633 まあまあに素朴
よくないほうのホラーツ家により支配されていたこの街は、そこそこの規模ながら地方に位置した素朴な街だ。
そこに暮らす人々もまあまあに素朴で、誤解を恐れず簡単に言うとなんかすごくチョロかった。
「なんと……なんと言う、寛大な……!」
はっとした様子で口走るのは男性だった。
憲兵と言うのだろうか。
街を守る兵士の装備を身に着けて、ホラーツ家の二人に対し厳しい質問を重ねていたはずの人物だ。
なにやら打ち震えるかのように、ひたりとこちらに向けた目元に光るものをにじませてさえいるのが解る。
この感じ、どう言えばいいのか。ええ……と引いてる私に代わり、たもっちゃんが的確に言語化してくれた。
「やっべ。あの兵隊さん、リコのクソ雑な話に感銘受けちゃってる」
「やっぱり……?」
私も心底マジそれと思う。
属性よりも言動じゃない?
シンプルにまとめるとそれだけの、無責任かつなにも深くは考えてないうだうだとした私の発言は、なんか知らんが波紋を呼んだ。
主にこの地方の街を守る素朴な兵士らがはっと感銘を受けるなどして、ほんの少し、流れが変わることになる。
なにがと言うと、ホラーツ家の当主と先代の奥方の不正や犯罪が自白の形で明るみに出て、その親族と言うことで共犯とみなされ厳しい立場に立たされるはずだった残された家族。
先代の息子である少年、メルヒオール・ホラーツ。
そして先代、当代の年の離れた弟に当たる、ジーグルト・ホラーツ。
この二人の処遇についてだ。
兵士らも、そして街の住人たちも。今の代官や先代の妻であった奥方が好き放題になしてきた、長年の横暴に鬱屈とした不満を持つのは変わらない。
けれどもその血縁だと言うだけで、残された家族も同罪であると決め付けてもよいものか?
そんな疑問が呈された形だ。
もちろん、私の発言だけが理由ではない。
と言うかほとんど確実に、私が投げた小さな小石はかすかに水面を波立たせたにすぎない。
その揺らぎを見逃さず、助かるための道筋を自力で開いたのはまだ十にも満たない子供。メルヒオール・ホラーツだ。
レイニーによれば悪魔の素養をほんのわずかに受け継ぎ秘めたこの少年は、今だ、とでも言うようにわっと感情を爆発させた。
「上のおじも、母も! 許されないことを……しました。それを許せとは言いません、許していいはずがない! でも、わかって欲しい。下の、このジーグルトおじ様も、僕も、自由などなかった。おじ様は特に! 上のおじや母の不徳を咎め疎まれ、毒を盛られたこともある。どうにか一命はとりとめたけれど、すっかり体を壊されてしまった。今も苦しんでおられるのに、なおも母たちを止めようとするのを僕がやめてくださいとお願いして止めた。おじ様がいなくなってしまえば、僕は一人になってしまうから……。僕のわがままだ。命を捨てればもっと早く、母たちをどうにかできたかも知れない。でも、できなかった。できたのは、母たちが隠した秘密を噂として街に流す程度で……僕は、我が身が情けない……!」
わーっと一気に吐き出して、少年はソファに腰掛けた小柄な体をウッと伏せ隣に座る下の叔父――ジーグルトの痩躯に取りすがる。
困ったように、いたわるように。子供の体を受け止めたジーグルトの痩せた手のなでる、子供の小さな桑色の頭が小刻みに震えているのはまるで泣いているかのようだ。
完璧だった。
その様子にはつい先ほどまで彼らをほとんど尋問のように厳しく詰めていた兵士らも、そっかあ。それはつらかったねえ。わかる。みたいな感じでええ話やと、すっかりほだされているよう見えた。
こうしてメルヒオールとジーグルトの二人は、悪くないほうのホラーツ家として同情的に扱われる空気ができたのだ。
私はこれを、計算だと思う。
この騒動の原因と言うか、渦中にあるホラーツ家は現在、四名の家族によって構成されている。
一人はまず最初に向こうからアグレッシブに接触してきた先代の妻でありメルヒオールの母親で、悪魔と契約してまでも権力と財力を求めた悪女。これはすでに悪魔とその力を失って、自らうっかり悪事を自爆的に告白し憲兵に身柄を捕えられている。
