580 いい話
※怪しいセミナーやネットワークビジネスに対してゴリゴリの偏見と当てこすり描写があります。ご了承ください。
※当作品は異世界を舞台としたフィクションです。
それを主張し始めたのはたまたま、旅で訪れた一人の男だったのだそうだ。
我々がそのことを知ったのは、冬の間に叙勲とか、そのお礼とかであっちこっち駆け回り短い期間で普段よりいっぱい濃密に人に会いすぎて、これはこれで楽しかったけど正直ちょっと疲れちゃった頃。
都会のうぇいうぇいとした喧騒を離れて、命の洗濯とばかりに大森林の温泉で金ぴかのでっかいサルである親分とかぽーんと湯治のようなものを楽しんでいた時である。
大森林の厳しい冬を温泉で切り抜ける親分。
久しぶりに会ったのになんとなく覚えてる感じをかもし出す親分。
たもっちゃんが大きく作った温泉の湯船につかりつつ、お椀でも持っているように見えなくもない形を片手で作り口元でクイッとやって見せる親分。
これはあれですね。解ります。冷えたミルクをご所望ですね。心得ております。
とか言って、黄金に輝く見上げるほどの巨漢に合わせて大きめのボウルに冷えたミルクを用意して、いそいそと世話を焼いたりブラッシングしたり、それでモサッと取れた毛を親分と温泉の保護管理費にと大森林の間際の町の冒険者ギルドに納めたり、その手続きをしてくれた、冬なのでそもそも人がいないながらに安定的に毛を落として行く貴重なグランツファーデン――つまり親分を保護するために間際の町の冒険者ギルドから派遣されている監視員が「えぇ……」と戸惑い引いてテンションが低すぎるのはまあ置いといて、我々は親分との混浴をきゃっきゃと全力で堪能した。楽しかった。大森林で割とよく会う薬売りもしっかりいたが、こちらは自分から一緒に温泉につかって積極的な共犯となった。
そうして、大森林で全裸はさすがにダメだぞと服のままで湯に入り上がる時には素早く魔法で乾燥させて湯冷めを防ぐ力業の方式で混浴を楽しんでいた我々の、湯船に入るため防寒目的で体に巻き付けた毛皮をばーんと脱ぎ捨てた金ちゃんが背中から放り投げメガネがあわてて回収しその辺に立て掛けていた板状の通信魔道具がタンタカと着信を告げたのは、そんな最中のことだったのだ。
相手は某ローバストの事務長。
いい話があるからすぐにこいとのお達しだった。
少々うるさい上に細かくて神経質なとこがあり、税収と言う名のおっきいお金が大好きで、けれどもどんな細かい税金も決して逃さず取り立てて、それでいてローバストとして収入が増える見込みがあればどんどん投資する思い切りのよさも併せ持つ。
その人の名を事務長と言う。
と思ったけど別にこれは名前ではなかった。私が勝手に呼んでるだけだった。
まあそれはいいとして、お金にうるさいあの人が、はっきりと「いい話」と言ったのだ。
よく考えたら金銭的にいい話とは言ってなかった気もするが、我々はあいにくとそんな冷静さは持ち合わせていないので、やだマジ? なになに? と、うっきうきで急行してしまいましたね。
呼び出されたのはローバスト領、クマの村。
クマって言うかクマっぽい、ベーア族の暮らす集落である。
最近はその周辺に圧縮木材の工房やそこで働く職人たちの住居、またはふかふかのパンを学びにきた人たちの宿舎や。商談のため招かれたり噂に誘われ買い付けに訪れた商人などを客とした宿泊施設が増えている。
全体を見ればもう町と言うか、ずいぶんにぎやかになってきた。
ただクマの村自体は小さな森に囲まれて、工業的なそれらとは少し距離が作られていた。そのため今も静かな農村のおもむきを残す。
そのベアベアとした村の中、ただ一つの食堂であり宿屋もかねるジョナスの店で我々は、満を持してと言った感じの事務長にある男を紹介されていた。
「こちら、ラファエル殿と申される。同志と共に各地を回り、神の奇跡で世界に平穏と安息をもたらさんと日々――」
「事務長、事務長。待って」
スタートダッシュで置いて行くじゃん。私の気持ちを。
神。
神の話題はあまりにもセンシティブ。
なぜなら私の背後では、矮小なる人間ごときが神の御業をどうのこうと言ってる時点で顔面がものすごいことになっているレイニーと、「神? 我のこと? あがめる? 我のこと、あがめる?」とわくわくしているフェネさんがいる。こりゃあ荒れるぜ。
しかし事務長は待ってはくれず、「まぁ聞け」と続けた。
