604 良い人材
アーダルベルト公爵の貴族的な気まぐれでいいようにもてあそばれてしまう一方で、ラーヴァ伯爵へのお礼どうする問題になんとなくの解決案を授かった我々。
懸案――と言ってもだいぶんほったらかしにしてしまってた上に、それで余計に難しくなっている感じがなくもないこの件が、なんとなく大丈夫になりそうでほっとした。助かる。
じゃあ日暮れにはまだ間があるし、日持ちのする消えものとしてちょっといい菓子折りでも探しに行こっか、と。
一段落の感覚に安心し緩んだ我々は、ソファからそれぞれ腰を上げようとしていた。
そこへ、思い出したみたいに公爵が言う。
「あぁ、そうだ。王を通じ、王妃殿下から君達が家庭教師を探していると聞いたよ。私にも、良い人材があれば口を聞いて欲しいと仰せだ。ジュゲムにだろう? 言ってくれれば良いのに」
たもっちゃんと私は、座った姿勢から立ち上がる直前の、中腰の状態でその声を聞いた。
公爵家の居間である品よく豪華な一室で、すぐそこの床ではどっかり座った金ちゃんが食べ切ってしまった惣菜パンの面影をおしむみたいに切なげにもうなにもない自分の手を見詰める。また、我々の腰掛けたソファと近い位置にあるそろいの、一人掛けのイスではレイニーが無防備なようでいて一切すきのない虚無をかもしてお茶をいただく。
公爵は、たもっちゃんと私に勧められた長めのソファの正面の、それと同じ大きさのソファに一人でゆったり腰掛ける。
私はそっと、柔軟でありながら適度な反発を持つ座面に座り直し、その麗人を真正面に見た。それからゆるゆる体をよじって視線を移し、自分の後ろを振り返る。
そこには全てを見守る位置取りで、実際に全てを見ていたテオがいた。
彼は私の視線に気が付くと、研ぎ澄ました鋼のようにきらめく髪の、なんとなく髪型までしゅっとした頭を悲しげにゆるゆる横に振る。
その身振りがなにを意味するものか、あいまいだ。
でも、私には解った。認めろ、と言うことに違いないのだと。
よじった体を元に戻して正面を向き、私はひたりと公爵を見詰める。
「王妃様とその話してたの多分私ですけと、完全にちょっと忘れちゃってましたね……」
この正直な告白はのちに、言葉選びの往生際が悪いとメガネから評され、テオが首を振ったのは「その話は知らん」と言う意味だったと聞かされることになるのだが、まあ、せやな。
我々があっちこっちうろつくせいで、じゅげむの勉強遅れがち問題。
王妃様相手にポロリと相談してしまい、家庭教師と言うひらめきをもらったその件はしかし、そのあと急ぎで物資を届けるお仕事があったりなんだかんだでばたばたしててそのまま宙ぶらりんになってしまった。
そうだった。これも懸案だったのだ。
我々も夕食のあととかにじゅげむの勉強を見たりしてはいるのだが、人にものを教えると言うのはあれよ。コミュニケーションの最たるものって感じがしてます最近特に。
その点、テオは比較的適性がありそうな気がする。なにしろ常識が服を着て腰に剣を吊るしている男だ。剣は関係ないかも知れない。
しかし世の中そうそううまくは行かないもので、テオは子供に間違った知識を教えてしまったら自分を許せないなどと自らの責任感に押しつぶされた寝言を言って、じゅげむのお勉強にはノータッチだった。
意外に。意外にそう言うとこよテオ。
それでもメガネや私よりはほぼ確実に適性があるのに、ちゃんとした人間であればあるほど慎重をきして逆に微動だにしないパターン。
でもあれよ。もしもテオにそのよく解らない不動の属性がなかったとしても、じゅげむの勉強を任せ切りにしていいかどうかは別の話だ。
子供はほら。社会みんなで育てる的な。
我々に適性がなさすぎるにしても、責任とタスクの一点集中は避けるべきなのだ。多分。
あと我が家にはもう一人、人語を解する系の大人がいたがそのレイニーは寝る前とかに熱心に神の裏話を披露してくれる以外にはなにもする気がないようだ。人の世のことは知らんとか言ってた。
だから、かなりいい話ではある。
王妃様からひらめきを得た、そしてひらめきしかないままになっていた家庭教師と言う提案は。
