639 ありがたい生き物
人の身でありながら悪魔の力をうっすら生まれ持ったメルヒオール・ホラーツ。
扱いに困る彼のため、天界が用意したのは卵だった。
彼を正しく導くと見せ掛けていざとなったらどうたらこうたらするための精霊的な謎生物が、メルヒオール本人の魔力であたためられることによりこの世に生まれてくるらしい。
ホットサンドを焼き上げて、子供たちや眠くなる草で弱体化させた金ちゃんにどんどん渡して食べさせながら、たもっちゃんや私やレイニーは厨房の片隅でひそひそと話す。
「まぁ……そうなる……? のか……?」
「どうしてだろ。ありがたい生き物を下賜したみたいに言ってっけどいざとなったら闇から闇へ葬ってやるからなみたいに聞こえる」
「人の子は……すぐ悪しき道に迷うので……」
わずかながらに悪の力を宿した者をそのまま捨て置くのはいかがなものか。
天界としてはそんな意識があったようだ。
だがメルヒオールの力は本物の悪魔よりもずいぶん弱く、それに、まだ罪に染まる前の子供だ。
そこで天界の上司さんいわく、それによう考えたら人間てそもそも、なんかのきっかけで悪魔みたいなことするとこありますし。今回は悪魔の力がちょびっと使えるのがアカンけど、そこはほら。天界のお目付け役として、精霊がぴったり張り付いて監視するってことで手え打っといたりますわ。
――と言う方針で行くことにしたようだ。
本当にそれで大丈夫なのか我々には判断が付かないが、しかし行動原理が叔父のためでしかないメルヒオールを見ているとふわっとした処遇にしてもらえると逆に助かるような気持ちがなくもない。だって俺たちのメルたんだから……。
じゃあ……まあ……いいのか……? などとこそこそと、話し合うのはメガネと天使と私の三人である。
ホットサンドの片手間の、我々の話が天界やら天使やらの内容にかたよってすぐ、我も! 我もそのへんなたまご! ひとくち! と騒ぐフェネさんを抱きかかえテオはそそくさと席を外しているからだ。
さすがテオ。危機管理が抜かりない。
今にも卵そのままにかぶり付きそうなフェネさんを退避させると見せ掛けて、本当に距離を取りたかったのは我々の話題のほうだった気がする。
魔法やドラゴンが存在する世界でありながら、この異世界でも神や悪魔はおとぎ話かトンデモのなにかに分類されてしまうのだ。常識人のテオとしてはどうしても、近付きたくない世界なのだろう。仕方ない。
我々もテオになにもかも全部話してはいないし、うまいこと説明できる自信もなかった。理解してもらうのも難しい。それに私もなんか知らんけどこうなってると言うだけで、全然解ってないとこもある。
だからやべえと察して自主的に逃げてもらえるのは助かるのだが、同時に、テオのあざやかな逃げ足に日々磨きが掛かっているのは申し訳ない思いなどがする。
困難こそが人を育てる。
たもっちゃんや私やレイニーの、またなんかやっちゃいました? 体質をどうにかうまいこと越えて行け。ごめんやで。
しみじみと不憫なテオのため特別いいホットサンドでも焼いといたろと準備し出したメガネに続き、様々な具材をこれでもかとパンにはさんでいると「ねー! つま! たまご! たまご食べたい! あのへんなたまご! 食べるのだめならにおいだけ! においだけでもぉ!」と、きゃんきゃん騒ぐフェネさんの声が再び厨房に近付いてきた。
そして白い毛玉の小動物をしっかりかかえたイケメンが、戸口から顔を半分覗かせてものすごく慎重に中の様子をうかがって問う。
「話は終わったか……?」
「そこまで警戒するレベルなの……?」
思わずテオに用意しているパンの具材の量を増やそうとしたが、なんかもうホットサンドメーカーが閉まらないレベルになってきたのでほどほどのところで断念せざるを得なかった。
テオにはできるだけ元気でいて欲しい。元気を目減りさせているのが多分、間違いなく我々と言うこともあるので……。
しかしそんなに警戒しながらも割と早めに戻ってきたのはどうしてなのかと思っていたら、テオとフェネさんの後ろからひょこりと桑色の頭が現れた。
メルヒオールの叔父であるジーグルトだ。
「ここにいたか。探した」
「あっ、おじ様! すみません、お食事を運ぶつもりだったのに……」
