610 機動力
高級なほうのスプレーボトルや細々とした日用品を補充ののちに王都を離れた我々は、ほどなく砂漠の果てにあるハイスヴュステの集落にいた。
見上げるほどに巨大で白っぽく、角の取れた岩石がごろごろと、無造作に、褪せたベージュの砂地の上に積み重なるのは水源の村。
アルットゥやその姪であるクラーラを始め、砂漠の民が暮らしている場所だ。
この集落では無数の巨石が作り出す日陰の空間を住まいとしたが、砂漠の砂にみがかれたのかざらりとしながらなめらかな岩石のすき間。
入り組んだ岩間の一角にドア一枚ほどの空間を借り、そして実際ちょうどいいドアをそのすき間にぴったり押し込み移動のための拠点としていた。
ついでに、スキルを使わずドアを開くと奥にある物置ほどの空間に、水源の村では手に入りにくい品物や地球の調味料はもっと評価されていいはずと主張するメガネがカレーやシチューのルーを壺に入れて置いてある。
私も、物置ほどの空間の左右の壁に突っ張るように渡した棒に体にいい草を干してお茶としたものを袋に詰めてこれでもかと吊るして置かせてもらうなどしていた。どうしても捨てきれないあわよくば売りたいの気持ち。
たもっちゃんのアホなスキルでドアを開いて移動して、一度閉じた岩間のドアをスキルを普通に開いた倉庫の前にあわよくばの気持ちが私に近いメガネが屈み込んで言う。
「あっ、ルーとかなくなってる。食品だから悪くしない様に気ぃ使ってくれてるのを感じる」
「たもっちゃん、急に冷静にならないで。お茶も? 私のお茶も気い使わせてんの?」
悲しいね。そしてありがたいね。
そんなことを言い合いながらに我々が、集落の人が代価に置いて行ってくれているサソリ的な魔獣の素材やハイスヴュステの黒布などを回収し、この無人物々交換所で圧倒的売れ筋商品である買ってきた鉄の縫い針を一番いい場所にそっと置き、それからこれも好きになってくれていいのよとただただこちらが置きたいだけの趣味の品々を補充する。
そうしてごそごそしていると、背後から「あっ!」と声がした。
「きたら一声掛けろって言ってるだろ!」
セリフとしてはガチギレなのだが、言われたほうの我々はなんかもう慣れっこになりすぎていた。このドアを設置してから毎回こうして発見されがちで、向こうも似たようなことばっか言っているからだ。
そしてこの時の我々は開いたドアの前でわちゃわちゃ屈み、あれもこれもとぎゅうぎゅうに趣味の品を補充するのに忙しく振り返るのが遅れた。
そのため最初に「あ、こんにちは」とお返事できたのはじゅげむだ。えらい。コミュ力の申し子。
テオやレイニーもいたのだが、テオは「今あの岩陰でなんか動いた! 獲物だと思う!」とじたばた暴れるフェネさんを押さえるのに忙しく、それでも「あぁ」とか「おう」と短く答える律義さを見せ、レイニーは「わたくしは関係ありませんけども」と言う顔をしていた。レイニーはいついかなる時もレイニーなので。
そして我らが金ちゃんは複雑にもたれ合う巨石群の作る日陰にどっかり腰を据え、たもっちゃんがなにとぞ一つと先ほど差し出した各種惣菜パンのちょっとした山をてっぺんから攻略している真っ最中だ。金ちゃんは虫やら魔獣やらを追い掛けて行方不明になったりせずに、そばにいてくれるだけで恩の字って感覚がある。
今回、砂漠の集落を訪れてなによりもまず商品の補充を始めた我々を、最初に発見することになったのは愛馬ならぬ八本足の巨大なトカゲの背に乗ったハイスヴュステの民族衣装に身を包むニーロだ。
挨拶は大事だ。挨拶は基本だ。などと言う妻子持ちながらにだいぶ若いニーロから真っ当な薫陶を受けるなどしつつ、岩間の扉に在庫の補充を終えた我々はこの集落で族長代理の任を務めるアルットゥの家へと移動した。
巨石の群れと言う特異性はあるが、さすがに人が少なくシンプルな村では迷うほど道も多くない。
だから送ってもらわなくても大丈夫なのだが、目的地に到着するとなぜかアルットゥやシピやミスカが家の外にいて、だいぶん人間らしくなってきた赤子をあやそうとして全然あやされてくれない状態だった。ギャン泣きである。
さすがに泣きすぎだったのか、住居としている岩と岩の間に張った、外壁代わりの魔獣の革をめくり上げ家の中から女性が出てきた。
ニーロの妻でクラーラの親友のマルヤだ。
