634 複雑な少年
ホラーツ家の複雑な少年、メルヒオール・ホラーツは、死体みたいな顔色の叔父に急いで休息を取らせることを最優先とした。
それで我々に、待っていろ。絶対だぞ。と言い置いて、大人を支えるには小柄すぎる自分の体を杖にしてジーグルトに付き添いよろよろ部屋を出て行った。
戻ったのはしばらくしてからだ。
どう見ても休養が必要な絶不調ながらに接待の使命感をいだく叔父をなだめ、寝かし付けるのに苦労したのかも知れない。
再び応接間に姿を見せた少年は、ぜいぜいと肩で息をしていた。忙しそう。
あとから思えば、ある意味でここからが本番だった。
彼はまだ幼くすらある小柄な体でソファの上にどかりと座り、ふん、と鼻から息を吐いて問う。
「なにが目的だ?」
「さっきと全然態度違うじゃん」
どうした。急にどうした。
我々は素直に戸惑うが、メルヒオールは大人のようにソファの上で両足と両手をそれぞれ組んで、なんともめんどくさそうに、それか小バカにするように、人を食ったような表情を浮かべる。
「敵に愛想を振りまいて得があるのか?」
うーん、この憎々しさ。
よく考えるとこのメルヒオールには悪魔の素養がどうたらこうたら問題があるのでそんな場合ではないのだが、ちょっとおもしろくなってしまった。
なんかあれ。なんだか難しそうな顔をして、厳しい空気を出してはいるが見た感じが子供。それもまだ、十歳前後の生意気盛りの外見である。
クレブリの孤児院で我々がまだ全然警戒されてた頃の、思春期なりたての年頃の男の子たちを思い出してしまう。ほほ笑ましい。
そんな気持ちもついあって、たもっちゃんと私のよくないところがだらだらと出た。
「メルたん普段そんな感じなの?」
「さっきまであんなあざとく甘えたかわいい空気を装ってたのに……メルたん……」
「……は……?」
突然のメルたん呼びに少年が困惑とキレ気味の声色で低い呟きをこぼしたが、そんなことでは我々の悪ノリは止まらない。
たもっちゃんはさも深刻そうに、ひとり言めいて悲しげにこぼす。
「何でだろ。何で俺らにかわいいとこ見せるのやめたんだろ」
「あれじゃない? 敵だからじゃない? でも我々、厳密には敵じゃないよね。レイニーだけだよね。我々は一般人だもんね。そうなってくると、もうちょっと状況を見極めてからかぶったネコ脱いで欲しかったって思いますね私は。どうですか解説のタモツさん」
「いや、でも俺は嫌いじゃないですよ。体の弱い叔父さんにだけ献身とわざとらしいほどの甘えた子供の顔を見せる一方で、どうでもいい相手にはこの俺様ぶり。ギャップ要素はジャッジの高評価が期待できます。ただ俺様系ショタはデレの分量が難しいので、攻略対象に面倒な子供と言った悪い印象を持たれないよう細やかなデレの調整が必要でしょう。難易度の高い技術になりますが、メルヒオール選手もその辺りに充分注意してベストな状態で競技に挑んでもらいたいですね」
図らずも俺様ショタに一家言ありすぎたメガネの詳しい解説に、話題を振っておきながら私も引いたが周りはもっと引いていた。
応接室にはテーブルをはさんで向かい合わせにソファが二つ置かれているが、そこには座らず壁際の、美術品と思われるなにやらきんきらとしたでかい壺。それと同じ並びにひっそり置かれた布張りのイスで待機したテオが、感情を失ったような顔付きで大人の話をジャマしてはいけないと静かにしていたじゅげむの耳をぎゅっとふさいでくれている。一分のすきもない配慮。さすテオ。我々は大体教育に悪い。
ただその配慮に伴ってテオの両手がふさがってしまい、フェネさんと金ちゃんの自由度は上がった。
金ちゃんはまあほぼ寝てる状態なのでいいのだが、……いや、やはりこれもきんきらとしたよく解らない宝石箱みたいなほどほどの箱を人様のお宅のどこからか引っ張り出してきてちょうどいい感じで枕にするのはやめて欲しいが、おとなしいのは助かる。枕は早急に変えていただきたい。
対して、フェネさんは元気いっぱいだ。
今もテオの手が離れた一瞬を逃さず、興味津々にソファに座ったメルヒオールに忍びよる。そしてふんすふんすと鼻を鳴らしてにおいを確かめるみたいな動きを見せて、「ねー、ちょっとだけかじってもいーい?」と、全然よくない問い掛けを投げる。フェネさんは天真爛漫なのだ。