けれどもこの異世界で家庭教師を雇うのは、貴族か、平民では資産家に限られるとのことだ。
王族になると専属の教師がお城にいつも詰めているのでまた話が変わってくるが、一般的な貴族が雇う家庭教師は月に何度か、もしくは週に一、二度の頻度で家に呼びよせ授業を行う。
合わせて生徒には復習と予習をかねた課題が出され、普段それをこなしつつ次の授業に備えるのだそうだ。
と、言うざっくりとした説明を公爵から教わり、ソファに座り直したメガネと私はほんほんとうなずく。
「凄く通信教育っぽい」
「それ。ホントそれ」
対面授業が定期的にあるので先生にきてもらうかこちらが通うかの手間はあるものの、毎日ではないし、普段の勉強を課題の形で指示してもらえるのは助かる。
我々には常識だけでなく計画性などもある訳がないので、じゅげむになにを教えればいいのかマジで右も左も解らないのだ。
しかし、一通りの説明を終えて公爵は「ただね」と注意をうながすように言葉を継いだ。
「良い教師を探すにも雇うにも、伝手が要る。君達は爵位を持たないし、住まいも……その、定まってないと言うか……」
「公爵さん……優しくにごしてくれてありがとね……」
我々、定住できないから……。渡ノ月のバグとかで。
ちょこちょこ各地に好きにいてもいい家はあったりなかったり、いいかどうかは知らんけど勝手にいたりすることもあるのだが、それを住まいと呼ぶべきかどうかは疑問ではある。悲しいよね。
公爵は、そこで私考えました。みたいな感じでちょっとドヤとした顔をする。
「家庭教師とは少し違うけど、うちにもね、子供がいるから」
「うちの子……?」
「公爵さん、隠し……」
「違うよ?」
公爵がうちの子供とか言うから、これは隠し子やなって確信のように直感したらメガネも私も最後まで言わせてももらえなかった。あまりにも繊細な話題すぎたのかも知れない。
まあそれで、「何を言い出すか解らないね、君達は」と、笑顔の種類がちょっとひんやりしてきた公爵によると公爵家には執事やメイドや騎士たちの子供も住んでいて、この子供らのために学校のようなものがあるそうだ。
「ジュゲムもそこに通わせれば良い。今までもベルホルトの末っ子と一緒に授業に顔は出していたけど、たまにだからね。カリキュラムが組めないし、課題も渡せていなかったと教師も心配していた。どう? うちなら、通うのにも都合が良いと思うけど」
蜜色の髪がとろりときらめく頭をかしげ、公爵は返事を待つように淡紅の瞳をこちらに向けて覗き込む。
たもっちゃんと私はうっかり仲よく動きを合わせ、公爵家の豪華な居間のやはり豪華に飾られた天井をぐっと見上げてはきはきと叫んだ。
「私塾~!」
「藩主が家臣の子弟を集めて開くやつ~!」
厳密には私塾と藩校もなりたちが違うし、この公爵家で開かれている学校的なものと重なる部分があるかどうかも知らないが、なんか言わずにいられなかった。
こうしてなんやかんやありまして、じゅげむの勉強遅れがち問題はアーダルベルト公爵によりこれ以上ない感じのベストアンサーが示された。
まあ、たまに授業に参加するスタイルで行くならクレブリの孤児院でも似たような感じではある。ただあちらは幼児から思春期まで幅広く、それも人数が多いため持ち帰りの課題まではとても手が回らない。
そこをアーダルベルト公爵塾ではフォローしてもらえると言うので、なにからなにまでありがたい話なのである。
問題は、公爵がお月謝はいらないとか言い出したことだ。
「いや、それはさすがに」
地球でレストランを開いていたメガネが経費とかお賃金とかあるでしょと経営面でのお金の話に敏感に食い付き、公爵が答える。
「良いんだ。良いんだよ、本当に……お金は。ただ……代わりに、夏と冬のいつものあれを……多めに欲しいと、本人の希望で……」
「……なるほど……?」
それに横から、よく解らんけどうなずく私。
夏と冬、お中元とお歳暮的にお配りしている強靭保湿ケアシリーズを? 熱望していると言うの? お月謝代わりとするほどに。
まあ、私がむやみに練り上げる保湿ジェルやクリームは強靭な健康が付与されて最高にうるおいキープしますからね。仕方ないですね。熱望されても。なるほどね。




