622 異国の王子
暗黒王子って暗黒微笑と語感が似てて、まざっちゃうからよくないな。
どちらも私が勝手に心の中で呼んでいるだけだが。
そんなぼんやりとした、そして限りなくどうでもいい心配をいだきつつ私は、なぜダークエルフさんがいないのかとくり返し、しつこく、めんどくさくごねるメガネとゴリゴリの軍人みたいないかつい感じを出しつつもレベルの高い変態を前にただただ戸惑う異国の王子を完全なるひとごととして、距離を取って眺めた。
心の底から関わりたくないと言う、正直な気持ち。大事にしたい。
まあ普段からそうでもないと言ってしまえばそれまでではあるのだが、エルフが関係してくると輪を掛けて色々ひどい変態メガネが失望のまましょっぱめの態度で、やだやだダークエルフさん連れてきてと絡んでいるのはこの国の王子だ。
そして鎧や剣などの戦闘のための装備を黒と金で統一しているいかつい王子の周りには、やはりいかつい軍人めいた補佐役らしき連れがいた。
えらい人の周りにはえらい人を取り巻く感じのまた別のえらい人とか、シンプルに恐そうな護衛みたいな役目の人がいるものなのだ。
だから、敬意からか立場上かは人によるかも知れないけども。そうした役割の人々が、自らが膝を折り仕える高貴な血筋の王子に対し、その態度は許せん。と、吹き上がるのも恐らく当然だった。不満とか。
このかたをどなたと思っているのかと、メタリックな鎧に身を包む補佐役のご婦人からぎゃんぎゃんにメガネが当然すぎるお叱りを受け、その剣幕とセリフ。それから、彼らを案内してきたと言う隣村の村長にあれが自国の王子であると教えられた村人たちが、時間差でふええと震えあがった。
王族どころか、外部の人間もめったにこない小さな村だ。
なんかすごいぴかぴかしてるけど、鎧とか。まさかそれが王族だとは、思いも付かなくても仕方ない。
そんなの普通に知っていて、なのにこうしてごねごねとめんどくさげな態度のメガネがどうかしているだけなのだ。
私はすでに魚拓の足だけ魚役を終え、かまどの煤で真っ黒にされた足の裏をレイニー先生お願いしますと綺麗に洗浄してもらった上でだいたい風呂上りに活用しているサンダルを履いた見た感じものすごく地元っぽい姿で、集まってきた村人の間に埋没を図る。
この異国の王子らも多分なにか用があってきたのだと思うが、それはよく解らない。
今の彼らは割と新鮮な獣の皮をありのまま使って靴を作ると言う都会ではあまり触れない情報に、どうやってどのくらいでどんなものができるのかと興味津々になっていてそれどころではないのだ。無邪気。
問い詰められる村のおっさんは涙目だった。
私がイノシシと認識しているからか、天界による自動翻訳も異世界の大きすぎるイノシシもこちらの名称ではなくて大森イノシシと訳されて、人の会話を聞いててもずっとそう聞こえている状態だ。解りやすくてありがたい、でもちょっと名字みたいになっている。
そうしてなぜか大森イノシシとなってしまったイノシシについて、そしてその素材の特性について、プロではないが靴を作るのが比較的得意なおっさんは初めて接する王族の黒金の王子からの質問にそわそわしながらていねいに答えた。
「大森イノシシはこの辺の、エーヴィヒナーデルベシュトラーフングが多い森でも平気で走り回るんですぁ。皮が丈夫だってんで、靴にしたらトゲを踏んでも通らねぇんで重宝します。この頃は収穫するようになって、手袋も作るかって話もしとります」
なんかちょっとあわあわとした早口だけど、大体のことは網羅したお返事ができてておっさんがえらい。なんかちょっと早口だけど。
この説明になんだか感心したように、黒金王子が「ほう!」とうなずく。
「私の靴もエーヴィヒナーデルベシュトラーフングを踏んでも大事ないよう加工してあるが、大森イノシシを使った靴はない」
加えて、自分の国でもまだ知らぬことがあるのだなあ。その靴も、一足欲しいものだ。みたいなことを言ったのを聞き付け、補佐役らしきご婦人が自らのメタリックな鎧をがしゃがしゃ鳴らして王子とおっさんの間に入る。
「それはよろしゅうございます。そこな者、殿下に一足お造りせよ」
ここまでは割とえらい人の見学会、くらいの感じに抑えてたのに、急に封建ムーブ出すじゃん。