「構わないよ。今しがた起きたばかりなんだ。今日はなんだか気分がよくて、いつもより沢山寝てしまった」
いつまででも眠れる私としてはそんなばかなと言う思いだが、大体いつも体調の悪いジーグルトの語るところではよく寝るのにも体力が必要なものらしい。
そう言われると、心なしかジーグルトの顔色も昨日のオブザデッド感からちょっと人間らしくなっているような雰囲気もある。
なんか調子がいいならよかったと、私は深くうなずいた。
「私のお陰だな」
「いや、俺のご飯がおいしかったお陰って可能性も……」
ジーグルトの突然の復調に、謙遜を知らない我々は、いやいやいや、いやいやいやいや……などと互いに自分の手柄を主張しながらもっと回復していいのよと、体にいいお茶や朝食をいそいそ用意しメルヒオールががんばって運んだイスへと礼を言って腰掛けた、ジーグルトの前にぐいぐいと置く。
それに気付いてこちらにもお礼を言ってくれるジーグルトによれば、普段ならベッドから出るにも時間が掛かり、かと言って眠れもせずにぼんやりすごすしかないのに、今日は自分で起き出せて身支度もできた。すごい。とのことだった。体にいいお茶はね。体にいいですからね。どういたしまして。
いつもは自分が起きられるようになる前にメルヒオールが様子を見にくるのだが、今日は逆に探しに出たくらいだ。
ジーグルトはそう言って、くすくすと軽やかな笑い声を立てる。体調がよく、そして楽しげな叔父の姿にメルヒオールが「はわあ」となっていた。いいのよ。どういたしまして。
テオはそうして甥を探すジーグルトに行き会い、メルヒオールのいるこの厨房へ案内してきてくれたようだ。
さすテオとばかりに我々はまごころと具材でいっぱいに焼き上げたホットサンドを差し出して、「圧縮した上で焼しめてあるので強度としてはレンガ感があるがいつも通り味はいい」と、的確かつ配慮のあるコメントをいただくなどした。
それから、たもっちゃんがじゅげむを塾へ送って戻って卵をあっためるなら専用の袋的なものがあると便利かも知れんと手持ちの端切れでちくちくと天界の謎卵に合わせて簡単なきんちゃく袋を縫い始めたり、すきあらば薬を飲ませなくてはならない金ちゃんにおいしいものともっとおいしいものを用意した私がうまいこと薬を摂取させたりしていると、その、味的にやべえ薬を作ってくれた薬屋がホラーツ家へとやってきた。
「オブラートってやつについて詳しく聞きたかったんだが……」
どうやら昨日、また改めてくると言っていたのはこれが気になっていたからのようだ。
が、今日の彼には連れがある。
語尾をにごして薬屋が視線を向けた辺りには、やたらといかついおっさんがいた。
簡素なシャツと革のベストに隠された体は隠しきれないむきむきの筋肉におおわれて、太いベルトの巻き付いた腰にはナイフが二本、左右にそれぞれ差してある。けれども最も目立つのは、ぶ厚い手の平にはめられた戦闘用のグローブだ。
その人は奥歯をぐっと噛むような、武張った顔で一歩こちらへ進み出る。
「俺は、ラオアンの冒険者ギルドで副ギルド長をしている者だ。昨日の話は聞いている。街の恩人にこんな頼みをするのは厚かましいが……冒険者として力を貸してもらいたい」
深刻に、そして急いているかのようなその様に。
この街、ラオアンって言うんだなって思いましたね。今さらですけども。
どうやらラオアンの名を持つらしきこの街は、地方にはまあまあ見られるそこそこの街だ。
外敵を警戒しての頑丈そうな防壁に守られ、代官のあくどい後妻が貴婦人を気取っていくらかの贅沢が楽しめるくらいには生活水準も高かった。
だから街を守る兵士もいるし、規模はそれほど大きくないけれど商人や冒険者のための各種ギルドもあると言う。
ただし、冒険者ギルドに関しては所属する冒険者が極端に少ないと言う、のっぴきならない問題をかかえているそうだ。
冒険者ギルドで副ギルド長の肩書を持ついかついおっさんはどこかしょんぼりしみじみとこぼす。
「平素はな……仕事がな、ないんだ」
「言い切っちゃうんだ……」
悲しい。なんか知らんがいかついおっさんが悲哀をかもし出している。
よう解らんけど元気出してと体にいいお茶と茶菓子などを出しながら、話を聞くと街の近くに広がる森に通常ならば見られない数と種類の魔獣が確認されたとのことだ。




