61 九人目の男
数が合わないんだよなー。ってことは、割と早い段階で気付いてはいた。
奴隷の話だ。
大森林の間際の町、その一番外側にある奴隷市場でたもっちゃんが買った奴隷は全部で九人。この中で、選民の街の元住人は男女合わせて八人である。
ならば、残った一人は誰なのか。
私は一本に減らしたトロールの鎖をにぎりしめ、九人目の男を正面から見上げた。
「どーもー! オレァ、リンデンってモンだ! ヴィエル村のリディアって解るかい? オレの母親なんだけどよ! ババァも世話になってんだって? 悪ィね! ここにいるって事は、大森林に行くんだろ? オレァ冒険者やってたからよ! 役に立つぜー?」
男はこちらに向かってにぱっと笑い、もふもふした手の指を二本だけ伸ばして敬礼のように額にかざす。そしてものすごく明るい声で、一気に自己紹介をした。
そのテンションは、私を引かせた。
「たもっちゃん」
「安心して、リコ。俺も、これはないかなって思ってるから」
リンデンと名乗る男に目を向けたままメガネを呼ぶと、メガネもまた男を見たままうなずいて答えた。
そうか、解ってるならいいんだ。いや、よくはないけど。
なにこれチャラいと私たちに遠い所を見詰めさせた男は、こげ茶色の毛皮を持っていた。
二メートル近いもふもふとした体に、手の先にはごつい爪。頭の上では丸っこい耳がぴこぴこと動く。
クマである。
正確には、私が思うクマの姿に酷似した、ベーア族である。
たもっちゃんは言った。これもまた、しょうがなかったやつだと。
「まさか知り合いの息子さんを奴隷市場で見付けるとは思わないじゃない? そんなのさー、思わず焦って買っちゃうよね」
ここの奴隷市場で売れてしまうと、まあ死ぬ。大体死ぬ。て言うか死ぬ。そんな話を聞いていたので、気持ちは解る。買わなきゃ死ぬっつうんだもん。とりあえず買う。
たもっちゃんの言う知り合いは、リディアばあちゃんのことだった。
一瞬ピンとこなかったけど、「ローバストにあるベーア族の村で二人の孫と暮らしているおばあちゃん」と言われ、さらに黒い怪物と我々のせいで家が壊れて住む所ないっつうのにばあちゃん頑固で人の手は借りぬとか言うからうちのメガネが家建てて、住み込み管理人扱いでどうにか新しい家に住んでもらってるあのおばあちゃんのことだ。と全部説明してもらってやっと解った。
目の前にいるリンデンはリディアばあちゃんの息子であり、幼い孫たちの父親だそうだ。
この話は、私には意外なものだった。
「あそこんち、親世代いないのかと思ってた」
「俺も、何かいないなーって思ってた」
「三年帰ってねェからなァ。カカァ、逃げちまったかもな!」
リンデンは、まあそう言うこともあるよねみたいに目を閉じてうなずく。
なぜなのか。
なにをそんなに落ち着いているのか。
自分の留守中に妻が消え、年老いた母と幼い子供たちだけで暮らしている。しかもリディアばあちゃんたちは、住む家も一回なくなったんだぞ。家は我々のせいだけど。
なんかこう。もっと、なんかさあ。あるじゃん。心配しつつあわてふためくとか。
「えー? 今はなんとかなってんだろ? じゃーよくねェ? 大丈夫だろ! オレァいなくても、ババァしっかりしてっから!」
人の心は解らない。目に見えるものが全てではない。けど、それでもこいつはあまりになにも気にしなさすぎって感じがするの。
「たもっちゃん」
「安心して、リコ。俺も、こいつ駄目だなって思ってるから」
リンデンは思った以上にアレだった。
さすがだ。
奴隷市場で売れた瞬間デッドオアデッドと言う極限のストレスにさらされながら、SAN値に一切の影響が認められない強靭な精神力。言いかたを変えると超絶に鈍感。
選民の街からきた奴らを見てみろ。明日をも知れぬ身の上の、薄氷を踏むかのような奴隷の日々ですっかり精神をすり減らし……いや、今はごはんガツガツ食べてるけども。
あったかいごはんを幸せそうに、次々口に詰め込む姿はなんか力強い感じあるけど。
すごいな、たもっちゃんの料理。生命力にあふれてるな、これ。
思わず感心して見てしまい、なんか話がうやむやになった。
