672 理不尽な過去
広大な大森林の真ん中で、やはりこれもサイズ感が全然おかしい巨大穴。
もはやだいぶ深めで広めであるために、まあまあの規模の渓谷に近い。
我々は今、その底に落ちていた。
地下空間の天井部分が崩落し地上に現れた巨大な穴は、端から端へ。内部を真っ直ぐ移動するだけで、かなりの時間を浪費する。
変異種トロールがちょっとツラ貸せと崖の上にいた我々を、地盤ごと落として穴の底へと呼んだのは少し前のことである。
そのため我々がメガネの張った障壁に避難すると言う格好で、安全を確保している場所は落ちてきた崖にほど近い位置だ。
金ちゃんはそこから、諸事情あって図らずも、しかし自力で吹っ飛んで我々がいる位置から真逆の崖へと激突した。
遠い。
あっちとこっち。見るからにとても。
これは金ちゃんが走って戻ってくるまでに、どれくらい時間が掛かるか解らない。
と、懸念したのかどうかは知らないが、たもっちゃんが誰より早く「あぁ~!」と嘆くような声を上げ、一人あわてて障壁を抜け出し魔法で飛んで金ちゃんを回収しに行った。
その心の動きはよく解らない。
不遇な過去が明らかになった金ちゃんへの同情で、不義密通許さじと義憤に燃えたエルフらがこねにこねた支援魔法を多重的に容赦なく浴びせていたために金ちゃんが平素と違う高出力を持て余しシンプルに自分の脚力で吹っ飛んでしまった失態を、エルフさんに恥をかかせる訳には行かないと自主的にフォローに回ったのだろうか。
ありそうな気はする。ものすごく。
それとも、たもっちゃんも金ちゃんの身に起こった理不尽な過去にいくらか触れて、宿敵に借りを返すには今しかないと、そのためには戦いを続けさせるしかないと考えたのか。
これは私の所感だが、そんなまともな思考回路がメガネにあるかどうかは大いに疑問だ。
とにかく、金ちゃんは若干かすんで見えるほど遠く離れた逆サイドまで吹っ飛んで、そこからメガネに引っつかまれて堂々と空を飛んで戻った。
金ちゃんを連れてと言うよりは逆に、たもっちゃんが金ちゃんの背中におぶさるような格好だったし金ちゃんもなぜか、ものすごくキリッとした顔で直立不動の仁王立ち。そのままメガネの魔法によって空を飛ぶ姿は、一番かっこいいポーズで固定されている調合金の非可動フィギュアが空中輸送されてるみたいだった。
それはいい。
金ちゃんはなる早で回収したい。解る。
ただ、これは私もそうなってから思いいたったことではあるが、我々の安全を確保していた障壁は今回、メガネが張ったものだった。
だからさ、ありましたよね。
金ちゃんが戻ってくるまでに、我々を守ってくれていた障壁が消失しちゃってた瞬間が。
そして変異種トロールの群れを間近に、ノーガードになってしまう恐ろしい事態が。人生がちょっと終わった思った。
これは真顔のエルフがすぐさま障壁を張り直してことなきを得たが、あれ多分、なんも考えずメガネが離れたせいだった気がする。
恐らく離れることを想定しなんらかの対策を取ってれば障壁が消えたりはしなかったっぽいが、金ちゃんをあわてて回収に向かったためになんも考えてなかったのが致命的な要因だったと推測される。
いやメガネ。なにごともなくて本当によかったが、マジメガネ。
私は動揺と恐さから、金ちゃんを連れて戻ったメガネにキレた。
「たもっちゃんさあー!」
「ごめんごめん。俺が障壁張ってたの忘れてたわマジで」
「嘘でしょ軽薄……」
もっと気に病んでいいのよメガネ。
安全な場所からひとごととして暴力を眺めていたはずだったのに、不意に安全がなくなったこの恐怖。解るか? こわ。そんなの観戦どころじゃないですよもはや。
うっかり観戦とか言っちゃってるし自分たちだけ安全な場所で見てる感じが人間性に深刻な問題を感じるが、おどろくべきことにこれはなにからなにまでただの事実だ。
恐ろしい。誰だよ。私です。
この話、これ以上掘り下げるのやめよっか……などと、たもっちゃんのうかつさを責めていたつもりが自分もなかなかひどかったのを思い出し、なかったことにしようと試みる私。人とはなんとおろかなものか。主語を大きくして私のひどさを薄めたい。
そうして我々、特におろかなる人類がムダな時間をすごす一方、宿命のトロールたちはすでにぬるっと再会を果たしている。
某メガネの凡ミスでうかつにうっかり消滅させてエルフが張り直した障壁の外で、メガネによって輸送されてきた金ちゃんはとうっと気合を入れるみたいにその手から離れた。
そして穴の底にたまった砕けた岩盤やはびこる草木で決して平坦ではない地面へと、ズダンッと重たく着地した。安定感はすごかった。
金ちゃんはそして、手にした斧をぐるりぐるりと回しながらにゆったりと、変異種トロールのボスへに向かって再び真正面から対峙したのだ。
周囲に、ピリピリとした緊張が走る。
トロールの男らがグルグルと、獰猛に喉を鳴らすのは互いの戦意を測ってのことか。
戦いが今、改めて再び始まろうとしている。
そのことに私は、正直ちょっと引いていた。
いやいや、金ちゃんさっき自分で勝手に吹っ飛んでそのせいで戻ってくるまでに十分やそこらのタイムロスあったじゃん。私、なんとなく解ってますよ。調合金ロボみたいな感じでキリッと空輸されながら、ちょっと気まずそうだった金ちゃんのこと。
変異種トロールのボス側も、まだなんもしてない内に勝手に吹っ飛んで行った宿敵に「ええ……なにあれ……」みたいな感じだったのに、目の前に金ちゃんが戻ってきてからあわてて急にキリッとした顔作ってたじゃないですか?
