589 まぶしくテカる
領土のほとんどが水に沈む森である、ナッサーヴァルトを治める領主は有能な人だ。
そう聞いていた。
だからと言う訳ではないのだが、いや、やっぱちょっと先入観はあったと思う。
なので、魔獣の群れに蹂躙された森の上を船で飛びほとんどは上空からではあるもののこれまで見てきた光景にすっかりダメージを受けてしまった我々が、とにかくなんとしてもなるべく早く炭水化物とカロリーを摂取せんとどこからともなく取り出した大鍋を構えて勝手にかまどを設置しようとしているところへ、まるで弾むかのようにころんころんと階段を転げ落ちる勢いで全体的に丸っこい紳士が現れた時にはちょっと意表を突かれてしまった。
丸い。なんか解らんけど、めちゃ丸い。
そして、非常時だからだろうか。
身なりを整える時間さえおしいとでも言うように、自分で分泌したとおぼしき油分でまぶしくテカるむき出しの頭皮と顔面はどこか、ぬるりと深海魚顔だった。
ナッサーヴァルトを治める領主、ナッサーヴァルト子爵はそんな、大きな顔の小さな両目をぐりぐりさせてラファエルに言う。
「ラファエル! こんなに早くきてくれるとは!」
そしてぐるりと辺りを見回して、まるで、感情をこぼしてはいけないとでも言うように。
もじゃもじゃとヒゲの生えたあごいっぱいに、大きな口をぎゅっと一文字に引き結ぶ。結局はすぐに開くことになるのだが。
子爵は、黄土の石でできている城の上にぷかぷか浮かぶメガネ自慢の鉄甲船と、その甲板から城の中の広場へとレイニーが魔法障壁を絶妙に組んで作った階段をおそるおそるに人々がおりてくる様子を数秒見詰めてぼそりとこぼす。
「あの船は……?」
まあ、それはそう。
石でできた堅牢な城の中にはぱっと見て解る範囲でも、どうにか逃げ込んできたと言うような村人などの一般人や負傷者の姿が目立つ。
精神的に、そして実際に人々を守る砦の城に、いともたやすく上のほうから乗り込まれては心穏やかではないだろう。ごめんね。うちのメガネが人の心に鈍感で。
しかし、ナッサーヴァルトを治める子爵がぼう然としたのは束の間のことだ。すぐにはっと我を取り戻し、ラファエルにひたりと目を向けた。
「いや、感謝する。あれは領民達だろう? 駆け付けるだけでなく、保護まで……。有難い。――しかし、浅慮だ。そなたに何かあれば、救われぬ者が増えるのだぞ」
「いえ、子爵様。僕らは何も」
ラファエルは治療のジャマにならないようにゆるく束ねた長い髪を揺らし、子爵の感謝と苦言をやんわりとさえぎる。
そして、「いや、ガンガンに治療はしてたから何もって事はないやろ」「せやで。だいぶ色々やってたやろ。やりすぎて同志のおっさんとかに止められてたやろ」と、ちょっと距離のある背後からやいやい言ってるメガネや私を魚顔の子爵に引き合わす。
「僕も負傷者を癒しはしましたが、それこそこの身の使命かと。領民を保護したのは彼らの功績。こうしてすぐに馳せ参じる事ができたのも、あの空を飛ぶ船あってこそ」
「おぉ」
芝居のように大げさに、さっと手を向け紹介された人物に子爵は感嘆の声を出す。
その視線が完全に私の隣のメガネの少し後ろで肩の辺りに白いふわふわの毛玉をくっ付け立っていたテオを見ている気がするが、これはもうご慧眼と言うべきだろう。
さすが子爵。よくぞ見抜いた。この中でまともな人間は恐らくテオだけなので、ある意味では大正解である。
それで。
テオがAランク冒険者であると解って子爵がはちゃめちゃな期待と安堵を垣間見せたり、それはそれとして船を飛ばしてきたのはなぜか大鍋をカメの甲羅のように背負って「どっかにかまど作っていいっすか?」と食事の準備に取り掛かる意欲まんまんのメガネであると言うことと、そのメガネがAランクには及ばずもBランクの冒険者であることが解って子爵を一瞬ぬかよろこびさせて、すぐに冒険者ギルドで割と最近作り直した身分証的なカードに書かれた「ただし集団作戦はDランク相当とする」の注意書きによりあからさまに落胆させると言うくだりを、しっかり回収してしまった。なんかすいません。
だがそこはラファエルやテオのフォローによってこの領主の城にくるまでにメガネがまあまあの数の大きな魔獣をボコボコにしたことなどが報告されて、集団作戦じゃなければできる子なんだねえ、と言う感じに落ち着いた。落ち着いていいのかどうかは解らない。
