616 小さいにんげん
肝心の、金ちゃんのむきむきとした隻腕でとったどと掲げられている、ぐんにゃりとした人間。
それは「小さいにんげん」とフェネさんが形容していた通り、大人と言うには小さいように思われた。
まさか子供かとかなり肝を冷やしたが、幸い――いや、幸いと言うか。ちょっと当たり障りない形容が思い付かないけども。
その、トロールに首根っこを引っつかまれてぶらんと掲げられた人影は、近くで見るとごわごわ厚いフェルトのような、くたびれた固い毛布のような、古びて汚れた布を頭からかぶって身に着けていた。
だから最初は顔も解らなかったが、よく見ればそれは背中の曲がった小柄な老婆だ。
そうか、背中がにゅるんと曲がってるから、首根っこをつかまれたネコに見えてしまったんだな。なるほどな。ネコの首根っこつかむ人類を私は決して許さないけども。抱っこすればいいでしょ。優しく抱っこすれば。
現実逃避と言うものか、今はあんまり関係なさそうな、そんなことを連想している私やそのほかの我々の後ろで、「あっ」と大きめの声を出したのは付き添いの猟師だ。
「黒い森の魔女じゃないか!」
「ここ、黒い森って言うの?」
そのままだね。とメガネは振り返って感想を述べたが、今注目するべきなのは多分そこじゃない。
私はごくりと息をのむ。
「いかがわしい呪術老婆シリーズにまさかの追加メンバーが……」
そこでもなかったような気はする。
森の魔女と呼ばれた老婆は、結論を言うと無事だった。よかった。
ちょっとすり傷や打撲はあるものの、それはじゅげむやフェネさんや金ちゃんのゴーレムによって一体化した三人に発見される前に負ったものらしい。
雨の中、どれくらい森をさまよっていたのか。
魔女のまとうごわごわ固いボロ布は――外套だったと思われるそれは、重く湿って冷えていた。
湯を沸かすため確保していた火のそばへ急いで老婆を連れて行き、暖かい飲み物を手渡しながらなにがあったのか思わず問うた。
魔女は言う。
「薬草探して、穴に落ちた」
「端的」
たもっちゃんも反射的にうなずいて、合いの手を入れたほどである。もっと説明してくれてもいいのだが、不思議となんか大体は解った。
そしてその不愛想で短い返答に、私はどうしようもない親しみを覚える。
「えー、草? 草探してました? やっぱりね、草はね。人間、草は求めてしまいますもんね」
わかるう。と、一方的な共感で私が勝手にそわそわし、軽食? なんか軽いもんでも召し上がります? と、アイテムボックスの備蓄から私が作ったのではないけれど、だからこそ安心安全な食べ物をぽいぽい出して押し付けていると、猟師のおっさんが乱暴にどかりと濡れた倒木に腰を下ろした。
そして低い声で問う。
「チビの薬か」
問い掛けた相手は黒い森の魔女だ。
この意味が、私たちに解るのは少しあと。
猟師も魔女も獲物を得たり薬草を得たりするために森には縁の深い職業で、また特に、魔女は黒い森に住んでいる。
森に囲まれてた村に住む人々もこの森の実りや恩恵に預かってはいるが、この二人ほどには深入りはしない。
なんか猟師がキレすぎているので、やだなになんなのと我々がおろおろしていると猟師本人がやはりキレたままぷりぷりとそう話して聞かせてくれた。
加えて、猟師でも魔女でも、今は危険な季節だとも語る。
「寒さがゆるんで、魔獣が起き出してくる時期だ。猟師でも、不意を突かれりゃどうなるか知れねぇ」
「えっ」
「我々は?」
ねえ、普通に森に連れてきてもらってますけども。我々に危険は?
