583 巨匠……
我々がいるのはローバストの新たな産業と見込まれて、有能なる事務長によって整備された木工所。その建物の一角を受け設けた、ちょっとした作業スペースである。
まあまあの広さを貸してもらってせっせと準備を整えるメガネが、背の低いテーブルや地面に並べているのはステンドグラスを製作するために必要なファンゲンランケの消化液や染料などの素材。それから色を溶かした液状の素材を流し込み、任意の形に固めるための型である。型と言ってもまだデザインも決まっていないので、現段階ではただの土のかたまりだった。
この、ほぼほぼメガネが万端に用意した製作環境に、まるでその道の大家のように「うむ」とキメ顔で座るのは私だ。
そう、我々はそれが目的でこの場所にいた。
男装聖女たるラファエルが並々ならぬなにかを感じ、糸目を付けない金のにおいが濃厚になってきた私のステンドグラスを作るために、だ。お賃金、いいよね。
そうしてアシスタントと言う名のメガネが必要なものを全て整えた環境で、あとは大先生たる私によってほとばしる才能を色付きガラスにぶつけるだけとなっていた。
しかし、その段になってはたと気付くことがある。
「たもっちゃん、あのさ。ステンドグラスってどやって作んの?」
「一回作ってんだよなぁ……」
私もそう思ってた時がついさっきまで一瞬あった。
でもあれよ。考えてみれば、私だぞ。
その時からずいぶん時間が経っているのでもうすっかり忘れていたのだが、あれだわ。私あれ、たもっちゃんに一回作ってみなよっつわれて、あれをこうしてこれがあれでこうじゃ! って、フォローが手厚いお料理教室みたいな感じで全部指示された通りにやってみただけだわ。
しかも手間が掛かったり、ちょっと技術が必要な部分はメガネがちょちょっとやってたような気がする。
そんな記憶がうっすらありありと思い起こされて、私は深く、納得めいた気持ちでうなずいた。
「なるほどね」
私のステンドグラスに金のにおいがしてきたと言ったな。
もしかすると別に私のではなかったかも知れん。
最初からそんなはっきり覚えてなかった記憶と共にそこはかとなく浮上してきた、そもそも私、作ったと言えるほどにはステンドグラスを作ってはいなかったかも知れん疑惑。
いや、疑惑とするには多分あまりにも事実だが。
しかし男装聖女のラファエルが欲しいと言うのはそうやって、ほぼほぼメガネの指示により操作されるマシーン的に単純作業を担当し、私以外の作業によってなんとかそれっぽく仕上げてもらったいまだに自分でもなにをモチーフにしたか解らない謎のステンドグラスだ。これを謎ンドグラスと略そうと思う。
だからもしかするとだが、その時と同じようにメガネの指示に従って、これをああしてこれがあれでこうじゃ! つって作ってみたら、同じようにウケるかも知れない。
思い出してきた諸事情でいざとなってみるとなんか想定と違うなって気持ちも出てきたが、臨時収入のチャリンチャリンとした影が目の前にチラつき、普段から欲望に流されがちの私はとりあえず作業に取り掛かることにした。
「じゃー、リコ。ここに紙あるからさ。デザイン案を何枚か描いて、よさそうなやつを選んで下描きに起こして、それから清書してこっちの、これ。土。びちっと固めといたから。これに図案通りに溝掘って、まず図案の枠から作って――」
それが大体の流れなのだろう。
製作予定のステンドグラスのサイズに合わせたまっさらな紙を数枚持って、たもっちゃんがつらつら手順の説明を始めた。
それに私はついつい「は?」と声を出す。
なにを訳の解らない長い話をしてるんだ貴様は。
「たもっちゃん、違うでしょ。なに言ってんの。そんなまどろっこしいことやってられっかよ。芸術はあれだろ。一発勝負に決まってんだろうよ」
「えぇ……巨匠……」
たもっちゃんは戸惑うあまり、とにかく私をむやみに刺激しない形容でうめき声を上げた。とっさの判断が的確でえらい。
しかしその動揺の隙に、創作意欲の荒ぶる私は恐らくもっと先の段階で使うつもりで置いていたペンのように先のとがった、そしてちょうどペン的なサイズの金属の棒を手に取り、やたらとぴたっと平らに固められている土のかたまりに飛び掛かる。あくまでも気持ちの上のことなので、実際に飛び掛かってはいない。
