592 茨で巻くお仕事
よく考えたらじゅげむへの炸裂する気持ちと巨大魔獣を茨で巻くお仕事に関連性はあんまりなかった気がするが、なんかもうたまらなくなってしまってそうなった。勢いである。
でも、まあ。なんか。あれですし。
足元が全体的に水であるナッサーヴァルトの領民たちは、樹上に家を作る文化があった。そのため魔獣があふれ始めた頃の、比較的小さめの水の魔獣に限ってはほとんどの被害が謎生物のウールザを始め、家畜に対してのものが大半だったそうだ。
あくまでも、ナッサーヴァルトに現れた魔獣の多さに対してと言う話ではあるのだが、人的被害が予想すべき規模よりもかなり少なかったのはその住環境のお陰もあった。
しかしその幸運も、時間の経過と共に薄れて変わる。
段々と魔獣の種類や大きさが増し、避難の間に合わなかった僻地の村が襲われるようになったのだ。恐らく水脈にまぎれ込んだ巨大魔獣が土の中を掘り進み、水だけでなく魔獣の通り道まで広がったのがその理由だろう。
救いなのはそうして稼がれた猶予の間に領主も対策に乗り出して、兵に命じて領民の保護にあたっていたので守られた数も多かったことだ。しかし、それでも被害がないとはとても言えない。
そのことを思うと、ほら。なんとかできるならしたほうが確実にいい訳ですし。
――と、言うことで。
早く早くと急かされ起こされレイニーに髪をびゃびゃっと整えられて、たもっちゃんにはおにぎりと味噌汁。なぜかテオにはダシ巻き玉子を差し入れられて、領主の城のバルコニー的な広場の外にスタンバイした空飛ぶ船に乗せられた。
みんなは朝ごはん食べたのかよと思ったら、やっぱり時間が早すぎてまだだったようだ。結局は船の上でみんな集まり、もそもそと食べた。
そうして運ばれ到着したのは森の中、水のわき出る場所である。
ナッサーヴァルトの水の森には大体水があふれているが、その場所がほかと違うのはぽっかり丸く森が消え木の生えていない空間があると言うことだ。
いや、元々は、少なくともいくらか前までは、木々も生えていたのだと思う。
森の中にぽっかり開く空間はほかより深く、泉のようになっていた。その中央部分の底のほうでは水が絶えずわき出して、細かな砂を巻き上げて対流している様子が解る。
その水に押しやられてか、それとも水脈を通り出てくる魔獣のせいなのか。
周りを囲む水の森と泉となった範囲との、あいまいな円形の境界線にそうように倒れた木々が、水に沈んでゆらゆらと折り重なっているのが見える。
いつからこうなのかは解らない。
この場所に元々生えていた木々が、どうして今や水に沈んでいるのかも知らない。
しかし泉の底はわき出る水に砂を巻き上げうごめいて、これでは足元がぐずぐずで根を張り立ってはいられないと思う。
それに。
森の上から空飛ぶ船で見ているだけのわずかな間にも、わき水でやわらかに波打つ砂の底からちらほらと、小型の、なんらかの生物が浮かび上がってすいすいと泳ぎ森へ消えて行く。あれも魔獣の一種なのだろう。
その光景に、私も思わず声が出た。
「あかん」
水脈を通って魔獣が出てくるとは聞いていた。けどもキミ。こんなちょっと見てるだけの間にぽこぽこ出てくるレベルとは思わないじゃない?