もう一人は兄である先代の死により代官の任とホラーツ家当主の座を手に入れた、そのすぐ下の弟だ。これもまた先代の妻である義理の姉の自白によって芋づる式に罪を問われ、拘束される予定だ。その前にうっかり自損事故を起こし、今は取り急ぎ治療中である。
ここまでがよくないほうのホラーツ家二名。
そして悪くないほうのホラーツ家二名は、すでに亡き先代当主と悪徳まみれの現在の当主からは年の離れた弟に当たる二十代半ばの男性で、その正しさから二番目の兄と義理の姉にうとまれて毒殺され掛けたと言うジーグルト・ホラーツ。
そして先代とその後妻の遺児であるメルヒオール・ホラーツだ。
メルヒオールはいまだ十にも満たない年齢ながら、明らかに批判的な姿勢でもって現れた大勢の兵士を相手にしながらも非常にしっかりとした聡明さを示した。
それがあくどい身内を間近に見てきて学んだものか、それともほんのわずかに生まれ持った悪魔の素養がそうさせるのか。はっきりとは解らない。
とにかく、メルヒオールはうまくやった。
悪辣な大人を前にして無力な子供でありながら、正しさゆえに遅れを取った唯一の味方である叔父と、どうにか支え合い必死に生き抜いた子供。
その立ち位置を最大限にアピールし、無害であることを印象付けた。
それは成功したと思う。
兵たちの心がはっと揺らいだタイミングを逃さず、身内の悪事をかばわず認めて自らもまた力不足を率直に詫びた。
まあ、要素としては情に訴えた泣き落としなのだが、やってるのが子供だ。
血筋としてはホラーツ家に連なってしまう彼らのことを厳しく問い詰めにきた兵士らにすら、なんかやたらとてきめんに効いた。
では兵士ですらもほだされてしまう子供に対し、ただでさえ鈍いほうの私がどうして計算だと断言できるのか。
それはあまりにも純朴に、あまりにもチョロくほだされてしまった憲兵たちが「よっしゃ解った! おっちゃんたちが悪い奴こらしめてやっかんな!」と張り切って屋敷を飛び出してしまい、このホラーツ家の住人とただただ部外者の我々だけが残されてからじわじわと、確信めいていだいた所感だ。
そもそも、子供がそれっぽく言ってるだけで証拠もなにもないことを、そのまま丸々信じると言うのも善良がすぎる。
なのに兵士のおっさんたちは、監視も残さず帰ってしまう。びっくりした。
どこかぐんにゃりとした感触に、たもっちゃんへと「ねえ、これ……」と言葉にならない複雑な気持ちをぐんにゃりとした表情だけでなんとか伝われてと顔面を向けると、やはり複雑にぐんにゃりしたメガネがこちらを見返し「いや……でもマジで悪いの捕まってる二人だけっぽいから……」と、まるでガン見で答えをカンニングしたかのように応じた。
じゃあ、まあ……いいのか。手順に問題があるだけで。
それじゃあなんかよく解らんけど我々も帰らせてもらおうかな……と、のろのろソファを立ち上がり体をばきぼき伸ばしていると、「待て」と声を掛けられた。声の主は若い。少年だ。
桑色の髪に竜胆色の瞳を持った、メルヒオール・ホラーツだった。
「メルヒオール?」
どうしたのかと穏やかに、二十代半ばと思われる男性。ジーグルト・ホラーツが、腰掛けたソファの上から灰茶の瞳で甥に問う。
彼らはよく似た髪色を持つが、瞳の色は全く違った。まるで内に秘められた、気性の違いがにじみ出しているかのようだ。
叔父の問い掛けにはっとして、メルヒオールはほんの一瞬、しまった。と言う表情を浮かべた。けれどもその顔は我々に向き、ジーグルトには見えてない。
少年はすぐにごまかすような、あざとく甘えた表情を作り叔父のほうを振り返る。
「少し、この者たちと話したいと思います。おじ様は先にお戻りに。疲れたでしょう?」
「そうは行かないよ。うちの事情で迷惑を掛けしたお客様だ」
もてなさなくては。
そんな使命感を感じさせるジーグルト・ホラーツはしかし、甥が心配する通り顔色がもう死んでいる。
「あっ、毒? 毒にやられた後遺症的なあれ? 休んで……マジで休んで……」
「お茶いります? 体にいいやつ。ちょっとだいぶいいお茶なんですけど……」
よう見たらキミ、ふらっふらやないかい。と、我々も急に心配で騒いだ。




