607 トラブルの空気
今回の渡ノ月を我々は、ローバストのクマ村で草を売りつつラーメン用の生麺や各地から集まった職人たちが腕を競い焼き上げたパンを大量に発注。アイテムボックスに放り込み備蓄にあてる時間とし、のんびり明けて六ノ月を迎えた。
五ノ月に引き続き六ノ月も春ではあるが、半ば頃から雨季になる。
その前に、我々は――と言うか私は。
一回蒸してよく乾かして大きめの袋にぎゅっと詰めての抱き枕方式。もしくは大きめのリュックにせっせと詰めてむやみやたらにずっと背負うなどの方法で丹精込めて強靭な健康を付与したお茶をたずさえて、とあるズユスグロブ領の山の中、某若様のお宅を訪ねた。
最近はお金を使うばっかりなので、いくらか補填しておきたさが我々を押し掛け訪問販売の道へと走らせたのだ。
若様、あれだもん。
生まれる前からお母様から受け継いでしまったえげつない呪いで苦しんでたけど、それは呪いに詳しいダークエルフさんの協力でこの頃はなんとかなっていて、多分もう私が売り付けようとする体にいいお茶がなくても大丈夫ではあるのだがまたいつでもきてねって言ってくれたもん。
もしかしたら社交辞令かも知れないが、ズユスグロブはお砂糖の暴利で豊かな土地と聞いている。あるやろ。お金。
ちょっと試しにジャンプしてごらんなさいよと我々は、このあまりほめられた感じでは絶対にない勢いに押されるままに乗ってもいいのものか自らの良識や倫理観みたいなものとのギャップに苦しみ最終的に「金は……ないと困る、な……?」と落としどころをむりやり定めたテオを巻き込み、わあわあ言って若様にこれでもかと草を買ってもらった。たすかる。
我々は冒険者なので支払いが現金でこそないのだが、ギルドに持ち込むと金貨に化けるぴかぴかの石や、ズユスグロブ特産のお花で作る高価な砂糖。それと比べるとお値段的に手頃だがそのままカリコリかじってもいいし、大森林でアリとの物々交換に欠かせない黒糖もたくさん用意してくれた。
さらに若様から「勲章をもらったと聞きました。おめでとうございます」と素朴な言葉に誠実があふれているようなお祝いなども言われてしまい、なんかもう。押し売り目的でやってきた我が身のサビが、急激に申し訳なくなったほどだった。若様はどうかそのまま清廉な心でいて欲しい。
山の中にある若様の家には多分先年引退したばかりのお父様もいたのだが、このお砂糖感強めのパパは長年呪いに苦しめられていた息子が元気に普通に生活できているだけで涙腺の辺りがもうダメらしく、あんまり我々の前には出てこずに物陰から来客を接待する息子の姿を「立派になって」みたいな感じでずっとぐすぐす見守っていた。親ってなんか、大変だなって思うなど。
またそれはそれとしてまるで一点の曇りもないようなピュアな若様の波動によって精神を洗浄された我々は、こう言うとこだなと自分の欲深さにしんみりしながら草の代価はしっかりもらってお茶とおやつをいただいて帰った。お客様用のやつを出してくれたおやつ、おいしかった。
こうして一仕事終えて別日には足場の悪くなる雨季の前にとシュラム荒野の甘味ダンジョンへ立ちよって、私は水あめの草を中心にむしり、搭乗型ゴーレムを装備したじゅげむもそれを手伝ってくれた。
たもっちゃんやテオ、それにレイニーや金ちゃんは手あたり次第にダンジョンモンスターをバタバタ倒し、人類の夢と欲望の結晶である産出品のスイーツをどんどん入手して行った。
こう言う時は戦いに参加した人数で入手アイテムを頭割にするのが普通なのだそうだが、テオは頭割にした上でそのスイーツを全部メガネに預けた。
元々甘いものは好まないほうだし、冒険者ギルドで売るよりも、たもっちゃんに直接渡して「食費に」とのことだった。フェネさんを肩のあたりにくっ付けてから、テオのエンゲル係数は爆上がりなのだ。
その理屈で行くとテンションとノリで金ちゃんを引き入れた私もなんらかの食費をメガネに上納しなくてはならないことになるのだが、金目のものに身に覚えがないあまり「草で……」とおずおず提案すると「草的なものは毎日飲んでる健康茶でもういい」とばっさり断られてしまった。
私は悲しみに襲われた。
「どうしてよ! 人間は草から離れては生きられないのよ!」