話の流れで自分たちの安全に疑問を覚えたが、そもそも森にきたがったのは我々だった。猟師は案内してくれただけだ。
あと、自分もいるし、おめーら冒険者だっつうし、なんかよく解らん生き物連れてるし、よく解らん土人形で備えてるから大丈夫そうだと思った。と、猟師のおっさんは我々を普通に案内した理由をあげていた。そう言われると、我々もなんかそうかもと思った。
しかし、年老いた魔女は違う。
一人だ。
なぜこんな危険なまねをしたのかと、猟師はそのことに腹を立てていた。
「薬草を探すったって、この森じゃ、夏でもなけりゃ生えちゃいねぇだろ」
「だから、自分で」
エーシュヴィッヘルは寒冷な国だ。
春と言っても雪が残って、雨期は雪が降らないと言うだけのこと。森にはロクに草もなく、それは薬草も同様だった。異世界栗は百年朽ちないので別とする。
あるのかないのか解らない、恐らくない可能性のほうが高いのに、誰かに頼む訳にも行かない。
だから、自分一人で探そうと思った。
短く少ない魔女の言葉は、そう言う意味を持っていたようだ。もうちょっと説明してれてもいいのよ。
では、その薬草はどうして必要なのか。
魔女は森で一人暮らすが、近隣の村から頼まれ薬を作るのも仕事の一つだ。
今回も村の子供が病に掛かり、どうしても急ぎ必要な薬があった。薬草はそのための素材だったのだ。
ならば誰か、村の人が付いてきてくれそうなものだが、魔女は嫌々付いてこなくていいと一人でやってきたと言う。
不器用と言うか、偏屈と言うか。
この老いと魔女をこじらせた、逆に似合う気もするもの言いに、猟師のおっさんがなら俺に言えとまた改めてキレ直し、なかなかエキサイトした話になっていたらしい。
らしい、と言うのは私がその場にいなかったからだ。
現在森にいる中で、大人側の地元民二人が険悪な空気をかもすのも構わず。
それより聞いてと興奮気味に、子供と自称神があのねあのねとぴかぴかの顔で、そして人語を解さないながら表情でどやあとした感を出すトロールにぐいぐい呼ばれ、もったりとした土人形のゴーレムに背中を押されてその場所まで案内されてしまっていたのだ。
どうやら小さきものたちが、そして多分金ちゃんが、私に見せたかったのは穴だった。
恐らくこれが、魔女が落ちていた現場なのだろう。
辺りには枯れた下草や、折れた細い枝が積み重なって地面をぶ厚くおおって隠す。ところどころで雪も硬く集まって残り、朽ちるのを待つ倒木が行く手を道なき道をさえぎった。
森は暗く、視界も悪い。一、二歩前の地面を向いて、歩くだけでも精一杯だ。
魔女が落ちたと言う穴も人間が通れる大きさなのに、そこだと教えてもらわなければ私は気が付きもしなかっただろう。
「えらかったねえ……よく見付けてくれたねえ……」
枯れた草や落ち葉にまぎれたその穴に、私が思ったのはそのことだった。
小さきものよ、よくぞ気付いた。
そうじゃなかったらまだ肌寒いこの時期に、しけった老婆を放置してしまうところだ。やべえところだった。
もしも私が森で迷って穴に落ち、誰にも見付けてもらえなければ早めに泣いてしまったと思う。やだもうこわい。
想像だけですでにちょっと泣いてる私に対し、ゴーレムの胸に開いた操縦席の窓からじゅげむが一生懸命に「あのね、フェネさんだよ! フェネさんがおしえてくれたんだよ!」と白き毛玉の活躍を称えた。
その操縦席に同乗し、自称神の能力でここまでナビゲートしたと言う白い姿の小さな獣はもっふりとした胸をそらして鼻先を上げた。
「うん! 我! 神だから!」
「そっかあ。ありがとねえ」
なお、入り口はほぼ垂直でそこそこの深さのあったこの穴から「ふんっ!」と力任せに魔女を引き上げたのは金ちゃんだそうだ。
子供と毛玉とトロールだけで行動したのでなかったら、多分まんべんなくえらかった。
しかしキミら、こう言うことは大人になんか言うてからじゃないとあかんぞ。
と、私も一応の大人としてキリッとお説教をしようとはした。
だがその前に、小さな毛玉が言いつのる。
「それでね! それでね! 冬だったから! この穴ね! 中でおいしいやつ寝てる!」 捕まえて食べよ! と、金の両目をぴかぴかさせて提案するフェネさんに、なにそれ詳しくとたずねるとどうやら魔女が落ちたこの穴は魔獣が冬をやりすごすための巣穴だそうだ。外から見ると垂直の穴だが、底から横に向かってトンネルがあり、巣穴の主はその奥で今もまだ冬眠中とのことである。
えっ、こわ。逃げよ。と私は即座に逃亡の意思を固めたが、これは少々遅かった。わあわあ騒ぐ我々の気配に、機嫌悪く起きてきたのはイノシシ的な森の魔獣だ。