これマジであかんぞと、真顔で呟く私の声をそわそわいそいそと拾うのはメガネだ。
「そうでしょ。早く何とかしないとでしょ」
解ってもらてよかったですう! と、まるで私の気が変わるのを恐れるかのように、たもっちゃんは極めて素早く作戦開始の準備に掛かる。
そしてほどなく、胴体にロープをぐるぐる巻きにされ船のへりに立たされる私の姿があった。どうして。
「たもっちゃん、これさあ……」
「大丈夫大丈夫! 俺、うまく釣るから!」
「えっ、釣るの?」
私は、地下で穴を掘っていると言う巨大魔獣を茨で巻くためこの準備は必要なのか、また、どうして、まるで今から水の上に垂らすかのように自分の体にロープが巻かれているのかと疑問を込めてメガネを見たし、たもっちゃんはたもっちゃんで完全に巨大魔獣を想定した上でフィッシング的な発言をした。
巨大魔獣をなんとかすると言う共通認識を持ちながら、どうしようもないすれ違いを感じる。
その作戦は聞いてないんですけど。釣る必要はないと思うんですけど。茨で巻いたらそれでいいと思うんですけども。
そんなツッコミが私の頭に次々と浮かぶが、それらを口にする前にメガネが「あっ、きそう!」と隠し切れないわくわく感でいっぱいに私のほうをひたと見る。
「ファイト?」
「ハツラツ! ……とは絶対言わねえから」
と、言っている途中で私はぽーいと船のふちから落とされて、残った声が「なあああ!」と悲鳴のようになってしまった。
たもっちゃんにだけ楽しいやり取りだったし、私のリアクションもそれを言うならハツラツじゃなくて正解はイッパツのほうだったわ。
ああ~! つって船からぽいっと放り出された私。ひどい。扱いが。
しかし、そこはほら。胴体にしっかり巻き付いたロープの長さがちゃんと計算されていて、水面よりもだいぶん手前でグッとなってビンッとなってぶらんぶらんとなって止まった。つらい。
「腋……腋のとこが痛い……つらい……」
「リコ! ガンバ!」
「りこさん、だいじょうぶ? こわくない? えっとね、がんば!」
ロープで空中に吊り下げられてぶらんぶらんと装備の不備を訴える私の、ちょっと遠めの頭の上から聞こえてくるのは調子こいたメガネと純粋に心配するようでいて最終的には力強く声援を送ってくれるじゅげむの声だ。
どうして。
じゅげむ、なんかちょっとわくわくしちゃってない? と言う疑惑と、私のじゅげむはそんな子じゃないでしょ。とすがるような気持ちと、頭の端の冷静な部分でやっぱりこんな雑な作戦の場に子供を連れてきてはいけなかったのではないかと言う心配や不安がごちゃまぜに、私の胸いっぱいに広がる。
リコさんがんばるのに僕だけお留守番できない。ついてく。などと涙を浮かべられてしまい、たもっちゃんもヘーキヘーキと言っていたので、じゃあ、まあいいか。と、もそもそごはんを食べながら一緒に船に乗せてきてしまった。
私は今、そのことに対するうっすらとした後悔と、我々と言う存在と我々の雑すぎる人間性が若年層に与える悪影響についての懸念でいっぱいだ。
じゅげむ。どうしてそんな声まで弾んじゃってんの。私、釣り餌にされてますけども。
養い子がやたらと我々に似すぎてきているような気がして、とてもまずいような思いがすごい。
そんな不安なような気持ちと、腋の下がぎゅうっとなってどんどん痛い。と言う、のっぴきならない思いのはざまで文字通り、ロープに吊るされぶらんぶらんと揺れていたのは結局わずかな時間のことだ。
たもっちゃんのちょっとあわてた「あっ、きそう!」の言葉通り、ほどなく。
私や私を吊り下げた空飛ぶ船のかなり下に広がった、水の森でも一際深く、ぽっかり広がる泉の中央。その水底の、わき出る水にうごめく砂が一瞬ひたりと静まり返る。
そして。
水面までをも押し上げて、不自然に、奇妙にざばりと水のドームが隆起した。
そうしているのは巨大な魔獣だとすぐ解る。
なぜなら水面高く隆起した水のドームを内側から食い破るようにして、それが頭を現したからだ。
それは醜悪な生物だった。同時に、しなやかな機能美を備えてもいた。
体はやわらかなホースのように細長く、筒状で、その頭らしき先端にイソギンチャクでもくっ付けたような無数の触手がうごめいている。薄い本とかで見るやつや! ――と、どうしようもなく汚れた心で思った刹那。
それは無数の触手を放射状にぬるんと開き、その奥に隠された本当の頭――ギザギザとした鋭い歯が幾重にもぐるりと生えた大きな口を見せ付けた。
この時点で私はもうなんか、触手と言えばエロ展開と見せ掛けて普通に凶暴なモンスターで無情にもヒロインが永遠に退場する鬱展開のあれ! みたいな変な方向に感情が振り切れてしまった。
そのせいか頭が真っ白で、無数の触手とそれらに縁取られた大きな口が、うぞうぞうごめき迫ってくるのを釣り餌よろしく吊り下げられたロープの先で間近に見ても「うぇーい」くらいしか言葉が出ない。
パニックになりすぎるとなんも言えなくなってしまって逆に落ち着いて見えちゃうタイプ、大丈夫そうだと思われて誰も助けてくれないの損すぎるから本当によくない。うぇーいは自分でもどうかと思う。




