636 能力の影響
我々は、ホラーツ家の使用人がことごとく逃げ今夜の食事にも困ると言うのでお屋敷の厨房に勝手に入り、いくらか残されていた食料やアイテムボックスから素材を持ち出し取り急ぎ調理していた。
たもっちゃんが料理担当だと解り、打ち壊しのノリでやってきてなぜかメルヒオールの食事の心配までしてくれていた街の人々も少し安心したようだ。
それじゃあこっちは街に戻ってお屋敷に通ってくれそうな人間を探してみると、すでに帰ったほどである。おおらか。
薬屋もその中に含まれていたが、また明日くるとやたらと強調してから去ったので、とにかくまた明日もくるらしい。
夕食の準備と言う名の作業に掛かる我々を前にしてメルヒオールがなんか急に語り出した新事実によると、街を守る兵士たち、そして街の住人たちがやたらと彼に好意的になったのはもしかすると人を「いくらか思い通りに動かす」能力の影響だったかも知れない。
完全な悪魔ほどの力は持たず、本人が思いもしてないことを強制できないとは言うが……それはキミ。
我々、ちょっとドン引きよ。
「それは話変わってきちゃわない……?」
「解る。たもっちゃん。私もそう思う」
虚無のモブも思わず真顔。
しかしメルヒオールは落ち着いて、どこか悲しげに首を振る。
「僕だけではこうはならなかった。お前たちが流れを作り、僕はそれに乗ったにすぎない。……だから、たずねた。お前たちの目的はなにかと」
「いや、目的っつっても……」
たもっちゃんと私はほとんど同時に、ほぼほぼ同じセリフを呟いて互いに顔を見合わせた。
確かに、その質問は先ほどすでに受けていた。しかし。
ないっすね……そう言ったものは……。
我々がこの街へやってきたのはたまたま薬が必要で、たまたま手に入りそうなのがこの街だったと言うだけだ。
そしたら悪魔と契約した悪しき奥方に絡まれて、なんかこんなことになっている。
だが、メルヒオールはまた別の疑念を持っていたらしい。
彼はまだ幼さ残る小さな体でテーブルになかば乗り上げて、たもっちゃんや私へとずいっと顔を近付ける。
「お前たち、天の使いだろう。悪魔が、それと契約した母がここにいると知り、罰しにきたのではないのか」
そしてそこまでを特にひそめた声で言い、ふっと息を吐きながら体を引いてイスへと戻った。
少年の浮かべる表情は、怪訝なような、気に入らないとでも言うかのようだ。
「それが、どうして僕たちの味方をするのか解らない。あれが去り、母が取るに足らない人間に戻ったのは僥倖だった。あれの力にはとてもかなわず、僕にできたのはおじ様を死なせないことだけだったから。例え……命と引き換えにしてもだ。でも、僕にも勝てないあれを簡単に消したのに、どうして僕をそのままにする?」
自分の中にあるものは、お前たちの敵のはず。
問い詰めるみたいな言葉を放ち、メルヒオールは薄く青と紫のまざり合う竜胆色の両目をこちらにひたりと向けてきた。
それで、やっと解った気がする。
彼はもうずっと、命がけだった。比喩でなく、自分より遥かに強い力を持った敵を相手に。
それは長く肉親であり、そして今は我々なのだ。
思えば、この少年がまだ子供である自分の立場を最大限に利用し、けれども強くアピールするのは決まって心根正しい叔父であるジーグルト・ホラーツがいかに無害で不遇であるかと言うことがばかりだった。
この気付きに、私は信じられない思いに震えた。
「もしかして、叔父さんが大丈夫なら自分は消えても構わないとか思ってた?」
メルヒオールはこの問いに、桑色の髪の頭をうつむける。
「……母とは違う。僕の力は、僕の魂とまざり合っていてそれだけを取り除くことはできない。解るんだ。自分で。だから……そう、おじ様の無事を懇願するために必要なら……」
「推せる」
「リコ、隠して。マジで。今ほんとそう言うんじゃないから」
私がここ一番の神妙な顔付きになり、深刻な表情で首を振るメガネがおめー自重しろよ解るだろこの空気などとやいやい言って責め立てて、そんな我々のぐだぐだの感じに大事な話は終わったようだと見切ったじゅげむがほかほかの皮むきふかしイモの入ったボウルと共にずりずりとテーブルをぐるりと移動して、メルヒオールの隣にぴったり落ち着くと「おはなしできた? ねっ、だいじょうぶだったでしょ?」と、こそこそしながらもなぜだか自信ありげにささやくと代官の家に生まれ付き恐らく家事などしたことのない少年に、自分のぶんとはまた別ににぎりしめていた木ベラを「はいっ」と渡してポテト的なもののマッシュ作業を当然のように強要した。
