601 誠実と不安
勇者も魔獣を狩るため出払っていて、どうやらしばらく戻らないらしい。
やるなら今だ。
そう思ったかどうかは知らないが、男子らはこのすきに空飛ぶ船でお出掛けして行った。
彼らもまた弱き者を守るため、領地に散らばる魔獣を追い掛け回すのだ。
残されたのはじゅげむと金ちゃん、レイニーに私だ。
それで私も薬になる草などを持ち、城の中をうろついて一応配り歩いたりはした。
が、これはあんまり売れなかった。金銭は受け取っていないので実際に売ってた訳ではないのだが、今は大丈夫だと断られることが多かったのだ。
ちょっと前に逃げる時すでに色々置いて行ったのと、私の草で対応できるのは軽傷者だけなのでその辺は本当に大丈夫だったようだ。悲しい。いや、いいことだと思うべきなのかも知れない。
しかしそうなると、本当にやることがなくなってしまった。
私は困り、レイニー先生に泣き付いた。
そしてそっと袖の下からおやつを渡し、領主の城の入り口辺りから周囲の湿地に頑丈な障壁をなぜかたまたま張るなどの気を起こしてもらい、その中でせっせと水草をむしった。城内に保護されている謎生物のウールザのため、水草はいくらあっても構わないのだ。
「草はいいよ、草。草は裏切らないからね」
どうしても落ち込んだ気持ちがしょんぼりとまだ回復しておらず、ついついそんな呟きが口からぼろりぼろりとこぼれてしまう。
周囲を水に囲まれたナッサーヴァルトの領主の城は門前に、まるで船着き場のような、石の床が平たく出張って伸びていた。今はレイニーの障壁に守られているその場所ではじゅげむが待っていて、収獲して桶に入った水草をしっかり見張るお仕事を勤める。
やたらとキリッと使命感に燃えるその顔が、挙動不審な私の呟きで一気に不安げになってしまったが、それはなんか仕方のないことなのだ。ごめん。
リコさんよく解んないけど元気出してとじゅげむに気を使われながら水草をむしり、たもっちゃんが保護したウールザが仮に放たれている城内の噴水へ水草を運ぶ。
水分を多く含んだ草は重いので、やはりレイニーに賄賂を渡してなんらかの魔法と見せ掛けてアイテムボックスに入れて運ぼうかと考えていた。だが、その必要はなかった。
そろそろ戻ろっかとレイニーとじゅげむに声を掛け、水中になにか動くものを見付けてばっしゃばしゃに遊んでいた金ちゃんを炭水化物で興味を引き回収。
私も膝ほどの深さの水から上がり、金ちゃんと一緒にレイニーの魔法でぶおんぶおんに乾かしてもらっている時だ。
いつの間にかにラファエルのところのおっさんが若いのを連れて「これを持って行けばいいのか」と言って現れて、重たい桶をさっさと運んでくれたのだ。
どうしたどうした。ありがとう。でもどうした。
そんな戸惑いの声を上げながら背中を追い掛け噴水に着き、でも着いたら着いたでちゃんとお礼を言う間すらなくそそくさと彼らは桶を置いて去ってしまった。なぜなのか。
それだけならまだいいのだが、いやいいって言うか、ちょっと混乱はしているが。
でもピューンピューンと鼻を鳴らすウールザに急かされ、はいはいと水草を噴水に投げ込んで、ふと。
なんらかの気配を感じた気がしてバッと顔を上げると、どこかへ行ったと思っていたおっさんが噴水のある中庭を囲む、武骨な石の壁にある戸のない出入り口の所からこそっと顔を半分だけ出していることに気付いた。
これはさすがに戸惑いよ。
思わず水草をにぎりしめ中腰の体勢で固まってしまい、待ち切れなかったウールザが手の中の水草をひんやりした口でぶちぶちちぎって持って行く。ちょっとしたふれあい牧場みたいだった。
しかし今の私には、切れ目のような小さな口で水草をもっしもっしと食い千切る謎生物に目をやることすら難しい。
なんか、目を離したら負ける気がする。なんの勝負なのかは解らない。でもどうしてもドキドキと、ずっとおっさんのほうばかり見てしまう。なにあれ。
そんな両者一歩も引かず、なんとなく一瞬の油断も許さない感じの。なぜなのか特には心当たりのないままに、駆け引きめいたピリつく空気でじりじりとにらみ合うおっさんと私。
どのくらいそうしていただろう。
