603 ラーヴァ伯爵
我々がお茶を飲むのを待って、アーダルベルト公爵は語る。
「王城での役職は世襲制ではないけれど、ラーヴァ伯爵はね。特殊な家だ。君達も知っている通り、先代の――ヴァルター卿だね。あの人は軍の諜報部に関わっていた、と。それも、身分を考えれば指揮する側に。そう言った話が、ほとんど事実とされている。本人も、否定はしない。面と向かって問われる機会がないと言うのもあるかもね。でもとにかく貴族の間ではそう囁かれ、またそれがまかり通る人物でもある。そしてその立場を引き継いでいるのが、現在のラーヴァ伯爵だと目されている訳だね」
公爵はここで一度言葉を切って、自らも美しい絵柄の付いた華奢なティーカップを持ち上げる。そして、甘い香りのするお茶で口をうるおし話を続けた。
「正式には、ラーヴァ伯爵の役職は外交関係と言う事になっている。だから王城での大事な話し合いにはいつの間にかいて、王も城内に執務室をお与えだ。ただし、いつも城にいるとは限らない。伯爵家は王都にタウンハウスを所有しているけど、家を空ける事も多い様だ。領地にも目を配らなくてはならないからね」
「とりあえず何かしてもらったら秒でお礼しないといけなかったって事だけは解りました」
たもっちゃんが真顔を深め、「なるほどね」みたいな顔で言う。
お城に行ったらなんとなく会える感じで考えていたが、全然そうではなかったようだ。なにもはっきりしないのに、めちゃくちゃつかまりにくい人ってことだけが解る。
ふわっとながら、なんか。そっかあ。と我々が、特には意味なくゆっくりと赤べこふうにゆらゆらうなずき合ってると、アーダルベルト公爵が再び口を開き言う。
「私も、話を聞いてしまったからね。すぐに礼状は出したんだよ」
「えっ」
我々は衝撃を受けた。
すでに手を打ってくれていた、と言うこと。そしてその手段にだ。
はー! 礼状! 礼状ね。あー、そうね。それや。
今回の場合、礼状こそが大正解って気がしますわ。
なるほどね! と、おどろきのあとからやってくる納得の波に、我々はうなずき加速させ赤べこがヘドバンへと進化した。
貴族オブ貴族たる公爵の、なんと言う周到な気遣い。すごい。
だとしたら我々にも一言「お礼とか、どうするの?」的ななにかがあってもよかった気がするが。それで、お礼状とかがおすすめだよと教えてくれてもよかったのだが、それはいい大人である我々が想定外に寝ぼけすぎてて今こうなっているだけなので、なに一つとして公爵せいではないのだ。言ってくれてもよかったけれども。
私や、恐らくメガネの心にそんな複雑な感謝とちょっとした疑問を芽生えさせた公爵は、その内心を知ってか知らずか宝石めいた淡紅の瞳をふっと遠くへやるように細める。
「そしたらね、いなかったんだよ。王都に」
語る声はひそやかで、静かだ。
「えっ……」
「君達が困ってすぐにラーヴァ伯爵からの使いが現れたと聞いたから、てっきり王都にはいるのだろうと思って……いや、それにしても監視の部下から報告を受けて指示を出すまでが速いけど。でも礼状を届けさせたうちの者が言うには、主人は残念ながら王都にはいないが確かに預かる、と、対応に出た執事が請け負ったそうだ。まさか、王都の中にすらいないと言われるとは……」
アーダルベルト公爵はそう語り、「ふう」と悩ましげな息を吐いたかと思うと、どことなく逆に笑っちゃうみたいな顔でなにもないはずの天井を見詰めた。
語り口がさあ……怪談なのよ。
「えっ? 恐い話? なんか恐い話始めようとしてます?」
「リコやめてよ! そう言われたら何かそんな気がしてきちゃうでしょ!」
我々は、ヴァルター卿のご子息のラーヴァ伯爵になぜかお世話になったのでやはりなにかお礼を。と、相談していたはずだった。
なのに、なぜ。なにこの感じ。やだあ。
じゅげむは執事の子供に会いに行き、この部屋にはいないのでふえふえと怯える我々を見られずに済んだ。金ちゃんはすぐそこで惣菜パンをもそもそ食べて、テオの肩にいるフェネさんはなんとなくぎゅっと強めに巻き付いている気がするが。
いやしかし、仮に。いや仮にって言うか実際に、ラーヴァ伯爵が王都にいないのだとしたらあの手紙はなんだったのか。