屋外の暑さに嫌気の差したレイニーによって、原っぱには暗闇の魔法を応用し光を通さない高い壁が築かれていた。
戦闘中にこの魔法で囲まれると同士討ちになるんだよなとか言って、暗闇の魔法と聞くとテオや騎士たちはちょっと嫌そうな顔だった。戦場で苦い思いをしたっぽい。
しかし傾いてきた夏の日差しをさえぎるために、暗闇の壁はかなり効果的だった。そうして作った日陰の中に障壁を張り、エアコン魔法で空気を冷やすともうこれ最高と言うほかにない。
「そもそもさ、なんでこんな所で売られてたの?」
私がリンデンに問うたのは、適度に冷えた障壁の中で食器を押さえている時だった。
意外におとなしいトロールは、少し教えれば食器もすぐに使えるようになった。
しかし、やはり片手では食べ難いようだ。スプーンで料理をすくおうとするたび、深いお皿がテーブルの上でがっちゃがっちゃと暴れ回った。
それを押さえて手伝う私を、毛皮におおわれたクマ顔をもっふりもっふり動かしてごはんを食べつつリンデンが見た。
「ここに売ッ飛ばされる前はなァ。でけェ街の奴隷商で、商品が逃げねェよーに監視すんのが仕事でよ」
まあ、俺も奴隷だったんだけどよ。と言いながら、クマは牙の並んだ大きな口にやわらかく煮た肉を放り込む。
「その奴隷商が、まー嫌な奴でな! 気に入らねェなーって思ってたらよ、どーも人さらいもやってやがったみてェでよォ」
「それ、アリなの?」
「ありの訳がないだろう」
いやいやまさかと思いながらもちょっと不安になった私に、テオが眉をしかめて見せた。
奴隷と人身売買は基本的にアリだが、誘拐は普通に違法だそうだ。ただしエルフは例外的に、売買自体が明確に法で禁じられている。
これでええんや……不幸なエルフやいなかったんや……。たもっちゃんは、悲喜こもごもの表情で小さく震えながら呟いた。
多分だけどこいつ、エルフ売ってたら迷わず秒で買ってたと思う。
リンデンの話は、「そんでな」と続く。
「どう見てもさらわれてきましたー! ってガキが地下牢にいてよ、聞いたら本人もさらわれてきたー! っつうからよ。逃がした」
「えらい」
我々はほめた。
勘違いじゃなくて、嘘じゃなくて、誤解じゃないなら、この男は本当によいことをした。リンデンのくせに。
今となっては事実を確かめるのは難しいだろうが、誰かが少しでも救われてくれてたらいいのに、と思う。
子供はどうにか逃がせたそうだが、すぐにリンデンの仕業とバレた。そして激怒した奴隷商によって、こんな場末の奴隷市場に底値で売り飛ばされてしまったとのことだ。
報復じゃん。と思ってすぐに、そうだよなーと納得もした。
大森林の間際の町では、強い奴隷は好まれない。トロールがそうだし、獣族もそうだ。ベーア族であるリンデンが、ここで売られるのは不自然だった。
でも、わざとなら解る。
この町で奴隷として売れれば大森林で囮として使い捨てられ、そうでなくても底値の奴隷が置かれる環境は劣悪だ。どちらにしても、ろくなことにはならないと解っていたのだ。
思わず歯をキリキリさせて、憎しみでやばくなってしまうのも仕方ない。私の顔が。
さらった人間を奴隷にして売るのは悪質だ。
それが本当なら見すごせないぞ、とクマは三人の騎士に囲まれた。そのまま聞き取り調査が始まりそうになったところへ、たもっちゃんが口をはさんでジャマをする。
「でもさ、その子供逃がした時はもう奴隷だったんでしょ?」
そもそも、冒険者だったリンデンがなんで奴隷になったのかと言う話をしていたのだ。
「その前かァ、その前はなァ」
リンデンはこげ茶の毛皮でおおわれた顔に、なぜだか笑顔をふっくらと浮かべた。
「シュピレンの街って知ってるか? 闘技場もあるデケェ街なんだけどよ、いいとこだぜ? 数え切れねェくらい賭場もあってよ! オレもな、もうちょこっとツイてればなー!」
最終的にはギャンブルで所持金を全部溶かして、ふくらんだ借金で自分を奴隷として売るはめになった。そんな話を、リンデンはまるで楽しい記憶を振り返るように喜々として語った。ツイてなかっただけだと言って。
よく解った。こいつはダメだと。
「たもっちゃん」
「任せて、リコ。行動制限の魔法術式にギャンブル禁止も組み込んで奴隷の首輪に刻んどくから」