630 噂の通り
悪魔の力を借りてまで後妻業に全力で取り組んだ貴婦人は、異臭騒ぎからの公開自白、それを受けて駆け付けた街の兵士らにものすごい顔で連れて行かれた。
それを見送るのは我々と、建物の窓や扉を少しだけ開いてひそひそとささやき声で空気を揺らす、街の住人たちである。
やっぱり。怪しいと思ってた。ほら、噂の通りじゃないの。
誰とも知れないささやきが、あらゆる場所からさざめくように街の空気を染め上げる。
あとなんか、「先の代官様、いい人だったけど女に弱かったから……」「いい人だったけど……」「女見る目はなかったから……」などと、残念そうなささやきも聞こえたような気がするが、その人のことをまるで知らない私までなんだか悲しくなってしまった。見る目なかったのか……。
すごいくさいガスによる異臭の発生と、そのあとに続く悪魔的な貴婦人と我々のぎゃあぎゃあとした対決。
これだけで、街の住人たちが避難の意味で身を隠すには充分な理由になったと思う。
それに、雨期の終わりの細かな雨がしとしと地上を湿らせて、元から街に人影はまばらでもあった。
けれども、あくまで街中だ。
姿は見えなかったとしても耳目はそこら中にあり、素直すぎる貴婦人の自白は全部聞かれていたらしい。そのため街の兵士への通報も、複数の市民から数多くよせられていたようだ。
我々は、貴婦人を連れて行ったのとはまた別の兵士に軽く事情を聞かれた上で、しばらく街を出ないようにとドラマなんかで怪しい奴が言われるセリフを聞かされて、その場では一応の放免となった。
彼らは目覚めた御者や馬や馬車も回収して行くとのことで、一緒に持って行かれる前にいまだ寝ぼけ半分に試練パンを口いっぱいに頬張ってどうにかふやかそうとがんばる金ちゃんを急いで馬車の屋根から引きずりおろす。
その大きな存在がやっと手元へ戻ってほっとして、同時に、そもそも付いて行くなやとキレ気味の思いに襲われた。
我々がやり場のない複雑な気持ちを持て余し、もー金ちゃん。マジで。もーマジで金ちゃん。と、むきむきとしたトロールの肩や背中をばしばし叩いていた時だ。
「おい」
と、声が掛けられた。
見ると、白い布を頭に巻いた薬屋の男がそこにいる。そしてぶっきらぼうに言葉を継いだ。
「薬、要るんだろ。こいよ」
その顔面にはどことなく「なんなのこいつら」とでも言うような微妙にくしゃっとした感情がにじむようにも思えたが、なんか知らんが態度が急に軟化した。助かる。
薬屋に連れられ店へと戻り、先ほどドン引きの様子で別れたテオと再び無事に合流を果たす。だがその表情は悲しげで複雑そうなので、心は無事ではないのかも知れない。
我々のねちゃっとよくないところからテオに保護され待っていたじゅげむは、戻ってきた金ちゃんにがばっと抱き付き出迎えた。目にはうっすら涙が見えて、よっぽど心配していたようだ。
一方、同じくテオに捕獲され、今もがっしり確保されてるフェネさんは「我も活躍したかった! ひとくちでいいからかじりたかった!」と、ぐねんぐねんに小さな体をくねらせて全身でだだをこねていた。
この感じは大体よく見る光景なので我々はほぼほぼスルーしていたが、なんか「あのへんなの! ひとくち! ひとくち!」と騒いでいたことから、どうやら自称神の野生の勘で悪い貴婦人の中に潜んだ悪魔の存在をうっすら感知していたようだ。
私はそんなの知る訳がないので、あの変なのってなんやろか。そんな疑問を素朴に覚えたうちのメガネがガン見の看破で突き止めて、ねえ聞いてフェネさんやばいと小声でこそこそ教えてくれた。
「ええ……フェネさん悪魔かじろうとしてんの……?」
「解る。引く」
おめーも引いてんのかメガネ。
しかし、あれやな。悪魔とか気配だけで解るんか。さすが自称でも神やな。
なんとなくそう感心する気持ちで私が「悪魔とか解んの? すげーじゃん」とフェネさんをほめると見せ掛けてゴージャスな毛皮をもみしだくなどしてみると、キツネの神の分体の小さな毛玉は金の両目をきょとんとさせて「あくま? あくまってなに?」などと、妙にピュアなリアクションを見せた。
なんか変なのを感知したってだけで、別に悪魔と解ってはなかったらしい。こわい。なんなのかよく解ってないのに、大体の感じで悪魔をかじろうとすんのやめといて欲しい。