そして、ゲージュツ燃やすぜ! とか言って、突っ走るようなテンションとは裏腹にめちゃくちゃのろのろと、板状にならされた土の上でおろおろ金属の棒を迷わせた。
「デザイン、デザインてなに……?」
「俺も思い出してきたわ。前もリコ、こんな感じだったわ多分。だからね、リコ。紙に下描きして図案練っとけばその段階で迷ったりしないんだよ」
大胆なる巨匠然としたど素人である私に対し、たもっちゃんはどこか悲しげに首を振る。
正論ばっか言いやがってとは思ったが、私は創作活動に忙しい。形式にばかりこだわる凡人にかかずらっているヒマなどないのだ。
かくして、芸術活動に燃えている割にはおっかなびっくり固めた土の表面で鉄筆をおろおろ迷わせる私。
そんな私を指導するのは早々にあきらめ、自由に泳がせることにしたらしきメガネ。
そしてそんな我々を、じゅげむとフェネさんが興味津々に見守る時間が始まった。
と言っても、フェネさんは「ありがたいやつ? なんかありがたいやつ作るんでしょ! 我ね、我のこと作ればいいと思う! ありがたいから!」などとアピールし、ひゅるりひゅるりとヒゲの生えた鼻先をつんと上に向けた格好で、さあ描いていいよふさふさの胸を反らしてポーズを取っている真っ最中だ。自尊心のかたまり。
そんな白く小さめのありがたい毛玉たるフェネさんに妻と呼ばれるテオは今、クマの村の子供らと金ちゃんがどすこいと遊んでいるのを見てくれているのでここには誰も止める人間がいない。
レイニーも近くにいるのはいるのだが、木工所で事務を手伝っているレミ嫁にお茶を出されてくつろいでいた。レイニーは無なので、基本なににも加担しないのだ。
お陰でフェネさんがフリーダムになっているのだが、確かにモデルがいたほうが巨匠っぽいかも知れないと私もフェネさんの提案に乗ったのでどっちもどっちだった。私は割と形から入るタイプだ。
そうして、「お、いいね! いいよ! 綺麗だよ! モフいよ!」「知ってる!」とか言いながら、私とフェネさんが悪ノリしているかたわらではメガネが、フェネさんの横でしゃがみ込みすごいねすごいねと褒めて伸ばしているじゅげむを呼んで、手にした紙とペンを渡して言った。
「寿限無はこっちの紙で下描きしようねぇ」
「ぼくも?」
作っていいの? とでも言うように、じゅげむはパッと顔を上げ、それからじわじわほっぺを少し赤くした。うれしそうだった。
尊いわねと手を止めてにっこりしている私には気付かず、じゅげむはテーブルに席を作ってもらい一生懸命にデザインをいくつも考えていた。
のちに、そうして練ったデザインをメガネのサポートのもと手の平ほどのステンドグラスにいくつか仕上げ、アーダルベルト公爵や公爵家でできたお友達のノルベルト、それから何度もカバンをくれた騎士などに贈り、ファンサによるバーサーカーぶりを発揮することになるのだがそれは少し先のことである。
どうやら我々はパーティで一セットらしく、たもっちゃんやテオやレイニーや私に対してもまとめて一枚プレゼントされ、それは全員ではわわと足腰崩れたあとで持ち運び式エルフの古民家の神棚的な所に飾った。ベストポジションだった。
肝心の、私が作り私が手を掛け私のお賃金への期待を一身に背負ったステンドグラス。
できあがったばっかりなのにもうすでになにをモチーフにしたか解らない、人呼んで謎ンドグラスが完成したのは制作を開始してから十日ほどのちのことである。
思いのほか製作日数が掛かってしまった。不慣れな作業と言うのもあるが、ステンドグラス、とにかく手間と時間が掛かった。
たもっちゃんによると、「いや、これ俺がすげーテキトーに簡略化してっから全然簡単なほうだよ。本格的、て言うか、俺らの知ってるガラス使って作ったらこんなもんじゃないよ」とのことだ。
いやいや充分めんどくせえじゃんとは思ったのだが、器用さが必要な作業は当然メガネに任せはしたものの図案をごりごり土のかたまりに掘ったり、ファンゲンランケの消化液に溶かす染料をごりごりごりごりひたすら微細に砕いたりと、手間は掛かるが単純な、私にもギリギリできた作業を思うとまあマジでそうなんやろなとの納得もある。
芸術、製作コストでホントに燃え尽きそう。