なんなん。トロール。
金ちゃんが戻ってくるまでに結構ぼーっとしちゃってたじゃない。ヒマすぎてこっちにオラオラ絡んでくるかなと身構えてたのに、全然おとなしく待ってたじゃない。
なぜ我々がシカトされたのかはっきりとは解らないながら、我が陣営にエルフがいっぱいいたことで変異種トロールもさすがに警戒したのかも知れない。
意外とそんな空気の読みかたを垣間見せておきながら、なんでそんな今さら一生懸命ケンカ再開しようとすんの……。
「ええ……なんなん……トロール……。もう今日は解散でよくない?」
金ちゃんの身に起こった理不尽を思えば全然よくはないのだが、なんなら私もさっきまでドンドコと一緒にがんがんに燃やした松明持ってウッホウッホと声援の形で参加してやろうかくらいの気持ちでいたのだが、今となってはもはやこのぐだぐだの空気。時機を逃したような気がする。
よくない? また後日ってこととかで。
しかし、この私のだいぶ飽きてきた進言は誰にも支持してもらえなかった。
いや、なんでもいいから早く帰りたいレイニーが「そうですね。わたくしもそう思います」と凛々しくうなずいてくれてはいたのだが、本当になんでもよさそうだったので数に入れてはいけないかと思った。
対して、男たちはエキサイトしていた。
当事者たるトロールたちだけでなく、私と同じ障壁の中に避難したメガネやテオやエルフらですら。
「男には……男には譲れぬ一戦がある」
「妻と地位を奪われて、黙ってなどいられるか」
「せめて一太刀」
「助力は惜しまん」
「金ちゃん、俺は応援してるからぁー!」
障壁の中でただ一人、「もーかえろーよー」と語り掛ける私の声は金ちゃんに届かず、男らの暗く、重く、そして妙に熱のこもった低いさざめきに埋もれた。
なにが彼らを駆り立てるのか。
と思ったけど多分同情だった。
実感がにじみすぎなのよ。当事者の立場に立って一緒に傷付いているみたいな同情の。
男たちは元妻トロールの裏切りに泣いた。
こいつらにそう言うジャンルの薄い本でも渡したら、自我が崩壊するのではないかとふと思う。薄い本、あまりにも深い業である。よく考えたら普通に商業作品にもあるけど。
そんな、勝手に飽きたり同情したりと忙しく揺れる我々の前で、宿命の敵であるトロールたちはにらみ合う。
特殊進化のあるなしで外見からして歴然とした差があるが、それでも種族を同じくする男らの間にもはや言葉は存在しない。
両者の間には燃え上がる闘志しかないような、ただ単純にトロールのうなり声を人間に通じる言語に変えて通訳していた精霊が、エルフの捧げた花の蜜がなくなったのとうるさいだけで似たような悪口しか言わないトロールに飽きて解散したのが原因の気もする。
ほら。飽きんのよ。精霊ですら。自由な精霊だからこそさっさと帰った感じもするが。
しかし、あいつらマジでトロールのどろどろとした因縁と罵詈雑言を無邪気にきゃっきゃと伝えただけで帰ったな……。なんなん……精霊てもっとピュアなもんかと思ってた……びっくりしたから何回でも同じこと言っちゃう……。なんなん……。