いや、強要と言うか、一緒にやるものと信じて疑わないぴっかぴかの顔。無邪気。
メルヒオールも拒否はせず、おっかなびっくりのか弱い手付きではありながら年下の子供に優しく付き合ってあげる、ちょっとしたお兄さんぽい雰囲気を出してふかしイモ潰しに参加してくれた。じゅげむが楽しそうでありがたかった。
そうして各自に割り当てられた作業をこなして着々と夕食の準備を進め、メニューはマッシュしたポテトのサラダ的なものと適切に焼いたなんらかのお肉。よからぬ可能性を思い付いたメガネがそわそわと「実際そうするって事では全然なくてもしかしたら可能なのかどうかってだけの話なんだけど、いやほんとに。全然。全然ね。でも、あの、メルたんの力を駆使すれば全世界のエルフが俺の事を大好きになるって事も理論の上では実現可能な訳で……」と煩悩丸出しで問い掛けるも微妙に最後まで言い切らぬ内に、ドン引きのような、それか憐れむような色合いを顔面いっぱいに浮かべたメルヒオール少年に「本人が思いもしてないことは強制できないから……」と、そっと目をそらしつつ、けれどもしっかり切り捨てられて「何で俺がエルフに嫌われてる前提なんだよぉ!」と泣きながら厨房を飛び出して行った。と思ったら普通にトイレに行ってきただけみたいなテンションと時間ですぐ戻ったメガネが、なんか外にあったと両手にかかえて持ってきたあんまり鮮度のよくない異世界カボチャを煩悩と言う名のほのかな希望を叩き潰された悲しみを原動力として原型をとどめぬまでに粉砕し、いい感じのスープなどを製作した。
これだけでもだいぶ混沌強めではあるのだが、我々はこんなものでは終わらない。
この夕食準備の途中でさらに、そう言えば金ちゃんにはすきあらば薬を飲ませなくてはいけなかったとうっかり思い出してしまったしっかり者のテオがノーガードで例の薬を金ちゃんの口に突っ込んで秒で吐き出されたものを全身に浴びるなどの事件が起こるべくして起こってしまい、テオの肩から自分だけ素早く飛びのいたフェネさんに「つ、つまぁ!」と悲鳴を上げさせて、レイニーから執拗な洗浄を受けた。
あまりにも不遇。
さすがにこれはいけないと、こんな時だけ神経細やかメガネがそもそもちょっとした、けれども誰かがなさねばならないタスクについて気が付いた人が貧乏くじを引くのはおかしいとド正論を発動。
以降は気が付かなかった人がこの役目をになうことになり、大体は私が金ちゃんと対峙する流れとなった。ちょっとした絶望。
しかし私はかしこいので、あと鷹揚なる強き者である金ちゃんのことはだいぶ好きだがさすがに口からぶほほと薬と唾液をスプラッシュされるのは全力で避けたいので、おいしいものともっとおいしいものを用意しておいしいものに薬を隠して金ちゃんの口に突っ込むやいなや、すかさずもっとおいしいものを目の前でチラつかせることにより口の中のおいしいものをロクに噛まず丸飲みさせると言う金ちゃんの旺盛な食欲を完璧に理解し利用した高度な技を編み出した。勝利。
自分の身を守るためだけに異様な才能を見せた私に男子らがその技もっと早く編み出して欲しかったと苦情を述べつつ作り上げた夕食を、大体いつも調子が悪く今も休んでいるジーグルトのため運ぼうとするメルヒオールを手伝って我々もあつあつのスープを運搬しつつ寝室へと押し掛け「草。体にいい草。どっすか」と過去に毒殺され掛けてすっかり崩した体調面にもぐいぐい干渉しておいた。
わずかながらではあるものの悪魔の素養を生まれ持ってしまったメルヒオール少年の、行動や人間性とかが彼の敬愛を一身に集める心正しきジーグルトの健康度合にかかっている気がする。なるべく元気でいてもらいたい。
よく知らない人間から提供された謎の草をせんじた謎のお茶にはそこそこの恐怖があったとは思うが、なんか飲んでくれた。心配。よかったけど心配。ジーグルト、一回毒にやられてるのにその無防備さ。どうして。
メルヒオールは我々を天の使いと決め付けているので、草もいい草だと思ったようだ。止めはせず、むしろ体調回復への期待いっぱいに勧めた。心配。




