617 ほんのり悲しい
見た感じはイノシシっぽい異世界の魔獣は、積極的に人間を襲う種類ではないそうだ。
しかし寝てるところをやいやいと起こされ、はちゃめちゃに寝起きが悪いとちょっとどうか解らない。
と言うか、別に寝起きじゃなくっても森で出会うと村人はそこそこ絶望する相手だと言う。
解る。
私も、ついさっきまでのん気にのぞき込んでいた穴からずばーんと飛び上がって出てきたそれに、「あっ」と反射的に短い声が出たほかはなにもできずにある種の覚悟をしたほどだ。なにもできないのは大体いつものような気もする。
舞台の床に四角く開いた謎の穴からずばんと飛び出す歌舞伎役者のような勢いで、巣穴から飛び出してきたイノシシは四本の足で地面に立っても体高が私の背丈よりあった。
この体の大きさでどうやってあの穴に入っていたのか不思議だが、あとでちらっと確かめてみると巣穴の入り口はそれなりの直径になっていた。
最初に見た時の印象は小柄な老婆サイズだったから、恐らく、秋から冬に落ちた枯れ葉や枝が穴をおおってフタになり魔女が踏み抜いた部分以外はどこまでが穴か解らなくなっていたのだと思う。
危ねえ。
あとほんの少しでも巣穴に興味を持ちすぎていたら、私も改めてフタを踏み抜き落下して密閉に近い空間でイノシシ魔獣と遭遇するか、子供らに必死で助けを求めるもイマイチ緊迫感が伝わらず結局メガネを呼ぶことになりことの顛末を説明させられたあげく三日くらい笑いものにされるところだった。なんかすごく細かく想像ができる。
まあしかし、そんなほんのり悲しい想像も、でっかいイノシシが地上に現れ一瞬にしてなんの余裕もなくなった私が、あー! 子供だけはー! 小さきものだけはー! と叫んだり叫ばなかったりしながらに、我が身をかえりみず魔獣の前に立ちはだかると見せ掛けて位置的にたまたま一番巣穴に近い所にいたので微動だにすることなく最前線に立つことになり、パニックの意味でただただキャーキャー言ってる間に魔獣のほうから突っ込んできて私があまりにもあんまりなため天界がドン引きの同情で実装したと思えなくもない危険が迫ると全自動で吹き出す茨のスキルで暴走重車両みたいなイノシシがうまいこと巻かれ、突進してくる瞬間の躍動感あふれた状態で時間も動きも止めてからやっと考えられたことだった。
私はひたすら恐がるのとびっくりするので忙しくしていただけである。
いつも通りにいるだけはいたレイニーは自分の安全を確保するついでに偶然を装いゴーレムに乗ったりその背中に取り付いたりしてひとかたまりになっている子供と毛玉とトロールを障壁の中にしれっとかばい、「まぁ。大変」とか言ってた。
助かる。私のこともかばってくれていいのだが、じゅげむを中心に無傷の状態にしといてくれるの本当に助かる。
そして、これから少しのち。
せっかく巻いたし、フェネさんも「これ! おいしいやつ!」と声高らかに主張してやまないこともあり、森にかまどを設置して大体の感じで勝手に定めた異世界栗の収穫拠点へと戻り「たもっちゃん、これさばける?」と茨で巻いたイノシシを示すと結局メガネに「何やってんの?」と笑われた。
あと、いや違うの。事情があるんすよこっちも。と、ついさっきあったことを一生懸命説明すると、心の底から不思議なことにじゅげむとフェネさんと金ちゃんに私を加えたメンバーが横一列に並べられ、我が家の良心担当のテオから「こちらも目を離した責任を感じているが、そう言う時はまず大人に相談しなければいけない」と鎮痛な様子で叱られた。
いや……私もね。そうは思ったんですよ。
まさか自分もお説教を受けるほうに分類されるとは思ってなかったですけども。でも実際頼りになってないからな。仕方ないですねこれは。
そして我々が叱られると同時に、魔女の落ちた穴がやばめの魔獣の巣穴であり、その上に家主が在宅状態だったと解ってやっぱり危なかったじゃないかと猟師が新鮮にキレ直していた。
たもっちゃんが簡単に作ったかまどとお湯を沸かした大鍋を囲み、あっちこっちでお説教が吹き荒れ、もうしっちゃかめっちゃかだった。
ひとしきり、と言うにはちょっと長めの同じ話が五回くらいループした辺りで魔獣の危険さを心得た、異世界の男らによるお咎めはどうにか一応の終わりとなった。長かった。
