631 問題の幕開け
征夷大将軍に献上するため大事に育てられた白いお馬にまたがって、パカラパカラと駆け抜ける八代目辺りの笑顔さわやかな上様。
の、ことに思いをはせようとしてたのに、なぜか途中から馬を駆りつつ高笑いする武者姫の姿にイメージを浸食されてしまう深刻なバグ。でも似合う。暴れ武者姫。あつらえたかのよう。
なんか妙にしっくりくるなとムダに深く納得しながら我々は、食事も取らず金ちゃんの薬を作ってくれた薬屋も誘ってお昼をもそもそいただいた。
一足先に始めていたので早く食べ終えたメガネや私が大事なお薬をノータイムで吹き出す金ちゃんのため、オブラートちゃう? こう言う時のためのオブラートなんちゃう? などと雑談のようにやいやい検討し、さすがにオブラートの手持ちがないから端っこをぎゅっと圧着させるタイプのホットサンドにほかの食材と一緒にはさんでごまかしてみたらどうやろか。みたいなざっくりとした方針を打ち出した。
オブラートとは? それに、ホットサンドとは? と興味を持った薬屋のため備蓄のホットサンドをほかほかとアイテムボックスから出して提供し、ほんとだあったかい。やわらかい。なのにさくさくする。おいしい。と、やわらかいパン、そしてホットサンドに初めて出会った薬屋の、語彙力をなくした新鮮なリアクションにメガネがどやどや気持ちよくなっていた。
そうでしょそうでしょすごいでしょ。などとすっかり騒がしい薬屋の店に、兵士たちが現れたのはそんな昼下がりのことである。
先ほど貴婦人を捕縛して行った街の兵とは装備が違う。そのことが、また別の組織系統なのだろうかと思わせる。
彼らはそう広くない薬屋の店内をぐるりと見回して、我々を見下ろすと鼻から息を吐くように告げた。
「ホラーツ家ご当主のお呼びである」
これが新たな問題の幕開けだったような気がするが、我々は基本寝ぼけているのでこの時も今ちょっとオブラート代わりのホットサンド作るんで忙しいからまたあとでいいっすか? とか言って空気を読まずにそっちはあとで感を出し、悪気だけはないのだが相手の心象を一気に悪くしたりしていた。
まあ、これは普通にいい訳がないだろうとキレられてすぐさま引っ立てられることになる。この異世界に平民の人権なんてちょびっとしかないのだ。
そうして、我々を呼び出したホラーツ家の当主。
これはすでに亡い先代の弟で、その兄の妻であった義理の姉――例の貴婦人と結託し色々とやらかした上で権力を手にした人物である。
この時点での我々はまだその事実を知らないが、知る必要があったかどうか、だけで言うなら別にもう必要でもなかった。
それは「この生意気な平民め!」と言った感じの扱いで兵士たちに引っ立てられて、街の中心部にどーんと建ったなんとなく立派なお屋敷に連れて行かれた時にはもうすでに、全て終わっていたからだ。
死んだのだ。
ホラーツ家の当主は。
身辺を守る私兵を使い私たちを呼びにやり、彼らが戻るまでのいくらかの間に。
我々がかの屋敷に着いた時、だからそこは混乱のさなかにあった。それでいて荒れ狂うほどの恐慌を、不自然な静寂が押さえ付けているかのようにも思われた。
事故だったそうだ。
主をそばで守るはずの私兵らが、屋敷を守る鉄柵の門扉をくぐって外から戻ってきたことにおどろき、同時に怒りをにじませて噛み付いたのはホラーツ家の執事らしき小柄な初老の男性だった。
「なにをしていた! どうして旦那様を守らなかった!」
門から屋敷までの間のちょっとした庭で、玄関を開け放ち飛び出してきた執事は小太りな体躯をぶるぶると震わす。そして「なにがあった?」と戸惑う兵士を血走る両目でギッとにらんだ。
「旦那様は、奥様が捕まり、余計な事までべらべら白状していると聞いて動揺されたようだ。奥様と憲兵の口を塞ぎに行こうと急がれて、大階段を踏み外し転げ落ちてお亡くなりになった」
小太りの執事は、「オレたちもまずいぞ。旦那様がいなければ、これまでの事も……」とまで言い掛けて、やっと兵士らが連れてきた我々の存在に気が付いた。
「ソレは?」
ソレ。
「奥様とやりあった冒険者だ。旦那様の命で捕えた」