けれどもやはり、集団作戦に使えないと言うのは混乱の多い現場では困ることのようだ。どう転ぶのか読めないからだ。
その辺りを含めて少し話があるらしく、ラファエルたちとできる冒険者であるテオはナッサーヴァルト子爵に招かれ会議のためにどこかへ行った。
なにをしでかすか解らないので扱いに困るうちのメガネは当事者ながら、全然アテにされていないのだ。
なのでそのメガネを中心に、我々は子爵から「まぁ……好きにしなさい」と言われたのをいいことにお城の広場に適当な石材でかまどを組むとちょっとした湯船ほどもある大鍋を据えて、わっさわっさと切り刻んだ食材を旨味成分のぎゅっとしたおダシで煮込んだ。
そうして少し待ちの時間に入り、つい考えてしまうと言うように。
たもっちゃんは大森林のドラゴンさんのダンジョンで丹精込めて狩ってきた、お味噌をスタンバイしながら煮える鍋を見詰めてこぼす。
「何かさぁ、何か……あれだよね……。スタンピードっつったらさ、もっとこう、イベントっぽいかと思うじゃん? 違ったよね。つらい。何となく思ってたより酷くてつらい」
「たもっちゃん……やっと気が付いたか……。自分で気が付けてえらいね……。そうでしょ。なんかラノベとかでよくあるやつやとか言って、テンション上げてる場合じゃなかったでしょマジで」
「うん……とりあえずお味噌入れるね……」
たもっちゃんは全体的にめそめそと、反省と失望に打ちのめされつつ味噌で仕立てた汁物だけはしっかり味を取って完成させる。
その内に男装聖女に付き従って慈善の旅をしている同志らの、イタチ系獣族の女子やいつもは口うるさいおっさんや、お城の人たちがなんか手伝うと集まってどこからか大量の食器が運ばれて、たもっちゃんの反省スープが希望者たちに振る舞われて行った。
ナッサーヴァルトは水生魔獣の畜産が盛んで、体力勝負のこの仕事には獣族の従事者が多いとのことだ。そのためか、城内に避難した村人は人族と獣族の割合がほぼほぼ半々のようだった。
彼らは振る舞われた謎の茶色いスープをおそるおそる受け取って、種族を問わずなんだこれなんだこれと戸惑い囁き合っている。なかよし。
黄土色の石を積み上げつくられた城は、やはり内部も全体的に石っぽい。武骨な、けれども端々に意匠のこらされたレリーフが見られ、今はその階段や柱に座り、またはより掛かり、異世界ではまだめずらしいミソスープを手にした人々がほんの少しだけ、ほっとできる時間をすごした。
茶色すぎる謎の汁物はマジで謎すぎたと見えて、かなりおっかなびっくりに遇されていたが。
それで味噌で仕立てた茶色い汁に戸惑いすぎた地元の人になんなんだよこれはと問われたり、たもっちゃんがそうして投げ掛けられた質問に、なんならもっと茶色い料理あるけど、食べる? とか言って、今度こそ行ける気がすると定期的にチャレンジして大量に残りがちのカレーを出してさらに村人たちを戸惑わせるなどの交流を深めた。
私としては困らせるのやめたげなさいよと思うばかりだが、困惑も度がすぎるとあきらめと言うか、もーなんか、なんも解らんけどどうでもいいか! みたいな、投げやり気味の感じになる場合もあるようだ。
運よく今回がそのパターンで、たもっちゃんやその辺にいた人族獣族ごちゃまぜの村人たちは、なんだかんだと世間話のようにしてずっとやいやい言い合っていた。
「なァ、この汁辛くねェか?」
「カレーだからね!」
「こっちは薄そうに見えて、しっかり味してんな」
「味噌だけじゃなくてお出汁効かせてるからね!」
「ウールザの肉も合いそうじゃねえか」
「あ、それってこの辺で育ててるお肉?」
「おォ。水草しか食わんから、ほかでは飼えんし臭みも少ねェ。売りモンだからよ、オレらの口に入んのはくず肉くれェだが、それだってやらかくてうめェわ」
「へー! 食べてみたい!」
おっさんたちが口々に、自慢げに絶賛する肉だ。たもっちゃんがそう言ったのは当然の流れだったと思う。しかし、ここで唐突に男たちはふっと言葉を途切れさす。
「あー……今は魔獣にだいぶんやられちまってなあ……」
そして、憂鬱そうに重たい口でそう告げた時、どこかで誰かが悲鳴を上げた。