「えぇ……人間は地に足着けて生きるべきのやつみたいに言うじゃん……。いや、ズユスグロブで若様にもらった花とかの砂糖は大体俺のだと思ってるから、それで」
「なるほど」
そう言えば、それがあった。
やいのやいのとそんな話をしながらに、シュラム荒野の地下に広がるダンジョンから地上へと戻る我々。
と、なぜかこの地で冒険者ギルドを預かっているギルド長のグードルンがそこにいて、「今、ズユスグロブの砂糖の話してた?」と目をぐるぐるさせていた。勘なのか、地獄耳なのか。
この甘味ダンジョンで産出される純白砂糖で花の砂糖や商業ギルドにケンカを売ることに余念のないグードルンに取って、花砂糖の産地たるズユスグロブは敵なのだ。話が長くなるやつだった。
この荒野の甘味ダンジョンがまだ安定しておらず産出品も固定されていなかった頃、うっかり甘党の執念を込めすぎて数々のスイーツを生み出す切っ掛けを作った感じがまあまあしている王都の騎士の隠れ甘党のことを思い出し、最近もお世話になったばっかだし、せっかくだからダンジョンスイーツ持って行ってあげようぜ。
と、なかばむりやり思い立った我々は「あっ! 生もの持って急いで行かなきゃ!」などと説明的な言い訳で話の長いグードルンを振り切って農園の別荘経由で王都へ。
王様の暮らすお城の門で怪しまれつつテオのお兄さん――の、部下であるヴェルナーの名前を出したら瞬く間にその知らせが伝わったらしく、またなんかあったのか、したのか、と、気色ばんだ感じでヴェルナーだけでなく結局テオ兄のアレクサンドルも出てきた。
お兄さんが出てくるとテオの顔がぐにゅっと縮んでしまうので、隠れ甘党代表のヴェルナーだけ呼ぼうとしたらこの始末。
心配すぎる我々の日頃の行いが、今日めずらしく発揮した我々自身の気遣いを無に帰してしまった瞬間である。因果応報の味わいが深い。
なんでもないですう。ちょっと差し入れ持ってきただけですう。と、逆ギレ気味に我々はすでに冷蔵と保存の魔法を重ね掛けしたちょうどいい箱にそっと詰めたダンジョン産のスイーツを渡し、あとアレクサンドルも甘いものは苦手だったかも知れんと気を回したメガネが備蓄の中から日本酒入りの小さい角樽を出し、「俺達だっていっつもいらんことして困ったことになってる訳じゃないんだからね!」と捨てゼリフを吐いて走って逃げた。
箱を抱きしめているヴェルナーも、それを見ないようにしてあげている角樽を手にしたアレクサンドルも、わざわざ追い掛けるつもりはなかったようで多分逃げなくてもよかったのだが人にはむやみに走りたいタイミングと言うものがある。今とか。
ただしメガネと私は早々に、五メートルくらいでスタミナ切れとなった。
前提として、この日はちょうど、いやちょうどと言うか。公爵家でじゅげむが授業に参加する日で、王都にきたのはその送り迎えでもあった。
だからその時、じゅげむとついでに金ちゃんは公爵家でお留守番をしていた。
幸いである。
ドアからドアで街の外から直接公爵家へ忍び込むのはやめといて、防壁の門を通って王都へと入った上での外出ついでにペーガー商会に顔を出し、贈答品に重宝すぎて追加発注したものの生産が間に合ってない高級なほうのスプレーボトルを受け取りに行きたいとメガネが言って、フェネさん付きのテオやレイニー、私がそれに付き合った。
この時、そもそもの始まりは移動の馬車をうまく捕まえられなかったことだったと思う。
それに日頃から心配性の公爵に「君達ね、気を付けなさいね。人って意外と見てるものだよ」と釘を刺されるなどしていたために街中でドアのスキルを使うのは控えたい、と言う意欲だけはあった。それもあって我々はここ突っ切ったら早いんじゃねえのと適当に、細く入り組んだ道を選んでずんずん進んだ。
二階、三階の建物が両側に、背の高い壁のようにそびえる薄暗い路地。陰って湿り、ひんやりしたような独特の空気。
立地としては王城に近いが、裏道と言うものはどこにでも存在するものらしい。
そして、こう言った場所にただよっているのは決まって不穏なトラブルの空気だ。
「リコ!」
細い路地を先に歩くメガネの、あせったような声。だがそれが聞こえた時にはもうすでに、なにかが私の頭、それも額にうまいことパコーンとヒットしていた。どうして。
「えぇー……」
と、ドン引きで、うめくみたいに低くかすかな声を出すのはメガネだが、多分それは私のセリフだ。