そう言われてしまったら、下の者には承諾以外の返事は残されていない。と思う。多分。通常は。
けれどもここは、王族にも外部の客にも慣れないひなびた村だ。
靴作りの得意なおっさんは、反射的に叫んだ。
「とんでもねぇ! 偉いお人に捧げるような立派なもんは作れやしねぇ! 勘弁してくんなさい!」
謙遜と恐れが炸裂し、逆に不敬がほとばしる。
悪気だけはないのだが、印象としては最悪のやつだ。私もとてもひとごととは思えず、めちゃくちゃ同情してしまう。かわいそう。
この件は黒金王子側、村の関係者両面に一瞬緊張を走らせた。
しかしすかさず、ここより大きい隣村の村長がすささと会話に滑り込み「殿下の持ち物を素人が作るって訳には行きませんからね! それはね! 大森イノシシの素材を献上いたしまして、腕利きの職人に加工させてはいかがでしょうか!」と全力でフォローしてことなきを得た。さすが大きい村の村長である。
大きい村ってもう町って言うんとちゃうやろか。
あとね、こうしてそつなく来客と王族やその周辺への対応にも慣れている隣村の村長を見ててしみじみと思うのだが、なぜ我々はその隣村ではなくて、こちらのあんまり人がこないっぽい小さな村のほうへ案内されたのだろうか。
どちらかと言えば、旅人に慣れた大きめの村を紹介するのが自然だったのではないかと思う。こう、なんか。対応力の関係で。
連れてきたのは案内役の猟師だが、猟師を紹介したのは国境で我々の目的を聞いて話を通した役人だ。
我々がある意味ピュアな村人をだます系のよそ者だったらどうするんだ。だまさないけども。むしろ逆に塩を巻き上げられようとしているけども。
きっとなにか理由があるのだと思う。
私は心の汚れた現代人なので、その理由について想像すると、陰謀かな。癒着かな。旅人を誘い込んでなんらかの利益を上げようとしていたのかな、この村は。
みたいな、ねちゃっとしたことしか浮かばない。悲しい。汚れてんのよ発想が。それと主語が大きくて、現代人の心がみんな汚れてるみたいな言いかたしちゃった。
しかし、この想像はシンプルに違った。
これは昨日さばいた大森イノシシの素材をどれくらい、そしてどの部分を献上するかの相談が始まり皮をなめすのに結構時間が掛かるのですぐにとは行かないみたいな話になった時、王子側から異世界栗の輸出を取り仕切るためしばらく隣村に滞在するので時間は……まあ、大丈夫だ。みたいな申し入れがあってうっすら判明したのだが、ただ単純に我々が栗を求めて入国した時点で隣村にはもうすでに黒金暗黒系の王子たちがいたので、警備上、よく解らないよそ者を近付けるのは避けたかっただけらしい。
……なるほどね……。解るよ……。
説得力がありすぎてそれはもういいのだが、そう言えばイノシシの素材を黒金王子に献上すると私の靴はどうなるのかなと自分の心配ばっかりしていると、王子には特にいいところの革だけ渡すので私の靴も全然大丈夫とのことだ。
あと、魚拓まで取られていながらに納期については聞いていなくて、そら時間掛かりますわと察知したのは黒金王子とおっさんたちの会話を聞いてからである。
皮、なめすところからですもんね。そらそうよ。ちょっと先に言って欲しかったですね。
そしてそれから肝心の、このエーシュヴィッヘルの王子らがどうしてこの小さな村へとやってきたのかと言うことは、大森イノシシの靴の件と、たもっちゃんが村の人と作っていた栗料理をじっとり詳しく観察されて、異世界栗の実だけでなくイガの部分まで買い取って行こうとしているのを知った王子らが名前の長い異世界の栗の頑丈すぎるイガの部分を釘として使うためだと聞いておどろき、その発想はなかったとなんか変に感心してからついでのように、なんか変なのがやってきて異世界栗を欲しがっていると言うので、一応。それと、そいつらの中にメガネとトロールがいるとのことでもしかしたらと様子を見にきたらしいと語られた。
季節は雨期の真っ只中だ。
そう激しくもないけれど、しとしとと細かな雨粒が降っている。
私は思わず呟いてしまった。
「ヒマなの……?」
「まだ……エーヴィヒナーデルベシュトラーフングの今年の輸出も始まっていないのでな」
黒と金に彩られた王子はヒマではないみたいな空気をキリッと出すが、早く待機しすぎてて仕事始まるまでヒマなんだなと勝手に確信を持っている。