我々にはもう親しみしかないものの多分有能な部分もあるはずの隠密によりお高めのレストランに入れなくてひんひん泣いていた我々のことを知らされたラーヴァ伯爵は、なんかうまいことトロールや毛玉を連れた我々が店内で食事ができるよう取りはからってくれたのだ。
あれは伯爵直々の手紙のお陰だったのではないのか。
「あっ、代筆?」
「それは私も考えたけど、君達に見せてもらった手紙。印章はラーヴァ伯爵家当主のもので間違いない。貴族の当主を示す印章は、きっと君達が考えるより重いもの。人に預けるとは考え難いから、本人が王都にいないとしたら、通信魔道具で報告を受けて直筆の手紙を転移魔法で送ってよこした、と言うのが一番ありそうな話だね。――でも、王都は一切の転移魔法が使えないからねぇ」
私の思い付きを公爵が整然と潰し、横からメガネが「あー」と納得のにじむ声を出す。
王都には周囲を囲む石組みの防壁だけでなく、ドーム状の魔法障壁が備えられていた。これに転移を阻害する術式が組み込まれているとかで、王都では転移魔法が使えないようになっているのだ。
……と、自分があんまり使えないから魔法にうとい私がその前提をすっかり忘れ、「えっ、王都ってそうでしたっけ?」とうっかり声に出して聞き返してしまい、公爵とテオからおめーらは王都もなんも関係なしにひょいひょいひょいひょい気軽に行ったりきたりするけども、それはメガネのドアのスキルがおかしいだけやぞ。と、もうちょっとちゃんとした語彙で、口をそろえて逆ギレのようなコメントをいただいてしまった。仲よし。
割とやいのやいのと話した割に、ラーヴァ伯爵の生態については公爵がムダに怪談調に仕立て上げ、謎が深まるだけで終わった。
いや嘘。まだ終わってない。お礼はちゃんとしなくてはならない。あと、公爵も恐そうなムードをかもしただけでよく考えたらそんなに恐い話でもなかった。
そして、ラーヴァ伯爵が謎深い件にはアーダルベルト公爵の、お上品すぎて解りにくい悪ふざけも含まれていたことが判明する。
それが解ったのは公爵が、我々の「もうなにも解らない」顔に満足し、あっさり言ったからだった。
「まぁ、ただの居留守って可能性はあるよね」
たもっちゃんと私、もう逆に真顔。
「どう……どうして……公爵さん、どうして……」
「愉快犯……愉快犯ですか……私らをからかってそんなおもしろいんですか……」
まあ、私もどうでもいいデタラメを吹き込んで混乱を生み出す遊びを特になんの必要性もなくただのノリでやったりするので、公爵もちょっとおもしろかっただろうなと思わなくもない気持ちもなくはない。むしろ解る。
いや、我々もね。
ラーヴァ伯爵、留守っつうけどホントはいるんじゃねえのかな。と最初の辺りでチラッとは思い付いてはいたの。でも公爵がなんか、王都にいないってキリッと言うから。そうなのかなって。
信頼よ。アーダルベルト公爵に対する。
それがてへぺろと裏切られていたことを知り、たもっちゃんと私は一気にただれた。いや、ただれてはいない。ソファの上でぐんにゃり崩れて緩み切ってだれた。
「やぁだぁ。公爵さんまでこっち側きたらもう収拾が付かなくなっちゃうー」
自覚のありすぎるメガネの声に、「嘘は言ってないけどね」と公爵が笑う。
「礼状を届けた使いの者が、今はいないと聞かされたのは事実だよ。でもそう言われただけだから、実際は違う可能性は残る。けれども自分の名を出し助けておいて、あとからごまかす理由もないだろう? もしもそれなりの理由があるのなら、明るみにできない仕事絡みってところかな。それは……さすがに触りたくないから……。留守って……信じておくのが良いと思うな、私……」
公爵……ああ、うるわしきアーダルベルト公爵よ……。
話しながらにどんどんと目の輝きが陰って行くじゃん……。
これには我々も「あっ、はい」となり、ラーヴァ伯爵へのお礼については「手紙を書いて、日持ちのする消えものでも添えて届ければ良いんじゃないかな」と、公爵からのざっくりとしたアドバイスを全面的に支持する形で落ち着いた。
このシンプルな解決案が出てくるまでに解りにくいジョークを含めて余計な話が長すぎた気はしているが、だいぶ忘れて放置してしまった案件を貴族のことなら公爵じゃろと都合よく頼ってきたのは我々なので誰より一番我々の罪が深いのだ。すいませんでした。




