642 尊敬と愛を一身に
ジーグルト・ホラーツは人間的、そして倫理的な正しさから甥であるメルヒオール・ホラーツの尊敬と愛を一身に集める。
我々の理解では少なくともそうだし、この認識は実際に間違ってはいないはずだった。
それがキミ。
まさか互いに互いの存在を許容している恋人が、三人もおるとは思わんやないかい。
思わぬ形でその事実に取り囲まれた私とついでにレイニーは、自分たちだけでこの衝撃をかかえることはできないと男子たちを呼んだ。巻き添えである。
だがやはり、この件は男子たちにもなかなかのインパクトを与えたようだった。
たもっちゃんはジーグルトとその恋人たちを遠巻きに、全然付いて行けてない感じの顔で言う。
「うーん、要素としてハーレム勇者と似たようなもんなのに、どうしてだろ。この、なんとなくにじみ出ちゃってる生粋のヒモ感」
「たもっちゃん……それだわ……」
的確。
ジーグルトの、別に秘めてはいなかったのかも知れないが私としては全然知らなかった一面に、うっすらとした不安のように胸に広がるこの気持ち。的確にそれ。
もやもやした気持ちがはっきりと言語化されたことにより、なんかすごくすっきりしてしまった。よかった。全くなにもよくはないのになにかが解決した気持ちだけがしている。
けれども、我々がなんとなく引いてしまうのも現代日本人の感覚で、この世界ではそんなにめずらしいことではないのかも知れない。
と思ったら、テオも普通に引いていた。
「いや、珍しくはない。貴族や富豪ならば特に。本人達が納得の上なら、周囲が口を挟む事柄でもない。だが……あんなに温厚そうな顔をして三人……」
「それも解る……」
えっ、やっぱジーグルトの感じ特殊なの? と問うてしまう私に対し、律儀に答えたテオの言葉に再び心の中でなにやらすっきりとしたものが生まれた。それ。
普段は口下手なところがなくもない男子ら、こんな時だけコメントが的確。
こうしてきゃいきゃいと現れるやいなや、我々に混乱と動揺をもたらしたジーグルト・ホラーツの恋人たち。
しかし彼女らにはかつて、ジーグルト本人に遠ざけられた過去がある。
当時のホラーツ家は悪辣な当主や先代の奥方に支配され、ジーグルト自身にも危険が及ぶほどだった。恋人たちをその宿命に引き入れる訳には行かないと、身を案じてのことだったと聞く。
けれども三人の恋人たちにはその理由は伏せられて、別れだけが告げられた。
彼女らもジーグルトの背負う事情を薄々とは知っていた。おとなしく身を引いたのは、そのこともあってだ。
代官の権力と威光は恐ろしい。
抵抗できる力も持たず、一体なんの役に立つのか。自分たちにできるのは、ジーグルトの意にそうことくらいだ。
愛する人の重荷となるのはつらかった。
同時に、愛する男より自分の安全を優先したとどこかで負い目に思うこともある。
だから、ホラーツ家の当主や先代の奥方が、かねてより噂されていた悪事でいよいよ摘発されと知った時、しかしすぐには駆け付けることができなかった。恐かった。
三人の女性たちはそれぞれに、ジーグルトにすがり付いてはらはらと泣いた。
「なにか助けになりたいと思っても、今さら、都合がよくはないかしらって」
「私もよ、恐かったの」
「ジーグルト様、わたくしたちを許してくださる?」
「あぁ、ダーリン。泣かないで。わたしも甥も、こうして無事だ。あなたたちも変わりなくて嬉しい。愛想を尽かさず、待っていてくれた事も」
ジーグルトは大らかにご婦人たちの愛情を受け入れ、髪や頬にキスを降らせた。
あまりにも思い合う恋人たちの感動の再会。
あまりにもひとごと。
もはや未知の領域みたいな茶番的なものを目の前でくり広げられてしまった我々は、多分そっと席を外してもよかったのだがなんとなくお茶とおやつを装備して「たもっちゃん。モンブランケーキにマロングラッセのっけたらさ、天才じゃない?」「それどっちも俺が作ったけど解る」などと取りとめのない言葉を小声で交わし、もそもそカロリーを摂取しながらいちゃいちゃとした空気に染まった応接間の片隅でなんかじっくり見物してしまった。好奇心だった。
すげーいちゃついてる。マジでいちゃついてる。と男女四人のなんらかの波動に圧倒されて、つい聞き逃してしまいそうになったがジーグルトと三人の恋人たちはいちゃついているだけでなく割と大事な話もしていたようだ。
