637 草はいい草
実際、私の草はいい草だ。
その点において心配はいらない。
と言うか草は人類の友なので、悪い草などどこにもないのだ。
たまに人体に合わない成分を持っててお腹が痛くなったり吐いたりかぶれたり、しびれたり中毒などを起こすこともあるってだけで。
種類によっては命に関わるやべえのもあるが、それは知らずに摂取した人類が悪いので……。草はあるがままそこに存在するだけなので……。友とは。
しかし今回提供したいい草の「いい」は、健康に対して、の意味合いが強い。
だから人体に対してなにも問題はなく、むしろよい作用を持つ一方で、毒にやられたダメージでもうずっと具合の悪いジーグルトに効果があるかは解らなかった。
回復と言うか、私がむしって蒸して干して抱きしめるなどの手間を掛け、その過程でなぜか強靭に健康が付与されている自慢のお茶でワンチャン健康が底上げされてジーグルトも改善しねえかなと思っての善意の押し売りではあるのだが、実際どうかは継続的にがぶがぶ飲んで様子を見てもらうしかない。
――と言った感じのことを一応、ぐいぐいお茶を押し付けるついでに当事者であるジーグルトやジーグルトを敬愛しすぎるその甥、メルヒオールにもふわっとながらに話してはある。
が、ジーグルトはもはやこっちが心配になるくらい普通に我々や我々が用意した飲食物を受け入れてくれたし、恐らくこでまで精一杯に叔父を守ってきたメルヒオール少年ですらなんだかすっかりほっとして気を抜いている雰囲気が見られた。
ジーグルトに食事と体にいいお茶を届け、屋敷の中を厨房まで移動するメルヒオールの足取りは少し弾んでいるかのようだ。
「おじ様を心配するのはずっと僕だけだったから、正直どうしたらいいのか不安だったんだ。感謝する。体にいい草。いいね。草」
「ほう。少年、見どころがある」
「えぇ……ねぇ、それほんとに話通じてる? ぱっと見は同じ事話してる様に見えるけど本当は全然すれ違ってたりしない? ねぇ」
草はいい。草は頼れる。人類が最後にすがるのは草なのだ。
そんな草への絶賛でなんとなく心を通じ合わせるみたいな感じを出したメルヒオールと私に、たもっちゃんが心配なような、なんか引いてるみたいな困惑を見せた。
確かに、心配になる気持ちも解る。
メルヒオールをほっとさせている材料は、我々があまりにもぼやぼやしているからか、悪いことをしないのならば心配はいらないとじゅげむが請け負ったからか。
それともレイニーと言う微妙ながらにまぎれもない天使を擁するために、まるで我々全体が天界に所属しているみたいな誤解を招きがちなメンバー構成も一因だろうか。
だとしたら我々は別に天の使い的なものでは全然ないのと、肩書として天使の属性は持つもののレイニーも地上の生命体を救ったりするため降臨している訳ではないので、まあまあひどい勘違いである。我々がまぎらわしいのが悪い気はする。
あと、天界。
なんとなくの所感だが、神を筆頭とする集団だからとそんなにちゃんとしてる保証もないので頭から信じ切るのはどうかと思う。
なぜなら、レイニーですら。この、レイニーですら天使として雇われているのだ。今はこう、うっかり更迭されてはいるけども。
集団の規模が大きくなりすぎるとね。ありますよね、色々。ちょっと回避が難しい人事的なミステイクとかが。
心配だなあ。大体の感じで信用しすぎなのではないかなあ、メルヒオールは我々を。
心配だ。あー心配だ。
と、思ったり口からこぼしたりしながら、元々は豪華に飾られていたらしき、しかし今は使用人たちが逃げ出す前に家具や置物が持ち去ったのか、妙に空間がすかすかで殺風景な廃墟感をただよわせるお屋敷を歩いて厨房へ戻った。
そうして意外と一緒に食べるのを嫌がらなかったメルヒオールと夕食にして、ジーグルトには互いに思い合い大切にしている女性があって恋人と呼ぶべき関係を築いていたのにホラーツ家があまりにも汚職にまみれすぎていると相手のために本心を隠して遠ざけた。それをどうにか再びくっ付けて、叔父の子供をこの腕に抱くのが夢なのだ。いや子供がいなくてもいいのだが、なんかいい感じに幸せを作り上げてもらいたい。
みたいな話をぽろぽろと聞かされ、叔父への愛をだいぶ前面に出してくる少年に「もはや心境は甥じゃなくて親なの?」と我々も思わず真顔で圧倒された。推しの人生全てを包み込む、重すぎの愛よ。
