602 我々の楽観
ナッサーヴァルトの現状と、我々の楽観的な見通しの甘さ。
そしてそれに伴ったしょぼしょぼとした反省を、アーダルベルト公爵はまるで困った子供でも見るようなほほ笑みで、根気よく聞いてくれていた。優しい。
公爵は蜜色の髪をきらめかせ、軽くうなずきながら言う。
「まぁ実際、勇者が行っているからね。安心してしまうのも解るよ」
そう、女子と見るとナチュラルに口説いてそんなつもりじゃなかった感を出しながら結局仲間に引き入れて冒険の旅に連れて行ってしまったりするから若い娘を持つ親世代にはちょっとだいぶん評判が悪かったりはするけれど、あれは何度でも立ち上がり、困難に立ち向かうくじけぬ心の象徴なのだ。
だからこそ王も、到着までどうしても時間の掛かる大勢の兵士に先んじて、とにかく速く勇者をナッサーヴァルトへとやった。
公爵はそう語り、この異世界で勇者と言うものが持つ存在の大きさについて説明し私たちを元気付けようとしていたと思う。ありがたい。
しかし我々はすっかりべそべそしてしまい、そんな綺麗ごとでは割り切れない気持ちになっていた。
「でもぉ、でもぉ……まだ大変なのに普通に帰ってきちゃって、心配とか気遣いがなさすぎたと思うんですぅ」
こう言ってめそめそと泣き付いたのはメガネだが、公爵はなにも悪くないのに話を聞いてくれているだけだ。甘えすぎている我々のために、非常に面倒な役をやってくれている。
だからやはり、限度と言うもがあったのだろう。
公爵はとろりと輝く頭を少しかたむけて、いくらか考えるようにして言った。
「うん、まぁね。勇者も万能ではないね」
「ほらぁ!」
「ほんの小さな力でも、合わされば勇者を助ける事もある」
「公爵さあん!」
一瞬前まで元気付けようとしてくれていたはずなのに、公爵が本当のことばっか言ってくる。
もう優しさキャンペーンに飽きたとでも言うのか。いや、本当のことではあるのだが。
クリティカルな感じで痛いところを次々に突かれ、ぴぎゃぴぎゃと断末魔を上げたメガネと私はソファから崩れ落ちて転げ回った。
公爵家は有能な執事とメイドさんたちによりきっちりお掃除されているから、床でのた打ち回っても安心なのだ。文化的に土足ではある。
公爵家のくつろぎ空間である居間の、ぴかぴかの床でのたのたとアザラシのように暴れ回るメガネと私に公爵は、手にしたボウルをテーブルに置き、ひっそりと笑みを深めつつ長い足を組み直して問う。
「それで? ナッサーヴァルトに次はいつ?」
「王様からの救援物資も届けたばっかりなんでまだ余裕はあると思うんですけど、日持ちのする保存食が多かったみたいなんでー。野菜とか持って通おうかと思ってますぅ」
たもっちゃんはすでにそのつもりでいたらしい。
公爵の問いに間を置かず、のたのたと転がる床の上からノータイムで答えた。
ナッサーヴァルトへの物資ならうちからも資金を出そうとアーダルベルト公爵が申し出てくれたり、どこからともなくこの件を聞き付けた王様が王妃様と連名で王のための農園でプロ農家さんたちが育てた作物を持って行っていいことにしてくれたりと、手厚い協力を各所から受けた我々がせっせと勇者の不在を狙ってナッサーヴァルトの領主の城へ差し入れを持って通い続けるある日のことだ。
「あっ、せっかくお城に行ったのにヴァルター卿の息子さんにお礼言うの忘れた」
と、なんでもかんでも忘れやすい我々の、気持ちの上ではすでにだいぶん遠い記憶になってきていた王都のお高いレストランで入店拒否されていたところをなぜか急に現れたラーヴァ伯爵の手の者に救われて無事に食事できた件について、なんもお返しできてねえやと唐突に思い出したのはメガネだ。
王様と王妃様の気遣いで農作物をどんどん提供してくれている王の農園の農家さんを手伝いながら、野菜の入った重ための木箱を今まさに持ち上げようとするタイミングで口走っていたのでマジで急に思い出したようだ。
なぜ今。
そんな思いが一番に浮かぶが、でもすぐに大事なのはそこではないなと考え直した。全然なんも覚えてなかった我が身からすると、思い出しただけでもだいぶんえらい。
私は軽めの葉物野菜が入った箱を持ちあげ、しみじみとうなずく。
「確かに。なんもお礼できてねえままだわ」
