632 ホラーツ家
いや、解るよ。
ちゃんと確認してから騒いで。と言う気持ちはもちろんあるが、死んでそうな雰囲気あると近付きたくないよね。解る。でも今回が実際そうだったみたいにギリで生きてることもあるので、どうにか確認はして欲しい。
そんなこんながあったりなかったりで、少しのち。
一回死んだことにされていたホラーツ家の現当主は、見た感じ派手に出血していたものの傷自体は軽傷。
治癒師の診察を受けている途中にチラっと意識を取り戻したそうだが、ベッドの周囲をぎちぎちに街の兵が囲んでいるのに気が付いていっそほほ笑むかのようなおだやかな顔ですうっと再び眠ったと言う。現実からの逃避。
あれみたい。こたつでちょっとだけのつもりでうたた寝したら思いのほか長時間寝てしまい、そのショックでもう一回寝直してしまうやつみたい。違うか。
こたつで寝ちゃうと上半身と下半身の温度差、または脱水からの血栓リスクがどうのこうので思いのほか危ないって話をなにかで聞いた気がするが、今は全然関係なかった。恐い。レイニーからすでに断られているトイレ的な魔法をアテにせず、たまにこたつとの関係に距離を置くなどの気を付けて行きたい。今は関係ないけども。
現実からのショック寝で一時的にログアウトしているホラーツ家の当主は、ケガをきっちり治療してから叩き起こし、これまでの悪事と言う悪事を全方位から詰めて行く方針とのことだ。頼もしい。
この、当事者にしか関係のない、そして知る必要も手立てもなさそうなまあまあ細かい事情やなんかをどうして私が知っているのかと言えば、なぜか、いやなぜかって言うかね。
結局、一回も会う機会のなかったホラーツ家の当主が不正の疑いで捕縛されたのと、それ以前の死んだと思われていた時点ですでに我々が連れてこられたそもそもの理由が消滅してて用済み感があったのでもう帰っていいかなとぼーっとしてたら改めて事情を聞きたいと、ホラーツ家の残された家族と一緒にそのお屋敷の応接間へ押し込まれてしまったからだ。
もうだいぶ巻き込まれてはいても、部外者の我々。
片や当事者であるホラーツ家の家族――先代と現当主からは年の離れた弟に当たる男性と、表向きは先代と奥方の一人息子である十歳に満たない少年だ。
なぜ一緒くたにしたのか。
今は街の兵士の厳しめの詰問に彼ら、ホラーツ家の二人が静かに答えるのをじっくり聞くような状況になっている。よくない。プライバシーもなんもあったもんじゃねえ。
できれば別室待機にして欲しかったし、あと、こちらはこちらでテオががっちり捕まえているフェネさんがさっきから「ねー! あれ! あれ! あの変なやつと同じ気配する! ちょっとだけかじっていい? ちょっとだけ! 味見!」とやかましいので色んな意味で気が気ではなかった。
フェネさんはソフトな尋問部屋と化しているこの応接間に案内されて、ホラーツ家の少年が視界に入った瞬間に「あっ! さっきのやつと同じにおいする!」と叫んで、やる気いっぱいに飛び掛かろうとしていた。
我々、あわてふためきましたね。
フェネさあん! と反射的かつ必死で叫び、ラグビーボールを追うラガーマンのように白い毛玉の生物目掛けて一斉に殺到。しっちゃかめっちゃかに組み付いた。
結局、よそ様の見知らぬ子供に光のような素早さで飛び掛かろうとしたフェネさんを、なりふり構わぬダイビングキャッチで確保したのはテオだった。
さす妻……。きっと立派なスター選手になる……。所属チームの財政難にはヌードカレンダーとか出して、あらゆる意味で活躍するに違いない。
このマジでご勘弁いただきたかったフェネさんの一件は、しかしある事実を浮かび上がらせるきっかけにもなった。
今日、フェネさんがかじりたがった「さっきのやつ」とは、悪魔のことだ。
それと似たにおいを、目の前の少年がさせている。
この二つから導き出される可能性に、レイニーがはっとした。
そしてガン見で出てきた説明が怪しい契約書の大事なとこくらい小さい文字で読むのに苦労しているメガネのように目を細め、ものすごい顔で少年を見詰めながらにじりじりとと近付き、ある地点でぴたりと動きを止めたかと思うと体をすっと後ろへ引いて我々が座るソファへと戻った。
