605 謎の既視感
こうして、強靭なる保湿ケアシリーズによってじゅげむの教育は確約された。なんでや。
ちょっとよく解らない気持ちもあるにはあるが、これはあれですね。間違いなく私のお陰でしょうね、なんとなく。
とりあえず自慢するべき空気を感じて急にドヤとし出した私には特に誰も触れようとせず、公爵家の居間の中、私から最も近い距離にいたメガネと公爵ですら淡々と授業のためにじゅげむを通わせる頻度や送り迎えの時間帯など事務的に話し合っていた。
大事なことですからね。えらいですね。どうしてこんなにドヤとしている私のことを見えてないみたいにできるのか解らないけど、ちょっとは触れてくれてもいいのよ。
放置されてしまったことでヒマになった私は、ふと感慨深く考える。
思えば、私もいらんことしたのが時間差でバレ、この公爵家では何度となく立派な書斎に呼び出されお説教を受けてきた。
その校長然とした公爵が、私塾の存在が判明したことによりマジで校長っぽさが増しているような気がすると。
だからなにと言うこともないが、なんかじわじわとした味わいがあるじゃん。
その味をスルメ的によく噛んでチューチューすするような気持ちでただただヒマにしていると、今日のお勉強を終えたじゅげむが居間まで送り届けられてきた。
そして、じゅげむを送ってきてくれたのがアーダルベルト公爵塾で教師を務める人だった。
その人は凛とした女性で、年の頃はそこそこの大人。つまり我々と近いと思う。
長い髪をきっちりとひっつめ、暗い色のスカートにゆったりとしたブラウス。ブラウスと共布らしき幅広のリボンを首元でボリュームを持たせて結んだ姿だ。
彼女は公爵家の豪華な居間でゆったり膝を曲げ、気おくれもせず礼を取って名乗る。
「エディリーンでございます」
堂々としたたたずまいさえ感じる様に、私は、挨拶を受けるため立ち上がったソファの前でごくりと小さく固唾を飲んだ。
そしてすぐ隣にいるはずのメガネに、視線は彼女に釘付けのまま、思わずこぼれる小さな声で訴えた。
「私、子供の頃にこの人のこと名作劇場的ななにかで見たことがある気がする……!」
資産家の活発なお嬢様に手を焼く、口うるさいけど心配したり大事なことを教えてくれる家庭教師のご婦人役とかで。
私の記憶はなんでもかんでもあやふやなのでそんなキャラクターがいたかどうかも定かではないが、どうしてか、私の中の深い部分に根付いたなにかに訴えてくるものが彼女にはあった。たもっちゃんも私ほどではないものの、「何か解る」とのことだ。
彼女、エディリーンと名乗った公爵家の教師は、同家で有能執事を務めるベルホルトのいとこだそうだ。
そして必然的にむきむきとした家令のおじいちゃんの親戚筋であり、そのことと謎の既視感が相まって、我々は秒で彼女に信頼を置いた。
ほぼ見た感じのイメージで信頼をいだいてしまっているが、家令のおじいちゃんと有能執事のお身内ならばさぞやしっかりしたご婦人に違いない。と、思ったけどこれも思い込みと言えば思い込みだったわ。
けれどもエディリーン単体も、かなりしっかりとした印象があった。
彼女はじゅげむが本格的に、通信教育の形式ではあるが自分の生徒になるかも知れぬと聞いて、その話をするために今日はわざわざ顔を見せにきてくれていたようだ。
それで、じゅげむの授業日程や課題、力を入れたいカリキュラムの有無などを話し合い、または彼女は生来肌が弱くなにを試してもボロボロで、悩み、新しいものに触れることさえ恐くなっていたある日に出会った我が強靭なる保湿ケアシリーズ。これを少しずつ、おそるおそる試したことでどれだけ世界が明るくなったか。もはやどれだけ心酔しているか。そう言ったことを熱烈に語り、まだ話し足りないエディリーンをいとこである有能執事が「それ以上はいけない」と居間から連れ出して行って面談を終えた。しっかり……してると思うんすよ……教育に関しては。
保湿への執念はまた別として、教育者としてじゅげむのことをちゃんと見て考えてくれているのが伝わってきた。
なんだかわき起こるありがたみにそわそわと、私塾への参加を提案してくれたアーダルベルト公爵に私は深い感謝を示した。そしていつか着ようとアイテムボックスに秘蔵した、胸にでっかく「オッキイネコチャン」とプリントされたTシャツをその証に贈った。