ヴァルター卿の息子さんのお陰で、お高めのお店でごはんが食べられたと言うのに。これはいけないねと事態を真摯に受け止めた私に、しかしメガネは逆に真顔だ。
「まぁ、金ちゃんとフェネさんがお店に入れたのはそうだよね。支払いは俺がしましたけど」
「ごちそう様ですう」
お金の話をチラつかせたメガネに私はすかさずヒューヒュー言って、おいしかったねえ。ごはんに関してはさすタモだねえ。と、うやむやにした。
その空気を読んだのか、土の中で保存してあったイモ的なものを農家さんが掘り出したものを両手で持って箱のところまでちょこちょこ運んで使命感いっぱいにお手伝いしていたじゅげむが、埋まったイモと箱を結ぶ最短ルートをちょっと外れてメガネへと近付き、「たもつおじさん、ごはんいつもありがと」と言って去って行く。タイミングと愛らしさが完璧だった。
アイテムボックスに収納するのをなんらかの魔法に見せ掛ける係のレイニーも「ご馳走様でした」とたたみ掛け、重いものを運んでくれていたテオが若干おろおろと「……タモツ、おれも、有難いと思っているぞ……?」と、レストランのことか普段の食事のことなのか、その両方かも知れない感謝を示した。
テオの場合は圧倒的にこちらが世話を掛けている比率が高いのに、だから当たり前とあぐらをかかずに感謝を示すべき時にはちゃんとできるの、人間性がえらい。
テオにへばり付いているフェネさんは「我ね、お肉とか好きよ!」とただのリクエストを述べ、多分人語を解さない金ちゃんは筋肉を見込まれ農家さんから今朝焼いたパンの残りをもらいつつ特殊金属のいい斧でパカパカと薪を割っていた。
まあ、お金の話はいいのよ。
ごはんに関する一通りの感謝を摂取して、たもっちゃんはそう言った。すごくまんざらでもなさそうだった。
最初にお金のにおいをさせてきたのはメガネだが、あと「あの時は俺が。俺がお支払いしましたけどね」と念のため強調してもいたのだが、それもこれも、まあいいのだ。
最優先で考えるべきなのは、そんなことがあったのに放置していくらか経ったこのタイミングで思い出したことにより急いでなんとかしたほうがいいような気がとてもするヴァルター卿のご子息の、ラーヴァ伯爵へのお礼についてのことである。
我々も一応、考えはしたのだ。
たもっちゃんのスキルとレイニーのごまかし魔法をふんだんに駆使してあらゆる事象を全力でごまかし移動し物資を運び、時にはメガネが炊き出しに茶色い料理ばっかり作ったり、手伝うと逆に手間を増やす私がナッサーヴァルトの領主の城の片隅で子供相手にこれをこうしてこうじゃと水あめを練るなどしながら、一生懸命に。一応。一応ね。
ただ、自分らの中に元々なにもないよさそうな案が、急にうまいこと浮かぶ訳もなかったって言うか。
仕方がないので我々は素直に、貴族オブ貴族たるアーダルベルト公爵にこの懸案を相談してみることにした。
「そう言えば、そんな話もあったねぇ」
そのリアクションがこれである。
なんかめちゃくちゃおっとりしてた。
なんだよスゲーひとごとみたいに言うじゃん寂しいと思ったが、よく考えたら公爵にしたら本当にただのひとごとなので当然だった。
いつでもそうって感じはするが、勝手にやらかしてるのは我々なのだ。なるほど。
よく解らん恩の受けかたをしてしまったラーヴァ伯爵へのお礼について、けれども頼みの公爵は「うーん」と形のいい眉を悩ましげにぐんにゃりさせた。
「ラーヴァ伯爵はね、難しいよ」
「そんな初手から詰む事あります?」
思わずの感じで心底の困惑をこぼすメガネは真顔だし、横で聞いてる私の顔も多分似たような感じだ。
難しいて。難しいてなに。
伯爵へのお礼についてなにも思い付いてないのは同じはずの我々は、一瞬そのことをすっぱり忘れて公爵のほうへとぐっと体をよせてしまった。そんなばかな、みたいな気持ちが無意識の体勢に現れてしまった。
「落ち着け!」
さすがにテオは冷静で、しかしちょっとあわてながらにメガネと私をぐいぐい押して腰掛けたソファの背もたれへ戻す。助かる。
ちょっと一回落ち着こ。と、たもっちゃんと私は公爵家の豪華な居間で有能執事が手際よくいれた、香り高くいいお茶を高そうなカップでちょびちょびと飲んだ。