こうして、レイニーや上司さんが悪魔玉を回収する作業を見守るだけで巻き込まれる以外には特にはなにもしてない我々がなんとなく一仕事終えたみたいな空気を出してやいやいと恐い割にはどうでもいい話をしている間に、薬屋の男は店舗の奥のカウンターのさらに向こうの扉の奥の調剤室で薬を用意してくれていた。
さっきから時折、ごりんっ、ごりんっ、ドドドドドみたいなすげえ音が聞こえてくるが、あれは大丈夫なのだろうか。心配だ。薬のことはよく解らないので、我々にはじっと待っていることしかできない。無力。お昼になったので薬屋の中で勝手に軽食を広げたりしている。
しばらくすると音がやみ、薬屋が調合室から姿を現しカウンターくぐってこちらへと出てくる。その手には両手でないと持てないほどの陶器の大きな鉢があり、なにやらヘドロのような色合いのどろんどろんの液体に木の匙が突っ込んだまま渡された。
「これを三日三晩、隙あらば口に含ませろ。本能的に吐き出すと思うが、構わずどんどん入れて行け。いくらかは摂取できるはずだ」
「それはどう言う劇薬なの?」
薬の鉢を受け取ったメガネの横から思わず口をはさんでしまう。
劇薬の厳密な定義は知らないが、体調の悪い時に飲む薬ではあんまり聞かない説明だった。どうして。
これは、なにそれ気になると謎の好奇心を出したメガネがいそいそと、やっと固いパンが溶けてきた金ちゃんの口にどろんどろんの液体をまとった木の匙を突っ込み、ノータイムで唾液を含んでぬたっとしたパンごと顔面に吐き出されると言う事件へ続く伏線となった。回収が早い。
草によりずっとうつらうつらしてた金ちゃんも、数秒前まで口の中で大事に溶かしていたパンがなぜか目の前のメガネの顔面にぬたっとへばり付いていることにさすがにおどろいてしまったようだ。自分でもなにが起こったか解らない様子で、目を見開いてぼう然としてた。かわいそう。
私は嫌な予感がしてたので、じゅげむを金ちゃんから引っぺがして避難し、安全なところでずっと笑っている。
「でもこのお薬、お高いんでしょう?」
代金がまだなのを思い出し、さっきの流れの続きの感じで問うたのは私だ。たもっちゃんはレイニーによる執拗な洗浄を受け、あばばばばと忙しかったのだ。
すると、薬屋は今度は銅貨数枚の値段を告げた。なんでや。
「さっきと違う」
「砕いただけだからなあ。素材も、季節になれば森で簡単に手に入る。固えから口に入るようにするのが手間ってだけで、特別なもんじゃねえんだわ」
そもそも、金ちゃんの症状に有効な木の実は成分的にはそのままでよくて、薬としての特別な加工などはしないのだと薬屋は言う。
「さっきまで銀貨を巻き上げようとしてたのに……? 急に正直……」
「街の恩人には吹っ掛けねえよ」
薬屋の男は頭に巻いた白い布を乱暴に取り、現れた短髪をがしがしとかく。
「ホラーツ家の、先代の代官様は気のいい人だった。亡くなって、奥方が怪しいっつっても平民じゃ手が出ねえ。新しい代官も奥方に取り込まれてっから使えねえしよ。そうなりゃこの街ではやりたい放題だ。もうこのまま腐って行くんだと思ってたのに、あっさりとっ捕まえやがって」
「たもっちゃん、なんか言われてるよ」
恩人っつうか完全にただのなりゆきなのと、薬屋の口調がほめてんだかけなしてんだか解らなかった私は話題と責任を軽やかにパスした。
けれども、類は友を呼ぶ。
「これは俺じゃなくない? ここにいる中だとレイニーじゃない?」
「わたくし、人のせいにするのは良くないと思います」
とにかく自分だけは無傷でいたい。そんな醜い気持ちで我々は、いつ破裂するか解らない水風船をぐるぐる回すゲームみたいに責任のボールを押し付け合った。類友なので。
結局、薬の代価は銅貨で払い、たもっちゃんはまた別に金ぴかの硬貨を寄付の形で薬屋に渡した。
「あれでしょ? お金ない人に安く薬あげてるのはほんとなんでしょ? 俺ね、嫌いじゃないです。そう言う、小石川養生所」
養生所だと医療施設の分類なので薬屋とはちょっと違うかも知れないが、解る。お忍びで市井の様子を見てしまう暴れヨシムネのテーマソングが頭の中で鳴り響く。