いや、ハイスヴュステの、特に若い女性は自ら織った黒布を頭に掛けて隠すので正直誰が誰だか解らない部分はあるのだが、彼女が姿を見せるなりニーロが「マルヤ」と声を掛けていたので今は大丈夫なのだ。助かる。
なるほど。なんでニーロもきたのかと思ったが、妻子がいるなら我々がついでだったかも知れん。
マルヤはギャン泣きの赤子をアルットゥから受け取って、それからまだ少し離れた、今やってきたばかりの夫とついでに我々がいることに気が付いた。
「あら! いつ?」
ハイスヴュステの女性は自ら織った黒布を頭からかぶり顔を隠すが、我々に向かって問い掛ける声にはなんだか好意があふれているように思えた。なんか知らんが、歓迎してもらえるならものすごく助かる。
マルヤの問いはいつきたのかって意味だったようで、それにはメガネがなんとなくそわそわしながらに答えた。
「今。今きたとこ。今。ねぇ、子供すげー泣いてるけど大丈夫?」
「子供は泣いてる時が一番元気ですよ」
ふふ、と笑みを含むマルヤの声には余裕があった。彼女は夫のニーロと年が近く、まだ若い。それでいて、親としてか、人間性か、深み的なものがすごかった。頼れる。
赤子が泣くとおろおろと、ムダに右往左往するしかない我々とは違うのだ。
我々もね、じゅげむの生活を守る者として保護者的な役割があるとは思っているのだが、不安。我々では。不安。親っつうとこうなんか、もっとどっしりしてて欲しさある。
あまりにも自分らの頼りなさが心配で顔をきゅっとさせてる間に、マルヤに続いてもう一人、若い女性がめくり上げた革をくぐって家の中から表へと出てきた。
多分、クラーラなのだと思う。
頭にはやはり黒い薄布が掛かってて、服装もハイスヴュステの民族衣装で間違いはなかった。ただ、私が見ても解るくらいにその服は普段着とは違うようだった。
なにがと言えば、デザインもそうだが、襟元や袖、つま先まで隠してしまいそうな長い裾を埋め尽くす細かく丁寧な金色の刺繍だ。
「あっ、それ花嫁衣裳?」
金ぴかのグランツファーデンの毛を使い特別な刺繍を施す衣装について、先に記憶を発掘し、軽率に問うのはうちのメガネだ。
それや。大森林の温泉でよく会う親分の毛だわこれ多分。
「そっか。こうなるのか。えー、すごい。綺麗だねー」
ハイスヴュステの民族衣装には元々刺繍が施されるものだが、それも花嫁のためともなると執念すら感じる緻密さだった。豪華。
すごいすごいと語彙力を失い同じセリフをくり返し、花嫁衣裳を身に着けたクラーラの周りをぐるぐる回ってよく見てしまう。
このクラーラを囲んでぐるぐるする会にはじゅげむやレイニーまでもが参加して、すごい! きれい! 人間は細かな美を持つものですね。などと、それぞれしきりに感心していた。ついでにフェネさんもぐるぐる回る輪に参加してきたが、これは本当にただ楽しげに飛び跳ねる毛玉ってだけだった。
ぐるぐるとした集団に囲まれ多分困惑させていたとは思うが、クラーラは笑って許し、「近く宴を開くことになって、試着を」と教えてくれた。
「へー、おめでと」
「もっと早くにとも思ったのですけど、伯父が、前の縁談をやめてすぐ別の人と一緒になるのはどうか、と……」
「クラーラ、そこまで全部言わなくていいのよ」
その込み入った話、我々一通り知ってっから、大丈夫なのよ。自分から言うのか……。
視界の端でなんとなくシピとついでにミスカが「大変だった」みたいな感じで砂漠の空を見上げるが、キミら大概当事者なんやで。
話のついでって訳でもないのだが、シピとクラーラの結婚を祝う宴には我々もどうかとお誘いも受けた。優しい。
ただクラーラは水源の村のすでに亡い族長の娘で、同時に族長代理の姪である。加えて、シピはネコの村――正確には深淵の村の現族長の息子だ。
立場上、本来ならば一緒になれなかった二人の、割と入り組んだ人間関係によりその宴にはほかの集落からえらめの賓客が何人も招かれていると言う。むりです。
せっかくではあるのですがとお断りしつつせめてもとお祝いの品をごそごそ探そうとしていると、じゃあ前祝いしちゃおうぜと今日、取り急ぎ宴を開いてくれることになった。機動力よ。
では、そうなるとどうなるかと言うと、ほぼ身内しかいないのでアルットゥと友情を育む魔族を招いたりだってできてしまうのだ。