「それで、そう、旅の途中で、たまたま立ち寄ったこの食堂で、たまたま目にした……あの、フィンスターニス? を、模した? ファンゲンランケの色付き板に並々ならぬものを感じた、と」
「えぇ……? いや確かに禍々しさは凄いけど。ある意味で並々ならないものはあるけど」
ステンドグラスのモチーフについて急にしどろもどろになった事務長に、いやいやそんなまさかとばかりにうちのメガネが口をはさんだ。
「たもっちゃん。今度エルフに会った時、たもっちゃんの悪口としてあることとあることばっかり吹き込んでやるからな」
以前、ステンドグラスの製作に取り組んだメガネに付き合って私も一点作り上げていたのだが、そのエキセントリックな作品は今、クマのジョナスが気を使い食堂に設けた謎の一画に飾られていた。
前に村でぬるぬるの巨大魔獣をなんとなくの流れでうっかり運よく倒した時に、壊れたりなくしたりしてのちにぶよぶよの状態で出てきたナイフや靴とひとまとめにして展示した、フィンスタ殺しの祭壇である。この呼びかたが村で浸透しているかは知らない。
もはや目的がなんなのかも解らないその謎祭壇の、まあまあのスペースを取っているステンドグラスは確かに私が作ったものに間違いはない。
しかし、見る者になんとも言えない不安な気持ちをいだかせるこの作品は、豪雨と共に村に住むクマを苦しめたぬるぬるのフィンスターニスとは全然関係なく製作したような、て言うかもはやなにをモチーフにしたかも自分ですら思い出せない一品である。
事務長がしどろもどろになるのも解る。私もこれがなんなのかもう解らない。マジであれ、なんだっけ……。
そんな製作者の戸惑いも知らず、エルフにからめた私の脅しにスッと真顔になったメガネが「それでご用件はなんでしょうか?」と事務長へと話を戻す。
けれども、事務長は答えなかった。
「では、僕からお話しましょう」
と、いち早く、割とうさんくさめに紹介された当の男が進み出たからだ。
その男――ラファエルは、話してみるとなかなかしんどい人物だった。
「解ります。えぇ、解ります。神の奇跡とはそう易々と人の身に訪れはしないもの。ですが、決して訪れないものと決めてしまってよいのでしょうか? いいえ、僕にはそう思いえせん。御覧なさい。この世界そのものが既に神の奇跡。そうは思われませんか?」
「あっ、やっべ。こう言う感じか」
素早く後ろへ一歩引き、視界から消えたメガネの声がなんか言う。解る。マジか。こう言う感じか。
しかし私がその所感をいだいた時にはもうすでに、指輪やブレスレットでじゃらじゃらとしたラファエルの両手にがっちり捕まえられていた。手を。
「芸術もそうです。あのファンゲンランケの色付き板に、僕はその気配を感じたのです。素晴らしい! スーパーフラットでありながらコンセプチュアル・アートにも通ずる大胆なディテールの破壊。タシスムから溢れ出す創造性。ドリッピングを思わせる伸びやかな自由。そして何より、あの清冽な健やかさはどうした事か! 間違いありません。あなたこそ、あなたの作り出す芸術こそ、僕の世界に必要なもの。さぁ! 僕達と一緒に素晴らしい世界を作ろうじゃありませんか!」
……いや、私もね。おかしいなー。なんか変だなー。とは思ってはいたのだが、おとなしく聞いてたらお前。マジで訳解んねえじゃねえか。
「セミナーかなんかかな?」
「リコ、しっ! 聞こえたら絡まれるよ!」
たもっちゃんはやっぱり引き気味に視界の外でとがめるが、この場合はもう絡まれてっからちょっと手遅れって思いますわそれは。
怪しいセミナーの勧誘活動に会場として利用されてしまった食堂の、店主たるクマのジョナスがおろおろと心配そうに厨房の奥から見てくるがジョナスは多分なにも悪くない。もしも誰かが悪いとしたら、それはほら。いるじゃん。もっと。事務長とかが。
この状況に巻き込んだと言うか、積極的に作り出したと言うか。
とにかく我々をここへ呼び出した実行犯である事務長はしかし、私の両手をにぎりしめているラファエル側の立ち位置で、このくだりはどうでもいいからさっさと金の話をしよう。みたいな感じですごい興味なさそうだった。その事務長に、私は問うた。
「ねえ、なんでこんなヤバそうなのをそんな普通に紹介したの?」
「金に糸目は付けないと言うので……」
「事務長……」
あんたはもっと、なんかこう……しっかりしてくれんとあかんやろうが……。