捕えた。
この言われように、さすかにメガネと私も気が付いた。
「あっ、俺ら捕らわれてた」
「嘘やん。呼ばれただけかと思ってた」
なにやら不穏さただよう彼らの会話から察するに、もしかしたら我々もよからぬ感じで口をふさがんと身柄を確保されていたのかも知れない。
これだからいらんことする系のえらい奴は……。こわ……。
「えっ、まずい? たもっちゃん、これまずい?」
「いや解んない。口封じっぽい強めのムーブあるけど、呼んだ本人はもういない訳だからー。どうだろ」
うっすら心配になってきて思わずそんな会話をするが、我々が危機感を持ち始めても彼らは別に気にしなかった。
と言うか、小太りの執事と私兵のリーダーと思われる男は険悪に話し合うのに忙しい。ほとんど言い争いだった。
奥方の捕縛に始まったこのめまぐるしい状況の変化に、自分たちの身の振りかたをどうするかで頭がいっぱいなのだろう。
彼らもまた亡くなったばかりのホラーツ家当主の言いなりに、それか雇い主の権威をかさに着て、まあまあえげつないことをやってきた悪党だったようなので。
いや……、目の前で売り言葉に買い言葉とばかりに全部言ってくれるからさあ……。興味もないのに奴らのことになんか詳しくなっちゃった。我々、いますけど。見えてないみたいに普通に話すじゃん。せめてもうちょっと隠して欲しい。
私などはぼんやりとなんかやべえなと思う程度だが、テオはじゅげむとフェネさんをレイニーに押し付け、腰に吊るした予備の剣へとさりげなく手をやっている。雷属性の魔力がちょっと出ちゃっているのか、空気がぴりぴりするかのようだ。一応金ちゃんもいるのだが、そちらはまた眠たくなったのか大きな口であくびなどしている。
このカオスのような緊張はしかし、致命的に張り詰め弾ける前に別の要因によって砕かれた。
街の兵士が集団で、武装したものものしい姿で屋敷になだれ込んできたのだ。
彼らはやる気いっぱいだった。
街を守る役職ながら、権力的なあれこれで代官の家には色々と煮え湯を飲まされてきたらしい。
それが今日、衆人環視の状況で悪事をすっかり白状してしまった奥方の自白と身柄を図らずも押さえ、不正とお昼のドラマみたいな設定にまみれた代官の家をぶっ潰す絶好の機会が訪れた。行ける気がする。彼らがそう思ったかどうかは知らないが、とにかく覚悟ガンギマリなのだ。
当然、自分たちも後ろ暗い使用人や私兵らは抵抗。ちょっとしたもみ合いに発展してしまった。
ちょっと前からもう気持ちが付いて行けてない我々は、こそこそと端のほうに避難して「なんか大変だあ」と完全なるひとごととしてただただ無力に見守るばかりだ。
と言っても、ホラーツ家の当主はすでに亡くなっている。うっかりと。事故で。
これ、もめる意味あるんやろか。
と、傍観者の立ち位置で我々もうっすら思っていたのだが、抵抗していた使用人や私兵らが途中、あれ……? 逃げるなら今では……? みたいな顔になった順に一人、また一人ともみ合う輪から離脱してそっとどこかへ消えていた。要領がいい。
たださすがに街の兵士も張り切っているので、しっかり追い掛け身柄を確保したりと油断なく働く。
まあそれで、主にいかつい男らがわあわあもみ合うのと同時に、どうやら当主がつい先ほど死んだらしいとの情報があっちこっちにしみ込んで、なんでだよ! と街の兵士らを逆ギレさせたり、死んだことにして逃がしたんじゃないだろうなと疑われたり、そう言えばおめーら無事かとやっと我々の存在が認識されたり、在りし日の当主の命で私兵らがよからぬ感じで我々を連れてきたことは街の住人が通報してくれていたらしくその辺の話も詰めようなとなったり、とにかく現状確認をしようと屋敷に入った街の兵士が「頭から血ぃ出てっけど生きてるじゃねぇか!」と新しくキレ直しながら玄関から飛び出し、そのまま治癒師を呼びに走ったりした。忙しい。
どうも、色々あってあわてた当主が派手に足を踏み外し長めの階段をもんどりうって転がり落ちてピクリとも動かず、じわりと床に広がる頭からの出血に「あ、これは死んだ」と周りが早とちりしたようだ。