夜。
部屋ならいっぱいあると言うメルヒオールやその叔父のジーグルトの言葉に甘え、我々はなぜだか普通にホラーツ家の屋敷にお泊りとなった。
いや、彼らに取っては何者とも知れない我々が体の弱い叔父とまだ子供の甥しかいないお屋敷に泊めてもらうのは安全とか常識の面でどうかと思わなくもないのだが、ホラーツ家は色々と恨まれる理由を多く持つ家だ。
悪辣な首謀者たちはすでに拘束されはいても、それでは怒りの治まらない者や、まだメルヒオール少年にうまいこと言いくるめられてない誰かが忍び込んだり襲撃にきたりする可能性はある。
ならば縁の薄い我々でもまだ誰もいないよりはマシではないかと言う話になり、お言葉に甘えてお泊りさせてもらうことにした。
心配だし。家事なんかしたこともしようと考えたこともなさそうな二人に、ごはんも作ってあげたいし。作るのはメガネで私はお手伝い程度だが。
ただそれはそれとして、特には役に立たない私としては信用されすぎるのもなんか居心地が悪いのでメルヒオールとその叔父はもうちょっと我々を疑ってみたりして欲しい。
こうして、侵入者を警戒する観点で我々は客室ではなく玄関の一階と二階をつなぐ大階段の脇にある、最初に通された応接間をキャンプ地とした。
建物の中なので恐らくキャンプではないのだが、使用人たちが逃げ出したと思われる時間帯、ホラーツ家の二人や我々がここにいたため無事だったらしき高そうな家具を部屋の隅のほうによせ、自前の敷物を広げた上に植物性のベッドマットをどんどん置いた感じがなんとなくそれ。お泊りが楽しくなっちゃってなかなか寝付けずテンションに任せて暴露大会が始まるやつだ。私はねえ、たけのこっぽいチョコ菓子のチョコだけ先にちみちみ食べてクッキー部分をあとから食べるのが好きですね。お行儀的に最悪だから内緒だぞ。
この、今夜の寝床を作る作業は、まず、いまだに悩み深きレイニー先生に頼んで心ここにあらずみたいな生返事ながらに入念な魔法で床を清掃してもらうところから始まり、人間たちやトロールと自称神にいたるまでをどんな時でも衛生観念を忘れない強い姿勢で洗浄していただくことで終わった。助かる。
そうして準備を整えて、じゅげむや金ちゃんを寝かし付け我々もそろそろ寝るかと言う頃である。
天界に属する者として、今回出会った悪魔の素養を隠し持った少年――メルヒオールをどうしたものかと悩んでバグり、洗浄以外ではひたすら虚無だったレイニーが動いた。
レイニーはキャンプ地と化した応接間から扉を介してすぐ外の玄関ホールへメガネや私を連れ出して、さらに階段脇の壁と似せて作られた目立たないドアがあるだけのせまい空間にこそこそ隠れるように屈み込む。
そして同じように屈ませたメガネや私と額を突き合わせるみたいに密集し、ぐいと近付ける顔面に、苦渋の決断だったと言うふうな悲壮な表情を浮かべて告げる。
「……仕方がありません。一日に二度顔を合わせるのは気が進みませんが……上司を呼びましょう」
「上司さんと会うのってそんな決死の感じなの?」
反射的に浮かんだ言葉が自分の口からぼろっと出たかと思ったが、実際に声にしたのはメガネだった。解る。私もまったく同じ気持ちだ。
なぜなのだろう。この天使間の溝。
上司さんはレイニーの上司さんなのに、レイニーは上司さんから逃げがちで彼女たちには矮小なる人の身からすると計り知れない深淵すぎる越えがたい谷があるような、ただただレイニーがレイニーらしくうっかりといらんことしすぎるために上司さんからお叱りを受ける機会が多いことに起因して、人間から見ても薄すぎる理由しかなさそうな予感もまあまあにした。
ものすごいテキトーに察してるだけなのに、多分これだろうなと変な確信がある。
レイニーの無辜を信じるにしては、我々は普段のレイニーを知りすぎているのだ。
察するだけで結局よくは解ってないのだが、考えれば考えるほど「レイニーだしな……」の気持ちが強くなり、我々は、じゃあもう眠いしちゃっちゃと呼んでと本日二回目の上司さんとの対面をだいぶ雑な感じで迎えた。
その結果、またか。またお前か。また面倒を引きよせたのか。みたいな感じでびっかびっかと心なしかキレ気味に光る上司玉が現れて、いつも我々が異世界の保護者的な人々から受けるお説教みたいなことになっていた。




