593 人権について
私は人権について考えていた。
考えるとしたら恐らく遅いし、私に実装されている茨のスキルで生物を巻くには、対象から攻撃を受ける必要がある。
つまり「やったらあ!」とキレ気味に乗った時点で私はこの事態を正しく理解しているか、少なくとも予想くらいはしていてしかるべきだった。
例え、私にただの勢いしかなく、細かいことはなんも考えておらず、一回攻撃はされるやろなと思ってはいても実際にでっかい魔獣のぎざぎざと無数の歯がびっしり付いた筒の内側みたいな口腔を目の当たりにしてやっと、「あっ、やっべ」と思う程度の低すぎる危機意識しかなかったとしても、だ。
恐いね。勢い。
私の判断力をそんな信用しないで欲しい。
しかし、私が完全なパニックで「うぇーい」とただただロープの先で揺れている間に、天界製の茨のスキルはきっちり仕事をしてくれていた。
生物から引きずり出されたはらわたが、水の中からぬるぬると天に向かっているかのような。
蠕虫めいて醜悪な、巨大な魔獣は深く暗い穴のような口で私を飲み込む直前にどこからともなく吹き出した瑞々しい茨に全身を巻かれた。
それはほとんど一瞬のことだ。
それでいて、この先どんなに時間が経とうともスキルによって戒めた茨がほどけない限り、わずかばかりも魔獣が動くことはしない。
そしてこれは、それからもっとのちの話だ。
もたげた頭の先端でやわやわと放射状に開かれた無数の触手が大輪の花に見えなくもないと、茨に巻かれた魔獣の泉が物見遊山の観光客や、めずらしい魔獣が見られると聞き付けた一部の熱狂的錬金術師などに大ウケの観光スポットになるとは、我々にも思いもよらないことだった。
こうして天界製の茨のスキルに丸投げし、巨大魔獣を見事ぐるぐるに巻き終わった我々。
無事に釣り餌のお仕事を終え、ぜえはあと船の上に引き上げてもらった私は「なんかやばかった。マジでやばかった」などと、なくした語彙力で一生懸命訴えた。
また、茨で巻いたはいいのだがこのエロ要員と見せ掛けて鬱展開待ったなしの魔獣。森の中の泉からえぐめの花のように天へと伸びるこの状態で置いて行っていいのかと、心配になって確認してみたところムダにテンションを上げすぎたメガネが説明を全部口走る。
「あのね、あれ。あのレベルででっかくて地下の岩盤を掘削できる魔獣ってそうそういないから、あいつをどうにかすればよかったんだけど、でも穴が残ってたらどんどん魔獣が出てきちゃう訳じゃない? それでよ。俺、考えました。あいつの胴体が穴ん中に残ってる状態で茨で巻いて止めちゃえば、その胴体が栓になってほかの魔獣も出てこれなくなる、ってね!」
なお、地下からわき出る豊富な水はナッサーヴァルトの産業に欠かすことのできない資源だが、地下水脈が地上にしみ出すポイントはほかにもいくつかあるのだそうだ。
それに、茨で巻いた巨大な魔獣が栓になった水脈の穴も完全に密閉している訳ではなかった。今も普通に水は出ているし、むしろ魔獣のせいで水量が多くなりすぎていたものがちょうどよくなっているほどと言う。
完璧な計算。一分のすきもない大成功。
私にげしげし蹴られながらにメガネは自らが立案、実行した作戦を自画自賛した。
こいつの精神力は悪い意味で鋼か。
私も正直うっすらと私にしかできん言うたら生餌パターンやろなとは一応うっすら思っていた部分はあるのだが、やっぱ実際ぶらぶらと餌にされると思ってた数倍恐かったのでつい暴力に走ってしまった。反省はちょっとだけしている。
その一方で、だが、と思う。
たもっちゃんの説明に、だとしたら掘削に特化した巨大魔獣が地下水脈の出口となったあの泉へと到達する前に、そこそこ大きい魔獣が現れたのはなぜだろう。
そいつが水脈を掘り広げなければ、あれらも出てこられないはずではないのか。
いらだちのままメガネの足をぐにぐに踏んでる私の胸に、そんな疑問がぼんやり浮かぶ。
その辺のことも一応聞くと、それはそうやなとどこか遠くを見るような、なんとなく自分にしか見えないカンペを読むみたいな感じの遠い目で、巨大魔獣がごんごりと地下の岩盤を掘り進むごとに流れ込む水量が増えて行きその圧力で水脈が広がった結果、どうたらこうたらしてたっぽいとメガネは語った。
