から背中に掛けた筋肉に魔力らしき青白い光がパチパチとまたたく。
支援魔法の影響だろうか?
だとしたら、そのぶん打撃の威力は増している。
金ちゃんのくり出す攻撃はあくまでもシンプルな打撃でありながら、変異種ボスの意識はもはやあるかどうかも怪しいほどだ。
はっとした。
やっと、その一方的な光景に。
私たちはこれから、少なくとも、このままただ見ていたら。深い恨みに振り回された金ちゃんが、かつての仲間を暴力に任せて殺すのを目の当たりにすることになる。
復讐とは、きっとそう言うことだ。
そして今、何度も何度も振り下ろされる金ちゃんのこぶしは復讐のためのものだった。
そのことがやっと、実感のように胸に広がった。
動揺する。
いや、そもそも、あいつらが悪い。それも事実だ。金ちゃんは居場所を追われ、死ねとばかりに腕を落とされ放り出された。大森林の中でだ。生きのびたのは運だろう。
これを許す理由はない。
だけど、今、もう勝負は付いている。変異種のボスはぐたりと倒れ、もう自分の意志では指の一本も動かない。
もしもこのまま一方的に、金ちゃんがかつての仲間から命を奪ったら――その姿を見てしまったら、我々は今までと同じでいられるだろうか。
道義や倫理と言うには身勝手な、強い不安に私は揺れた。
ガウ、と小さくうなる声が聞こえてきたのはそんなさなかのことだった。
ガウ、ガウと何度も何度もくり返し、そして支援魔法でガチガチに保護された金ちゃんの頭に、肩に、背中に、足に。
人の頭ほどもありそうな石が、いくつもいくつもドカドカと当たる。
そうしたのは子供たちだった。
トロールの、大人ほどではないけれど特殊進化の兆候の見られる、決して小さいとは言えないながらどこかあどけなさを残す数人の子供たちだった。
彼らはぼろぼろと泣いていた。
少し距離のある所から。それでもほかの大人たちより前に出て。ツノやキバを持った異形の顔で、ぼろぼろ流れる涙にも構わず懸命に威嚇し石をいくつも投げている。
我々は困惑した。その雄弁な姿にだ。
「俺、精霊いなくても何言ってるか解るわ……」
「私も。あれ絶対、とーちゃんいじめるな! つって泣いてるよね……わかる……」
これにはテオやエルフたちもこくこくとうなずき、なんとあの、人の心など解らないただの虚無であるレイニーにすら「わたくしもそう思います」と言わしめた。
ただ一人、いや一人と言うか自称神たる一柱のフェネさんだけが「敵はさっさと息の根止めないとダメよ!」と、キャンキャン言って声援を贈る。自然界の鉄則である。
金ちゃんは、どう思ったのだろうか。
彼はトロールの子供らを見詰めると、フンッと勢いよく鼻から息を吐いて敵から離れた。そして倒れたボスの片足をつかみ、なぜかこちらへ向かって引きずって運ぶ。
岩や木の根でぼこぼこの地面にボスの頭がぶつかり弾み、どんどんダメージを負ってるがそんな細かいことは気にしないのだ。