「リコ、お前もお前だ。何かあったら……いや、実際にあった訳だが。一人で何とかできるとでも……今回は……何とかなったが……なっている……? のか……?」
などと、一回終わったと油断させておきながらまだ言い足りない感じでテオが最初は苦言のように、しかし後半になると段々と混乱してきてぶつぶつとひとり言みたいにずっと言ってるのはそっとしておくことにして、我々はひとまずこの森と境界を接する近隣の村へと移動した。
なぜならば、茨で巻かれたイノシシにメガネが「俺、ブロック肉になってからが専門だから……」と逃げ腰になり、頼みのテオもさばけないことはないのだが「ここまで大きいと手に余る」と正直に述べ、森の魔獣に関しては誰よりも専門家である地元の猟師のおっさんが「解体小屋にも入らんし、一人では無理だ。村で手を借りよう」と提案してきたからだ。
その場合は村にも肉を分けることになるが、これだけ大きなイノシシだ。ぱーっと行こうぜと言うことで、じゃあそうさせてもらおっか。と満場一致の結論となった。
あと、老いた魔女がムリを承知で雪の溶け切らぬ森へと入った理由について、収穫拠点でその話になっていた頃合いに私は子供らとイノシシのほうに行っていたのでリアルタイムでは聞くことができなかったものの、たもっちゃんからこう言う感じっぽいのよとざっと聞かされ把握した。
で、思いました。
草なら私じゃないですか? と。
なんか代わりになるやつあるんじゃねえのとヒマさえあればやたらとむしってアイテムボックスにぽいぽい入れた、そしてむしるのはむしるが売る段になるとなんとなく面倒になってたまって行くほうが多くなりがちな備蓄の草を掘り起こして探し、たもっちゃんのガン見の上で必要な薬に使えそうな草を渡した。
この黒い森で手に入る草とは少し違うようではあるが、種類としては近いのでいけるかも知れんと魔女も急いで薬を作ってみると言う。
それで一旦みんなでわあわあ小さな村へと押し掛けて、もったりとしたフォルムを持った謎のゴーレムやその背中にびったり取り付くむきむきのトロール。さらには木々の間を通り抜け森を移動するためになんらかの魔法に見せ掛けて一度しまった重車両級のイノシシを、やはりレイニー先生の魔法のように見せ掛けて取り出し、それらの全てに戸惑いしかない村人に猟師がざっと事情を説明。
なんだこれ。と言う困惑と、子供のための薬草が手に入ったのはよかった。の、安堵のまざった雰囲気になり、薬は魔女に任せるしかないから自分たちはとにかく肉だと若い者を中心に村の人手が集まった。
ただイノシシは完璧に茨で拘束してあるものの、トドメはまだだ。
村で暴れさせる訳には行かんとメガネがイノシシを巻いた茨ごと胴体部分を障壁で念入りにびっちり囲み、魔力に光るその障壁からはみ出す大きな頭の両側に、茨をほどくための私と、ほどいですぐにトドメを刺す役のテオが立ち、行くよ! 行くよ! いいかい? ほどくよ! と、主に私がぎゃーぎゃー言って茨をちぎってすぐさま逃げて、すかさずテオがざっくり剣を突き刺した。
あとは猟師や村人がやいのやいのと殺到し、しっかり血抜きまで処理してくれた。おっかなかった。
ここからさらに毛皮やら内臓やらを取り除き、いい感じのお肉にして行くのだが、それはもう我々、ただの役立たず。
「そうよね。俺もブロック肉じゃないと歯が立たないし、リコはスーパーの薄切り肉しか知らないものね。生肉を」
そんな俺らに食肉の解体は荷が重いわね。
などと言って悲しげに首を振って見せるメガネに対し、私は「ぎりぎりでミンチ肉も知ってますう!」と元気いっぱいに反抗したが、あんまり対抗にはなってなかったような気もする。
こうしてお肉を切り身にしてもらう待ち時間としてヒマができた我々は、さすがに魔獣の巣穴に落ちたあとでは一人で森を歩く気にはならなかったらしく村まで一緒に戻った魔女を、ここからならばそれなりに野道があると言う森の中の自宅まで送り届けることにした。
魔女本人は一人で帰れると突っぱねていたが、必要な素材を手に入れて一秒でも早く薬を作ろうとそわそわ全然落ち着かず、どう見ても完全に気もそぞろ。不安だ。帰りになんかまた穴とかに落ちそう。
そんな心配と善意。あと、森の中に隠れ住む人嫌いの魔女の家。そんなんすごく見たいの興味から、ちょっと強引に送るなどした。




