600 よくない
こんがりと適切に焼かれたお肉と共に現れた、若武者然とした姫の圧倒的強者感。
そして動物性たんぱく質を愛しすぎる金ちゃんの、別腹的な食欲の開眼。
この両者のぶつかり合いで、執務室はわあわあと荒れた。
盛り上がりすぎたとも言う。
男子らも一通りの報告は終わっていたようだ。
どっしり重たい大テーブルに地図を広げてあーだこーだと話し合っていた王様や公爵までもがその内に、肉フィーバーの熱に浮かされおやつとお肉を礼賛する集まりへ合流。
やいやい言って盛り上がり、もはやなにも解らないカオスの波へとのまれて行った。
ただし、これはただフィーバーしている訳ではなくて、待ち時間でもあった。
私がそう知ったのは、しばらくあとのこと。
お城に勤める侍従や兵士が、すぐに使える治癒師のための魔道具や細々とした医療物資を執務室へとどんどん運び入れてきた頃だ。
「食料も別に用意させている。疾く頼む」
物資を前にそう言ったのは王様で、これに「はぁい」と、軽く、しかし当然のように答えていたのはうちのメガネだ。
私がおやつの魅力に吸引されて王妃様に悩みを聞いてもらっている間に、そう言う話でまとまったらしい。
男子らはこの物資が集まるのを待っていたようで、金ちゃんを囲む会はこの辺りで解散。別の場所に用意されていた大量の食料もなんらかの魔法と見せ掛けてアイテムボックスに預かって、急いでナッサーヴァルトへ届けるお仕事に入った。
別れ際、武者姫は「次はもっと肉を用意しておく」などと言っていた。
王様は、この件を冒険者ギルドにも話を通して正式な依頼にしてくれたようだ。
ただ物資の量が量で行き違いの許されない状況であるため、見届けのため王城の騎士が同行する運びだ。選ばれたのはテオのお兄さんでした。その部下もいる。
恐らくは我々の、正しくはメガネが使えるデタラメなドアのスキルについて知っていて、口が堅そうと言う観点でお兄さんたちが誰よりも適任だったのだろう。王様の配慮が止まらない。
そうして急遽の呼び出しを受け、大体の事情を聞かされてからお兄さんは言った。
「お前達にはすっかり便利に使われている気がする」
「やだぁ。気のせい」
「お兄さん、考えすぎ」
たもっちゃんと私は「そんなことないですう」とそつなく、それはもう完璧と言うほかにないフォローを入れたが、これは実兄であるアレクサンドルが現れるなり普段の穏やかさや社交性をかなぐり捨てたテオが自らの麗しめの顔面をぎゅっとして全力での拒絶を隠せていないのをごまかそうと言う意図もある。ごまかせていたかは解らない。
あと、じゅげむはアレクサンドルと初めて会ったのがテオとばちくそに兄弟ゲンカしている時で、そのためかいまだに警戒が解けないようだ。今も、妻のそばが定位置よねとテオに貼り付くフェネさんと一緒に、じゅげむも足にしがみ付く。テオの安全は僕が守ると言わんばかりでなかなかによかった。
そうして割とごちゃごちゃと、しかし手早く準備は整えられた。
たもっちゃんのドアのスキルはあんまりおおやけにはしないほうがいいのかな。みたいな気持ちもなんとなくすごくあるのだが、テオのお兄さんやその部下の隠れ甘党たちなどが現にそうであるように、すでに知っている人たちもちらほらといる。
そうなると立場上さすがに王様に報告しない訳にも行かなかったようで、だからこの、ナッサーヴァルトになるべく早く救援物資を届ける仕事もそのスキルありきで割り振られたものだ。
同時に、王様的にもドアのスキルは便利だが秘匿しておきたいタイプの便利さらしい。ドアからドアで移動して、しかしドアのスキルを隠すと出てくる統合性への支障についてはうまいこと隠してくれると言う。
そうして、移動にはこのドアを使えとアレクサンドルが案内したのは城内の、少し奥まった位置にある倉庫のような部屋だった。
掃除は一応されているようだが、普段は捨て置かれているのか、どことはなしに空気までもが古びたようにひんやりと静かだ。
倉庫の中の物入れに付いた簡素なドアをアレクサンドルの部下である隠れ甘党の半分が守り、アレクサンドル本人と残る半数がメガネの開いたドアを通って遠く離れた領地へあっさりと、けれども油断せずに向かった。
「去ったのではなかったのか」
