648 もはやあきらめ
不思議だなあ。
なんでそんな誤解が生まれたのかなあ。
みたいな気持ちで我々は、ぬるま湯のように、それかもはやあきらめしかない虚無のようにそっと見守る公爵の、どことなく普段よりぐっと沈んでいるようなきらめく淡紅の瞳とは絶対に目を合わせないようにしてせっせと仕上げた保湿ジェルをたずさえて各地へと夏のご挨拶めぐりに出掛けた。
まるでなにかに追い立てられて、あわてて逃げ出すかのようだ。不思議。
そうして普段お世話になっている、もしくはなんとなく顔を見たい人たちのお宅をあちこち回り、数日。
異世界は夏。八ノ月。
我々は、雨期を終え濃密な緑の息吹に満たされた森。もしくは山。
とにかく見渡す限りにもさもさの木々や、たくましい草。あちらこちらで切り立った地形に守られ隠された、大変それっぽい雰囲気のツウ好みの鍛冶屋を訪れていた。
そして非常にめずらしいことに、たもっちゃんと私に両脇を固められ鍛冶屋の戸を叩こうとしているのはテオだ。
そりゃあもう。しぶっしぶよ。しぶっしぶ。
我々が、この山だか森の奥にあるこんな辺鄙な場所にいるのはテオの剣を修理するか新しく発注するためだった。
大変だった。
やだやだもうちょっと心の準備がしたいとおふとんから出れない時の私みたいな勢いでどうにか先のばしにせんとするテオを、我々が。この、我々が。粘り強く説得したのだ。
どうした。ポジションが逆転しているじゃないか。異世界。しっかりして。
ただ我々も我々で、日頃の感謝はちゃんとしなくてはならない。みたいなキリッとしたテオの言いぶんに、まあそれはそう。と乗せられて先にお中元を配り歩いてはいる。だってホントにそれはそうだから……。
で、ブルーメ国内、そしてちょっとだけ国外などを走り抜け夏のご挨拶を一通り済ませた段階で、どことなくそわそわしたテオがすかさず「さ、では次は大森林にでも……」と言い掛けたのを見てさすがに我々も思うところがあったのだ。
これはあかんと。
こいつ自分のことなのに、めちゃくちゃ全力で逃げるやないかいと。
「テオ、剣作ったり直したりするの時間掛かるんでしょ。できるだけ早めに発注したほうがいいのは自分でも解ってるんでしょ」
「そうだよ。大丈夫。やれば解るさ。めちゃくちゃ怒られたら一緒に謝るし、それでもダメだったらメガネが鍛冶屋の外でにおい強めの料理を連日作って鍛冶屋のおっさんのお腹ぐーぐー鳴らしてあげるから」
たもっちゃんと私は、お中元終わりに大森林への逃亡を提案するテオを説得した時と大体同じようなテキトーな言葉でやいやいと、鍛冶屋を目の前にした今もまだ気の進まない顔をだいぶ出してしまってるテオを両側からぎゅうぎゅうにはさんではげました。
じゅげむはそのそばで鼻息荒くふんふんと「どんぐりつかえる? ドラゴンさんにもらった、たまつかえる? 石は? ぴかぴかの石あげるね」と張り切って手持ちの素材をテオのため全部吐き出しそうな献身を見せる。金ちゃんはおとなしくしてて欲しいのでさっきメガネが渡した総菜パンをもりもりと食べ、レイニーはいつも通りに虚無だった。なぜか総菜パンは手に持っている。
そして誰よりも当事者であるテオは、心の安定を図ってかもっちもっちとこね回す手付きで白い毛玉のフェネさんを強めにずっとなでていた。
やいのやいのと騒ぐ矮小なる人間を、自称神たる小さな獣は自慢の毛皮をもっさもさにされながらテオの手の中で身をよじり、金色の大きな両目でじっとりと見上げる。
そして静かに、けれども忍耐力の限界とでも言うように。
テオの顔へと視線を定め、「つま。我、つまのこと好きだけど限界ってあるのよ。なおして。剣」と、だいぶドライに切り捨てた。
我の毛皮はおもちゃじゃないのよと言わんばかりだった。
鍛冶屋の扉は開かれていた。
暑い季節のせいなのか、熱く火の入った炉を扱うからかは解らない。
で、おかんむりのフェネさんに容赦なくトドメを刺されたテオによりやっと戸板が叩かれる――かと思ったら、それからまだしばらく待つことになる。
テオは言う。
決してくじけたのではないのだと。
「ドワーフの職人だからな……気難しい。実際、鍛冶は手の離せない工程も多い。作業に一段落付いて、あちらが気が付くのを待つ他にない」
