650 冷却とポーションと反省と
いやあ、あれはよくなかった。
完全に暑さと渇きでふらっふらになっていたので、とにかく水分補給だと思った。
でもほら。人間には耐熱温度と言うものがある。うっかり浴びせたのは体にいいお茶ではあるものの、沸かした直後にアイテムボックスにほかほかとしまった熱いお茶は本当によくない。シンプルに熱湯。
この、アクシデントと呼ぶにはあまりにも私のせいすぎる事態はしかし、まぎれもない事故の予感に鋭敏に、たもっちゃんが「火傷ぉー!」と必死に叫び急いで水の魔法で冷やしてすぐにほどほどのポーションを振り掛けことでなきを得た。
反省は本当にしている。
あわてるあまりにどうかしてたし、前もこんな感じでやらかしたことがあった気がする。反省だけはしている。本当に。
こうして、まず夏の山の洗礼でだいぶフラッフラになっていたところへどうかしている私によってとどめを刺され掛けた客。
これを落ち着いてよく見れば、まだ十代とおぼしき少年だった。
背格好はもう大人に近く、それだけならば青年とでも言ったほうが正しいのかも知れない。
けれどもどこかあどけなく、迷いなく大人と呼ぶには若すぎた。
彼は、徹底的な冷却とポーションと反省と共に氷をぶち込んだ体にいいお茶により、少しずつ体調を持ち直してきていた。
だが回復とまでは行かないのだろう。
まだ意識朦朧とした様子で、しかし果たすべき目的があるのだと必死に。少年は事情と個人情報をぼろぼろと語った。
「剣が、剣がいるんだ。村をおそう奴らと戦うために。許さない。家畜も物も盗んで。盗賊のくせに。今じゃ、村の守り代だなんて言って我が物顔で村の奴らに食い物や酒までたかるんだ。うちは父ちゃんがいないから、オレが母ちゃんを守らなきゃ。剣がいる。あいつらをやっつけるんだ」
我々が拠点として持ち運ぶエルフの古民家の囲炉裏の横で、休ませたふとんの上から少年は「行かなきゃ」とずるずる這い出そうとしている。
その口からつらつらと、心の中身をぶちまけるみたいにこぼれてくるのは憎しみのにじんた言葉ばかりだ。
我々は思った。
「あっ、これダメなやつだ」
――と。
そんで思っただけじゃなく、ちょっと声にも出ちゃいましたね。ごめんね。
でもなんか、大事な人を守ろうと剣を取った少年がうまいこと才能に目覚める系と見せ掛けてやっぱそううまくは行かなくて絶望だけが待ってそうな感じがしたので……。そう言うパターンもありがちなので……。
彼も、決死の覚悟だったのだろう。
少年は体調をやられているだけでなく、見た感じもぼろぼろだ。ここへたどり着くまでの、道のりや苦労がしのばれる。
まあそれはそれとして、なんとなくダメな感じに変わりはないのだが。
これはアカンぞとドン引きの、完全なる部外者である我々に苦難にも折れない強い決意を否定された少年。かわいそう。もっと人の気持ちを考えて欲しい。我々のことだが。
しかもそれだけでなく、少しのち。
彼は、本来の目的であったいい剣を作るドワーフからも拒絶されてしまった。
「剣は道具だ。どんなに丹精込めてもな。まず腕がなくっちゃ話にならねぇ。おめぇに見合う実力があるか? ねぇだろう。剣はそう都合のいい道具じゃねぇんだ。刃は、敵だけでなく己にも向きやがる。剣さえあればだ? ふざけんな」
ドワーフの鍛冶屋は武器を扱う職人としてのプライドか、「餓鬼を死地にやる剣を打つつもりはねぇ」と、幼すぎる蛮勇を許さず、厳しく少年をたしなめた。
そうするだけの、力もなにも持たない子供が思い詰める事情も解らなくはない。
けれどもそれはただの無謀だ。
考えなしの子供をぴしゃりと叱るドワーフは、大人の責任を果たしたと言える。えらい。
工房での鍛冶仕事に区切りを付けていそいそと、今日の昼メシはなんだと言いつつ古民家のほうへやってきてカツならぬヤジスフライをこれでもかと盛り付けたカレーの皿とスプーンを両手に持っているのでさえなければ、しみじみとすごくいい話だった。
上等の武器を手に入れてなんやかんやがんばって悪い盗賊をやっつける完璧な計画の、まあまあ最初の最初辺りで大人に希望をくじかれた少年。