どことはなしにどやどやとしたイラつく顔のメガネによると、なんかそう言うことらしい。なるほど。解らん。
たもっちゃんの柔肌にどれだけ足跡を付けようと私の心は癒されないが、そして別にそんなに柔肌でもないが、心配してた割にはなぜかわくわくと私を送り出したじゅげむに「りこさん、だいじょうぶ? すごかったね。がんばったね」とねぎらいのお言葉をいただいたり、テオからは真顔の無言で癒しアイテムとしてのフェネさんが差し出され「えー、我、もうもまれるのやだぁ」などとぼやく白い毛玉をこれでもかともみしだかせてもらったりしてなんとなくちょっと気分が浮上した。自称神が自慢する毛並み、さすがだった。
帰りの空飛ぶ船の操縦は私に足を踏まれっぱなしのメガネではなくレイニーで、彼女は「天界のスキルですからね」と茨のスキルに全幅の信頼をよせすぎて、無事で当然とばかりに釣り餌を務めた私に対してはあくまでも塩だった。なぜならすごいのは茨のスキルなので。ちょっとはほめてくれてもいいのよ。
あと、空飛ぶ船には金ちゃんも当然同乗していたが、水中から現れた巨大魔獣に張り切って斧をスタンバイしてたのに全然出番のなかった不満を船の甲板にごろーんと大の字に寝転がり、全身の全力で表していた。かわいそうだった。
そんな感じでぐだぐだと、今回の作戦は立案者の人格に問題があると主に私が、自分もうっかり勢いで乗り気だったのを棚に上げ強く主張する中で船は領主の城へと帰還する。
――で、ナッサーヴァルトを治める領主、全体的に深海魚み強めで丸っこい子爵に「魔獣出てくる穴塞いできました!」と張り切ってメガネがどやどやと報告。
そのリアクションがこれである。
「は? 穴?」
めちゃくちゃ不審そうだった。
なるほどね……。
これが、普通のリアクションと言うもの……。
我々は、きっとどうかしてしまっているのだ。なんか、その辺の感覚が。
解るよ。巨大魔獣を茨で巻いて水脈の穴をほどほどに塞いできましたとか言われても、マジで訳解んないよね。そらそうよ。
しかも見て。
今現在ものすごく困ってる真っ最中の問題を解決し、やってやりましたよとばかりにどやどやと報告したのに思ったよりもリアクションが鈍く、「あれっ?」と即座にテンパったメガネがあわあわと説明すればするほどに、子爵はもじゃもじゃとヒゲの生えたあごいっぱいに大きな口を引き結び険しい顔になって行く。
子爵もまだまだ状況が厳しく、疲れているのかうまく不審が隠せていない。
体を清める時間すらおしんでいるようで、ただでさえ深海魚の味わい深い風貌がぬるりとむき出しの頭皮まで自らの油分でなんとも言えないテカリを放つ。
これはその、男同士のやり取りをはたから聞いて解ったのだが、どうやら、メガネ。穴掘り魔獣を茨で巻きに行く前に子爵に相談しておらず、そもそも魔獣が地下の水脈を掘り広げ大森林からきてたってことも説明していなかったようだ。
ほうれんそうなどと言うどっかで聞いたことのありそうな言葉が私の頭にそこはかとなくうっすら響いて消えて行ったが、きっとなにかの気のせいだろう。
そう言った、えらい人に情報を全然上げてないなどのただひたすらにメガネに非がある事情があって、寝耳に水と言った様子で子爵の困惑は深かった。メガネの言い訳と説明がド下手くそなのも多分ある。
同時に、説明ド下手くそのメガネ自身も戸惑っていた。
「えぇー。どうしよ。思ってたんと違う」
なんだかんだでお礼くらいは言ってもらえるかと思ってた……。と、気持ちはちょっと解らなくもないが多分正直には言わないほうがいい本心をぽろりとこぼすメガネの肩を、私は気遣わしくそっと叩いて首を振る。
「たもっちゃん、感謝の強要はよくない」
心の中ではざまあと思ったりしているが、それはそれなのだ。
我々がそんなやり取りをする内に、子爵は顔をはっとさせ少し冷静さを取り戻す。
「あ……いや、確かに。それが事実であるのなら、願ってもない朗報には違いない。礼など幾ら言っても足りないほどだ」
それはそう。心底そうよ。と自分を納得させるみたいに小さく何度もうなずいて、子爵は取りなすように言う。
けれども。
「しかし、俄かには信じられぬのも正直なところだ。確認はせねば」
あまりに都合のいい伝聞をそのまま鵜呑みにはできないと、子爵は努めて慎重に部下に即座の裏取りを命じた。