大事に取っておいた品ではあるが、私の秘蔵アイテムの中にはまだ「チッチャイネコチャン」と「チョウドイイネコチャン」の負けず劣らずいい感じのTシャツもいるので大丈夫なのだ。
直接もらったのはひらめきだけではあるものの、この結果へと導いてくれた王妃様にも「チイサイネコチャン」か「チョウドイイネコチャン」をお贈りしようかとも思ったが、王妃様はさすがにこんなラフすぎる衣服は着ないと常識人たちから止められた。
頼れる大人各位のお陰で懸案事項が一つ一つと片付いて、またはしっかり片付けるべく、我々は王都の街をさまよった。
色々見たけどなんとなく王都にくるといつも完敗のペーガー商会近くの高級菓子店に舞い戻り貴族相手の贈答品ならこれ! と店員おすすめのいい菓子折りを手に入れたり、その節はよう解らんけどありがとうのお手紙を書いたり、その菓子折りとお手紙のお礼セットを公爵さんの気遣いにより人に頼んで届けてもらうなどした。
貴族のお家に自分でお礼を届けてしまうとアポなしの訪問状態になるため、逆に迷惑になるそうだ。危ないところだった。
王都をうろうろ歩いたついでに思い立ち、女子のための新しい下着や布地、糸や針を購入。砂漠のピラミッドでネコたちといちゃいちゃ暮らす魔族の双子に渡しにも行った。下着の命は意外と儚く、定期的に買い替えるのがいいらしいと聞く。自分はなんか、だいぶんがんばってもらうほうだが。
そうして、新しい下着も大事だが、しかし砂漠まできた理由はほかにもあった。
ナッサーヴァルト領へ届ける支援物資としてのお野菜などを、王様と王妃様の意向あってのことではあったけど、たくさん提供してくれている王の農園の農家さんたちが今年こそ砂漠の植物をうまいこと育ててみたいと意欲を燃やしていたからだ。
褪せたベージュの砂漠の砂は、一見なめらかなほど細かな砂粒には無数の、微細で様々な植物の種を隠し持つ。そのため乾いた砂が水分を得ると植物ガチャが芽吹くのだ。
王の農園のプロ農家には前にも砂漠の砂をおみやげにしてみたことがあるのだが、なんらかの植物は生えてきたものの育て始めた季節が悪くただの葉っぱで終わって枯れ果てたらしい。それもあり、農家さんたちは燃えていた。今年こそはとリベンジに。
そんなこんなで異世界をあっちこっちうろつくのと同時進行で、農園から提供されたお野菜や王城が手配した救援物資をなんらかの魔法とごまかしてナッサーヴァルトの領主の城へとせっせと運ぶお仕事も、毎日とは行かずとも小まめに継続状態だ。
我々がそうして、勇者たちの不在を狙い、こそこそおジャマしている領主の城でのことである。
――現場では勇者一行や兵士らが魔獣を狩って、被害も段々と減っている。兵士や冒険者を雇える者から故郷の村に戻り、生活を立て直さんとする動きも始まっているほどだ。
――領主として自分にできることを探し、良心的な条件で食料や物資の提供が得られる契約を近隣の他領と結ぶこともできた。
と、そんな話を聞かせてくるのは我々がやたらと茶色い料理を作ったり子供と水あめを練りに練っているところへ現れた、深海魚顔が特徴的なこの土地を治める領主、ナッサーヴァルト子爵その人だ。
やってくるなり近況を我々に言って聞かせた子爵はどこか、全体的に丸い体をさらに丸めて縮こまっているようだった。
「誤解しないで欲しい。そなた達には感謝してもし切れない。だが……」
そして非常に言いにくそうに、もじゃもじゃとヒゲの生えた大きな顔に油分を浮かべててらりと告げる。
「しばらく、ここへくるのは控えるのが良いだろう」
その意味を、瞬時に絶望的な顔をして深掘りしたのはうちのメガネだ。
「そ……それってこっちは友達だと思って入り浸ってたけどそっちはそうでもなくて頻繁に遊びにこられて実は迷惑だっ――」
「そうではない! そうではないぞ!」
あわてて否定する子爵の顔の、油分が瞬時にびしゃっと増えた気がする。て言うかメガネ、遊びにきてたって言っちゃってんな。
子爵はだいぶあわてるあまりその不謹慎部分には気が付かなかった様子で、「勇者が! 勇者が!」と理由を語る。
「そなた達、あの巨大な魔獣を茨で仕留めているだろう? あれをな、勇者達が見たらしい。どうしてもあれをやった者らに会うと、事あるごとに喧しく言ってな……」
今までも顔を合わせたりしないよう心を砕いてはいたものの、これ以上はちょっとかばい切れないかも知れない。そう言う子爵はなんかもう、疲れ切っててかわいそうだった。