直前の行動があまりに怪しかったのでちょびっとだけこっちくんなと思ったが、レイニーはここまでくると逆に落ち着いたみたいな顔でソファに腰をおろして言った。
「ほんのわずかですが、まざっているようです」
静かな声だ。
主語はない。
でもこの流れ、悪魔じゃん。
フェネさんがかじりたがってた、悪魔のことしかないじゃんほかに。
恐れのようなドン引きで、嘘やろと私の喉がごくりと鳴った。
「まざるとかあんの……?」
「いや、お母さん通じて呪いが遺伝する事もあるくらいだから……母親がつかれてる状態で妊娠出産したらまざるって事も、ある……かも……?」
ほとんどひとり言になってしまった私の声に、すぐ横でメガネがひそひそと全然頼りにならない考察を見せる。
場所が場所である。人様のお宅の応接間とかの。
すぐそこでこの世界の住人たちが厳しめの聞き取り調査を行ったり行われたりしており、一応その耳目を気にした我々の会話は決定的な語彙を避け極めてふわっふわである。
この異世界でも天使や悪魔や神や天界なんかの話題はおとぎ話の範疇で、確実にあるものとして大きな声で語ってしまうとちょっと遠巻きにされてしまうのだ。
そもそもが、なんかここにいるってだけで身元とか全然怪しめの我々。これ以上はいけない。怪しい言動するのとか。やめよう。
そんな気持ちが我々に言葉を選ばせて、蚊の鳴くような声にさせ、なぜだか自然と背中を丸めさせた。不思議だ。なんか勝手に体勢がこうなるし、そのなにもかもがこそこそした感じをかもし出す。
半分は自主的に作り出したその特殊な状況下、ふわふわ会議で解ったのはどうやら、例の奥方が悪魔と契約していたためにその息子にも悪魔の素養がわずかながらに受け継がれてしまっているらしいと言うことだ。
悪魔である。
いつもならば天使たる者の本分として我先にボコボコにしに行くレイニーが、今はなぜか落ち着いていた。いや、天使なのに悪魔の気配を見逃してフェネさんの野生の嗅覚に遅れを取ってしまったことに若干しょんぼりしているようにも思われた。
だが、そのこととはまた別にレイニーを深く困惑させるのはその少年が、まぎれもなく人であると言う事実だ。
「あれ、は……忌むべきもの。それは間違いありません。けれど、わたくしは地上の命にも関れないのです。どう……これは、わたくしは……どうすれば?」
悪魔絶対駆逐するマンの天使としてのスタンスと、複雑な生い立ちで複雑なことになっている少年の存在に、もうこれ訳解んねえぞ。みたいな顔でレイニーはなぜだかこっちを見詰めて助けを求めた。
どうして。
我々に的確なアドバイスなんかできるはずもないでしょうが。
「いやあ……困るねえ……」
「憑依されてるとか契約してるとかじゃないんだもんねぇ……生物としてまざっちゃってるんだねぇ……困るねぇ……」
同じソファでうっかり真横に座られてしまった私と、さらにその隣に腰掛けたメガネはただただふわっとした共感を示して一緒に困るだけである。困るね……。
まあそれはいい。
全然よくはないのだが、あまりにも手に負えないので考えても仕方ない。だからこれは大体の感じで、思い付くままそんなに深い意味はなくうだうだこぼしただけだった。
「いやあ、でもさあ。我々……いや、我々っつうか人間? 属性とかで人のこと決め付けちゃうとこあるけどさあ、そうでもないこともなくはないってゆーかー。なんつーの? どう生まれ付いたかよりも、なにをしたかが大事みたいなとこあったりするじゃない? 多分。どうなんですかね。まだなんも悪いことしてないのに、なんか悪そうって決め付けて小突き回して追い詰めるのも別に正義とは言えないんじゃないですかね」
知らんけど。
私は特に深い考えもなく口からぼろぼろ言葉をこぼし、最後に全責任を回避する魔法の言葉を心の中で呟いた。恐らく、心の中でだけでなく実際に主張するべきだった。
「なんと……」
そんな声が耳を打つ。
どうしたのかとそちらを見るとホラーツ家の男性と少年、街の兵士がはっとした様子でこちらを向いていた。
私は思った。いかん、と。
くそほどテキトーな大体の言葉が、なんかやたらと響いてしまっているような気がする。