で、いきなり見付かったのは男装聖女たるラファエルの、信奉者であり治癒の旅の活動を支える同志でもあるおっさんだった。
「いや、一回帰ったんですけど、ちょっと頼まれて……」
おっさんはラファエルの悪い友達である我々に対していつも当たりが厳しめなので、答えるメガネもついつい腰が引けている。
しかし、おっさんも話す途中で王都の騎士が一緒であることに気が付いたようだ。
「もう王都に行って戻ったと? ……いや、あの船があれば……」
いや、船ではない。ドアだ。
でもなんか納得してくれたので、「あ、それっす」と言うことにして我々は「勇者いない? ねえ、勇者いたら教えて」などとびくびくしながらナッサーヴァルトの領主の城をこそこそ歩き、深海魚顔の子爵を見付けて王様からの物資を無事に引き渡すことに成功した。よかった。
「有難い。民がどれだけ救われる事か。王にも、よくよくお礼を申し上げて欲しい」
「承知しました。必ず」
ナッサーヴァルト子爵が述べて、アレクサンドルがその言葉を受け取る。医療物資や食料の積み上がる前で、彼らは交わした握手をそのまま離さず話を続けた。
「援軍については」
「我々よりも先に出ましたが、それなりの数です。別のルートで程なく到着するでしょう」
領主の兵もがんばっているし、先日はメガネやテオも討伐隊に加わっていた。
今は勇者一行が領地を飛び回り転戦するが、それでも取りこぼした魔獣があふれいまだ領民を城にとどめるほかにない。
そう語る子爵の顔はぬらりと疲れや油分に陰り、今もまだ状況は厳しいと解る。この姿に、やっと解ったとも言えた。
元凶らしき巨大魔獣は茨で巻いたし、男子らもそこそこの魔獣を何体も倒したと聞いていた。
我々が急いで撤退したのはまた別の理由だが、勇者とか。――ただ、正直、もう大丈夫だろうと思ってもいたのだ。
でも、実際は厳しい状況のままだった。
ちょっとこれ、ゆっくりしすぎちゃってたな……。王様に報告に行くまでに。
て言うか最初は報告に行くつもりもなくて、アーダルベルト公爵が気が付いてアポまで取ってくれたお陰でしかない。
できることはやったみたいな気になって、勝手には、そして急には回復しない窮状を知ろうともしないままになるところだった。
よくない。よくないぞそれは。
「あの、これも。王様から預かってきました」
思った以上にダメだったところに気が付いて、急激にしょぼしょぼしてきた我々はやはり声までしょぼしょぼと、すでに魔力が充填してあってアイテムボックスには入らなかった別の荷物を差し出した。
アレクサンドルとの会話を止めて、ナッサーヴァルトを治める子爵が首をかしげる。
「これは?」
「何か、治癒魔法を支援する魔道具らしいです」
「それは! 何と、有難い……あぁ、丁度きたな。ラファエル、これを」
子爵は自分の腕で受け取ったばかりの重たげな箱を、それっぽい魔法に見せ掛けてどんどん物資を積み上げた部屋に、たった今現れ扉をくぐろうとしていたラファエルに示す。
その後ろには我々をここまで案内してくれた同志のおっさんがいて、どうやら彼女を呼んできたのはこの人のようだ。
「こんなに……貴重なものを。助かります。これほど早く助けが得られるとは」
そう言ってほっと息を吐くラファエルの、手や胸元にはもうほどんどアクセサリーは見られない。あれも魔道具だったと聞いたから、治療のために消費し尽くしてしまった可能性が高かった。
このことにもメガネと私はさらにしょぼしょぼしてしまう。ごめんやでえ……ラファエルたちが踏みとどまってがんばってんのに、我先に逃げてごめんやでえ……。
恐らく子爵もラファエルも理解がありすぎるので我々を責めたりはしてないのだが、なんだかどっと悲しくなってしまった。こう言うところや。我々、こう言うところやぞ。
なんかね。我々よりも百万倍しっかりした人類がいるから、我々がなんかしなくても大丈夫だと思っちゃった。よくない。
誇り高い騎士であるテオのお兄さんや部下の隠れ甘党たちもナッサーヴァルトの状況が決してよくないのを察してか、困っている者があるのになにもせず帰るのは業腹だと言い出し、たもっちゃんを引っ立てて船を出させてあっと言う間に飛び出して行った。そうして手当たり次第に魔獣を狩って、二時間ほどで戻った。フットワークよ。