その様に自称神の妻たるテオが腰掛けたイスをあわてて離れ、白い毛玉を捕獲した。
すると今度は耳をふさがれ保護されていたじゅげむがフリーになるのだが、じゅげむは空気の読める優等生なので問題はないのだ。
――普段なら。
たもっちゃんと私がやいやいと「もうこうなると逆にどうして叔父さんにだけかわいい顔するのか解んねえな」と遠慮のない感想を述べ、すっかりかわいげのなくなったメルヒオール少年が「は? おじ様にはかわいいと思われたいだろうが」と今日一番のガチギレを見せていた時である。
そうか。叔父さんにはかわいいと思われたいのか。
その時、こそっとソファのそばに近付いたじゅげむが、おずおずとして問い掛けた。
「おにいさん、わるいことするの?」
子供から子供に向けられたその質問は、あまりにも純粋なものだった。他意も計算もなにもなく、ただ事実が確かめたかっただけなのだろう。
「ピュア~!」
思わずそんな、意味の解らない鳴き声が我々の喉からほとばしる。
我々と言うには発生源がメガネと私の局地的なものだが、仕方ない。今のところデレのない俺様ショタを見すぎたせいか、じゅげむのピュアさがあまりにもまぶしい。
けれどもそうして騒がしい大人のことなど目に入らない様子で、じゅげむは一生懸命に自分よりいくらか年上のメルヒオールに言いつのる。
「あのね、わるいことしないならだいじょうぶなんだよ。たもつおじさんも、りこさんも、おこったりしないでちゃんとおはなしきいてくれるんだよ。だからね、あのね、おはなししたらいいんだよ。ほんとだよ」
じゅげむは少し離れた位置にいて、ちょくちょく耳をふさがれていた。それに我々も諸事情あって、会話には主語が含まれていない。
だからきっと訳が解らないはずなのに、彼は、我々のもめているらしき空気を察した。
そして、そんな必要はないのだと、じゅげむはメルヒオールの説得に努めた。
我々がじゅげむからの信頼を裏切ったことなど一回もなく、これからも絶対にあり得ないかのようなその態度。重い。いや違う。うれしい。うれしいけど重い。
我々は、じゅげむから全幅の信頼をよせられるにふさわしい大人になれているのだろうか。年だけはもうだいぶ前から大人ではあるが、信頼って言うとちょっとだいぶ自信ない。
思わぬ角度からピュアに心をえぐられて、ぷええと小さく奇声を発するメガネと私、それからまだ方針を決めかねて「わたくし、どうすれば……?」と途方に暮れたままでいるレイニーの前で、しかし二人の子供らはなんか意外と意気投合し始めた。
「解るぞ。うちのおじ様もそうだ。ちゃんと相手の言い分を聞いて、それからよくないところはよくないと言ってくださる。行いを正す機会をお与えになるんだ。問題は、相手がその寛大さにふさわしくない場合も往々にしてあると言うことだ」
例えば、ちょうどホラーツ家の当主と、先代の後妻がそうであるように。
メルヒオール・ホラーツはそう語り、まるで同志を得たように同じソファで隣にちょこんと腰掛けたじゅげむへ、悪くないほうの叔父の素晴らしさ、それからその叔父の正しく寛大な心をムダにする愚かなる者たちへの怒りをぐつぐつ静かに沸騰させた。
その様子を見ているとなんか、メルヒオール、叔父さん好きだなって。なんかもう、強火だなって。
悪魔の素養をうっすらと受け継ぎ、その対応でレイニーを悩ませている少年はなんか、叔父さんがいればいける気がすると思わせるものが強めにあった。頼もしい。あくまでもなんとなくではあるのだが。
メルヒオールの身近な大人への強火の感じの親愛に、なぜかじゅげむが「わかるう」と雑な共感を見せている時だ。
どこからともなくわーわーとした喧噪が、遠く、そしてどんどん近付いて、応接間の扉がどかんと開いた。
「ここか! 無事か!」
そうして怒鳴り込むような勢いで、謎の角材やら使い古したホウキやらを手に手に持って現れたのはどうやら街の人たちだった。
その集団の前のほうにいるのは、頭を白い布でおおった薬屋である。どうしたのかと思ったら、我々がホラーツ家に連れて行かれて戻ってこないのでこれ絶対やべえやつやろと助けにきてくれたらしい。
「そしたら兵隊も帰っちまってて、使用人もいねえ。簡単に家の中まで入り込めて、なんかかえって恐かった」
彼らはのちに、そんな所感を述べた。