議題は主に、残されたホラーツ家の人々の今後についてだ。
「代官様が捕まってしまったでしょう? ジーグルト様やメルヒオール様はどうなるの?」
「申し訳ないけれど、この家には不祥事が多すぎるわ。次の代官はきっと、街の外から選ばれると思うの。そうなれば、この家にもいつまでいられるかしら?」
「使用人もみんな逃げてしまったと聞いて、心配したのよ。以前勤めていた者も、戻りたくても新しい勤め先をそうすぐには辞められないわ。それでね、わたくしたち考えたの。みんなで暮らせばいいんだわって」
小さくていいから、かわいい家を探しましょ。うちの別荘でもいいわね。お父様に頼んで使用人も出してもらいましょうよ。
彼女らもそれなりのお嬢様なのか、なにやらきゃっきゃと夢見がちに話し合う。
大丈夫だろうか。生活力のありそうな人間が誰一人として見当たらないのだが。心配だ。
完全なる観客として彼女らの様子を眺めつつ、交わされる会話にそう言えばそうだなと思い当たることがある。
よくないほうのホラーツ家が捕まった当日、街の人たちが使用人が残らず逃げたのを心配し昔この家に勤めてた元使用人に声掛けてくれるっつってたのに音沙汰ねえなと思っていたら、なんかそう言うことらしい。
あちらにも事情や生活があって、簡単に呼び戻すことはできないようだ。そらそうや。
それにラオアンの街の代官職も、これまでほぼほぼ占有してきたホラーツ家から離れることになるっぽい。確かに、身内から代官の権威をいいように使っていらんことしてきた逮捕者を出したのだ。官職について見直されるのもムリはない。
罪人の家族までもが苦しめられるのは理不尽のような気がするが、逆に言うなら血縁だからと世襲のように官職が受け継がれるいわれも実はそんなにないのかも知れない。
しかし実際そうなった時、なにが困ってしまうかと言うと悪くないほうのホラーツ家二人。ジーグルトとメルヒオールの住む場所と、これからの生活だ。
ジーグルトの三人の恋人たちが勇気を出して、今日この屋敷を訪れたのはそれを心配したのもあってのことだったようだ。
生活力はあんまりないが、愛情だけはいっぱいである。
そうして、あんまりなにも解決はしないまま時間がすぎて、雨期の終わりがやってきた。
夏である。
罪人への聴取や捜査には手間とヒマが掛かるものであるらしく、特になんの進展もないまま、逆に言えばなにもないお陰で一時的にではあるけれどなんだかのんびりとした時間をすごした。
冒険者ギルドから持ち込まれた突発的な魔獣駆除の仕事にも一区切り付いて、たもっちゃんは待ち構えていた薬屋に念願のオブラートについてガン見の受け売りでのレクチャーや試作にも付き合い、私は私で草の干せる季節がきたとむやみなやる気をまあまあ空回りさせるなどしてすごす。ホラーツ家、意外と庭が小さくてあんまり干せる場所がなかった。
そうして、そもそもなぜ自分らが縁もゆかりもなかったはずの街で、それも没落真っ最中の代官の屋敷に滞在することになったかをぼんやりとほぼほぼ忘れかけた頃。
メルヒオールに与えられ彼の魔力であたためた、ありがたい卵にぴしぴしとわずかな、それでいて確かなヒビが発生したのはそんなある日、夏の早朝のことである。
「う……生まれる~ッ!」
我々はそれを、完全に取り乱したメルヒオールの絶叫で知った。
キミ、悪魔の素養の影響なのか年の割にだいぶ落ち着いた感じがしてたけど、そんな声出るんか。
なんか、ちょっと安心しちゃったなあ。
とか言って、我々はなぜだか、叔父への敬愛が強火で焦げ付いていることを除けばすきのない、よくできた子であるメルヒオールの素っぽい部分を垣間見てなんとなくほっこりしてしまう。
多分そんな場合ではないのに、あら~とか言ってる我々がなにかの役に立つはずもない。
朝早くからなんだなんだとメルヒオールの寝室に集まりベッドを囲み、シーツの上でふるふるぴしぴしと孵化の予兆を深める卵を一緒に見守るだけである。
鉛筆で描いたようなわずかな亀裂が少しずつ、内側の何かによってカツカツと増やされ広がって行く。不可思議に輝く卵のまろい殻が一部欠け、ぱらぱらと剥がれ落ちた刹那。
強烈に、周囲が真っ白な光であふれ返った。