時間の許す限り飛び回り、手当たり次第に水の魔獣を倒しまくって男子たちが戻った。
「ねぇ、あれどうしたの?」
そしてまず第一に、噴水の庭に面した出入り口の一つから顔を半分だけ出した、時間の経過と共にどことなく段々と表情が険しくなっているような気がするおっさんについてう問うたのはメガネだ。
やはり、城の外で魔獣と戦って細かいことなど気にしない戦士的な空気を出した男子らにしても、どうしても見すごせない違和感をかもしていたのに違いない。
解る。気になるよな。私も気になってる。
私はメガネが戻ったことに、これで万が一なにかあっても身代わりにできるみたいな安心に、ほっとして答える。
「それはね、たもっちゃん。私にも本当に解らない」
「えぇ……」
やたらとキリッとした感じになって、なんでそんな堂々としてんのと男子らをちょっと困惑させてしまった。
この、ラファエルを敬愛しすぎるおっさんの親切と奇行は、ほどなくその理由っぽいものがうっすら明かされることになる。
テオのお兄さん、アレクサンドルやその部下の騎士らはナッサーヴァルトにあふれた魔獣の討伐にいくらか貢献していたが、まだ充分とは言えない。
しかしながら今回は急遽、我々が物資を届けるお仕事のサポートを申し付けられただけで遠征の準備もなく、王都には仕事を残したままにしている。
そのため王都の騎士たちは大して力になれず、なのにすぐ戻らねばならないことを領主に詫びて出立の挨拶をしていた。そんな時。
ラファエルのところのおっさんが、物陰からぬっと出てなにやら我々のほうへやってきた。
私はとっさにさり気なくメガネを押し出し盾代わりにしたが、いつも苦々しい顔を思い詰めたようにしてその人が口にしたのは意外な言葉だ。
「謝りたかった。領主様も、ラファエル様も責めてはおられなかった。元々、あの様な速さでラファエル様を送り届けてもらっただけでも感謝すべきだと。頭では解っていた。だが、この領地の状況を見ていながら、あっさり去ったお前達は何を考えているのかと信じられなかった。……許せなかった」
「あっ、はい。すいません」
それはなんか、マジですいません。
前面にいるメガネとその後ろの私がこくこくと小刻みに頭をタテに振り、それに対しておっさんが「違う」と首を横に振る。
「間違えたのはこちらだ。……お前達は、戻ってきたじゃないか。物資を持って、王城が、王が、この地を見捨てていないと希望を持って。何も知らず、勝手に恨んだ。それを謝罪したかった。礼を言いたかった」
済まなかった。
そんな言葉を口にして、男性は深く頭をさげる。いつもは我々の言動に苦くしかめている顔を、今は自分に向けて苦々しく歪めているようだった。
我々はその姿を、複雑な気持ちで見た。
おっさんが誤解だったって言ってる部分、あんまり誤解でもねえんだよなと。
勇者からではあるのだが我先に逃げたし、今も王様から頼まれた仕事で結果として戻ってきてるだけだ。ごめんやでマジで。
そうして申し訳なくお腹がそわそわするような、居心地の悪い事実を思い浮かべる一方で、頭の端では不誠実に保身が瞬く。
誠実でいるのは大事だが、本当のところを正直に言ってしまうと、こう。致命的ななにかに触れてしまう気がする。我々の根幹と言うか、人間性に関わる評判的な意味で。
誠実と不安の間で揺れて、我々は結局、沈黙を取った。
「人間てねー、結局、保身に走っちゃいますよねー」
「まぁ……その状況では本当のところを言い出し難いのは解るよ」
若干にぶく、同意はしかねるが気持ちは解るみたいな感じであいまいな理解を示すのは、半分ほどに水の入った小ぶりのボウルを手に持ったアーダルベルト公爵である。
公爵の手にあるボウルには、ナッサーヴァルトのおみやげにじゅげむが領主の城の入り口で「あのへんの!」と厳選し私がむしったお花の付いた水草が少しだけあった。
じゅげむが水をこぼさないよう慎重にゆっくり歩いてそろそろ運び、「はい!」とぴっかぴかの顔で渡したからか公爵も水草の入ったボウルをソファに座った膝に乗せなんだか大事に持ってくれている。
場所は王都。
我々はドアのスキルでナッサーヴァルトから王城に戻り、テオのお兄さんたちと別れてさらに公爵家へと帰ってきていた。