それでもなお「やだやだドワーフの剣を手に入れてなんかうまいこと戦うんだ!」とあきらめ悪くごね続け、カツ的なカレーをおかわりしてはその白米とカレーにのっかっているのがこの世界ではゲテモノのようなニュアンスがちょっとだけだいぶあるヤジスのフライだと知って「これが? えっ、これが?」とカルチャーショックに打ちのめされていた頃である。
村を飛び出した少年を案じ、あとを追ってきた美少女がいた。
嘘だ。
残念なことに、この無謀な少年には都合よく自分を気に掛けて優しくしてくれるかわいい幼馴染などはいないらしい。その点においても主人公属性が足りないと言えた。
では誰がきたのかと言うと、お母さんである。
そのご婦人は背丈は小柄でありながら、ぎゅっと丸々しい体付きを持っていた。
そしてその、弾丸めいたぱつぱつの体でドスドスと。
イノシシのような勢いで森の木々をかき分けて現れ、カレーにまみれたヤジスフライを「これが……?」と、いまだ神妙に熱っぽく見詰める息子を認めると迷いなくばちこんと平手で頭を思い切りはたいた。
「あんたは! もー! 剣なんか触ったこともないのに盗賊殺せる訳がないでしょ! 薪割りもロクにできないくせに!」
そしてこの容赦ない罵倒。
我々は、たもっちゃんと私は、まあまあ近くで全部見てカーチャンの強さに圧倒された。
「はっきり言った」
「お母さん全部すごいはっきり言った」
思わず口々に言い合いながら、なんだかパチパチ拍手してしまったほどである。
こうして、なにかせねば、自分が守らねばと暴走しがちな若者はカーチャンによって回収され――るかと思ったら、息子の無事を確認し気が抜けてしまったのだろうか。
丸く小柄なご婦人は、ふうっとよろめきその場に崩れ落ちてしまった。
あかん。
なんかこれ多分、心労やんけ。
あわててエルフの古民家の縁側のほうから上がってもらい、冷やしたお茶とレイニーの空調で無謀な思春期の息子を持ったご婦人の気力体力の回復をはかる。
お腹もすいてるかも知れないとカレーはどうかと勧めてみたが、そこまで世話になる訳にはと遠慮された。
この点については本当に遠慮なのか見慣れない料理が恐すぎるのか判断に迷うが、この辺りで急にぐいぐいと距離を詰めたのはなぜかドワーフの鍛冶屋。シグムンドだった。
「なに、ちょいとばかり変わっちゃいるが、味は悪くねぇ。試してみな。ふもとの村からこんなとこまでセガレを探してきたんだろ。へとへとのはずだ。ちったぁ自分の体も労わってやんな」
シグムンドはぶっきらぼうに、けれどもしっかりとご婦人を気遣っていた。
なんかちょっと苦み走った感じ出すじゃん。
私はこれを「ほーん、ええこと言うやんけ」みたいな気持ちで見ていたのだが、あとになって思えば、ええこと言うてるだけにしてはやたらとドワーフのおっさんがそわそわしすぎていたかも知れない。
そんな細かいことには気が付きもせず、一人で子供を育て、生活を守り、気を張って生きてきたご婦人は自分に向けられた気遣いに、はっと息を飲んでじんわり瞳を潤ませた。
まあ、それはいい。
人間、がんばっていればちょっとした優しさがしみることもあるだろう。
ただよくないのはこの一方でこそこそと、なにやらぶわっと背筋を伸ばしたドワーフが手近のメガネに筋肉に包まれ逆に丸っこいたくましい肩からどすどす体当たりして小さくひそめた、それでいてテンションの上がり切った声でこそこそと「人族にしちゃいい女じゃねぇか……えぇ?」と、現代日本で鍛えられた私のハラスメント警察が出動するかどうか微妙なラインで口走っていたことである。ええー……。
我々はなにを見せられているのか。
そうして困惑する内に、腕は一流の鍛冶屋だがあくまでも戦闘職ではないはずのシグムンドは完全に、ただただご婦人にいい顔をするためだけに一人で先走って請け負った。
「なに、ここには腕のいい冒険者もいるんだ。困ってる奴を無下にはしめぇよ」
絡み合ったハリガネみたいなヒゲに半分隠された顔は、それでも疑いようもなくはちゃめちゃここ一番のキメ顔だった。
「人はなぜ……軽率にラブコメを始めてしまうのか……」
どこかぼう然としたかのような呟きはメガネの口からこぼれたが、私もめちゃくちゃ同じ気持ちだ。