イケメンなのは変わらないのにもはやキリッとした顔がかわいそうにしか思えなくなったテオを見て、たもっちゃんが「そっかぁ」とうなずく。
まるで夏休みの宿題は一日でできるからまだ大丈夫だもん! と主張する孫を見るかのようだった。私も一緒にうなずいた。
もしもこれが我々だったら先のばしを疑うところだが、いかに我々の悪影響が嘆かれようとそこは腐ってもテオなのだ。
それはなんか、そうなのかも知れん。プロのお仕事はね、ジャマしちゃダメですもんね。なんとなく。
日頃から高いテオの信用で仕方がないのでおとなしく待とうと言うことになり、たもっちゃんはおもむろに大きめの鍋を取り出した。
おとなしく、鍛冶屋の外でにおい強めの料理を作って早めに気が付いてもらおうと言う作戦らしい。私には解る。カレーだと。
スパイス香るカレーのお陰か、ちょうど作業に区切りが付いたのか、テオが信頼をよせる鍛冶屋は意外と早めに我々に気付いた。
そして開かれた戸口から顔を出して外を見て、「何やってやがんだ……」と野外で勝手にかまどを設け、カレーを作る我々に当然すぎるコメントをこぼした。
少しして、我々はびしっと横並びに整列していた。
ただ日陰だと言うだけでむしろ外より空気の熱い、鍛冶屋の工房に招かれて気難しげな鍛冶屋とじりじり対峙しているのだ。
構図としては多勢に無勢。一対七で、我々のほうが人数は多い。
それなのに、なぜなのか。人ならぬ、テオの鬱屈とした葛藤などに全然興味なさそうなトロールや自称神を除いてもこっちが優勢のはずなのに、気持ちの上では負けていた。
テオが剣を任せる鍛冶屋は腕がよく、そして信頼のドワーフだった。わかる。なんか解らんけど信用できる。
人里離れたこの場所に工房を構える腕利きの鍛冶屋は、種族ゆえか職業柄か、ずんぐり小柄でありながらむきむき重たい筋肉を全身に備える。
服も顔もすすで汚れて全体的に黒っぽく、顔面のほぼ半分を隠しているのは固い針金を絡ませたみたいなもじゃもじゃのヒゲだ。
ごつくぶ厚いグローブに似た職人の両手は、先ほどその辺のボロ布で乱暴にごしごしぬぐわれて、それでも全然まだ黒い。
建物の内部はほぼ全てが工房で、あちらこちらにごちゃっと金属のかたまりや、素材なのだろうか。よく解らない多種多様な物体がごろごろ無造作に積み上がる。
照り付ける夏の日差しと対照的に、暗く影の濃い工房の奥。
離れた場所に見えている赤く火の入った炉を背景に、ドワーフは丸太の輪切りをイス代わりに腰掛け、刻んだたばこを詰め込んだパイプをくゆらせ煙を吐いた。
そして頭に巻いた黒ずんだ布ともじゃもじゃのヒゲの間から、足元の、少し波打つようにして固く踏み固められた土間の上へと視線を落としたままで言う。
「手入れに持ってこねぇから折れんだ」
「それは……済まない」
答えるのはテオである。
フェネさんは「剣なおすまでなでさせてあげないんだから!」とぷりぷり怒り、なぜか金ちゃんの頭の上にいた。高い所がいいらしい。
それでと言うかアニマルセラピーのアニマル的なものを失って、テオは空いた両手をさまよわせ意識高めのろくろを回すような動きで訴える。
「しかし、その……自分なりには大事にしていたし、最近までは刃こぼれもなく……折れる兆候などもなかったし……」
「そらおめぇ、素人目で知れるくれぇに兆候出ちゃぁ手遅れよ」
「う……」
たじたじである。
どうやらギャンギャンに大声でキレ散らかすのではなく、じっくりと、いっそ悲しみのような正論で諭すタイプの職人だった。なるほど。これは聞くしかないやつだ。
たもっちゃんと私は、テオをはさむ格好で一緒に整列していた怒られポジションからこそっと離脱。ドワーフがじっくりしてるのでイマイチ怒られてる感じがしないのか、大森林のどんぐりやぴかぴかの虫の羽。砂漠の石などをにぎりしめいつでも提出する気まんまんのじゅげむをささっと回収すると、深めのお皿に炊き立てで備蓄していた白米をよそい、さくさくに揚げて切ったカツを載せ、慎重であると同時にベストな配分でカレールーを軽やかに掛ける業務に従事した。
さすがにドワーフの注意がこちらに向いて、困惑させるまで割と早めの時間で済んだ。




