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574 篤実

 夫妻は、以前わずかばかりの時間触れ合ったにすぎない幼子、ゲルトを我が子とするために王都からクレブリまでやってきた。

 これはかなり特異なことだ。

 ヒゲの騎士はまだ解る。実際に迷子のゲルトを抱き上げてあやし、不用意に幼児を一人にしてしまった我々を叱り付けるくらいには心をよせてくれていた。

 でも、逆に言えばそれだけだ。それだけで、自分の子供にとまで望めるのだろうか。

 しかもその夫人にいたっては、ここへくるまでゲルトを見たことさえなかったはずだ。

 そのちぐはぐな印象は、孤児院と子供を預かるユーディットや職員たちにも引っ掛かっていたようだった。

 結局、この王都からきた騎士夫妻との話し合いは彼らのほうから出直したほうがよさそうだとの申し出で、今日のところは解散となり共に訪れた数人のパン職人と当面の宿へと引き上げて行った。

 そうして、孤児院の広間に残されていくつもくっ付けた机を囲み座るのは、我々とユーディットを始めとした孤児院の職員たちだけになる。塩のおじいちゃんは元冒険者で雪にも強いヤギ的な、獣族のグリゼルディスが送って行った。

 広間の暖炉には火が入り、その周辺には子供や金ちゃんやフェネさんに毛糸の帽子をかぶせられ首の長いでっかい鳥のおんたまなどの姿もあった。しかしこちらとあちらには少しばかりの距離があり、少し気を付けおさえれば声が届くことはないだろう。

 そんな位置関係で、疲れた様子でぼそりと口を開くのは孤児院職員を代表し話し合いの中心にいたユーディットだった。

「どう理解したものでしょう。話を聞けば、縁を感じるのは解ります。けれど、何か月も前の、それもほんの一時の事。それだけで、養子にとまで望めるものかしら?」

 悩ましげな様子で、そして実際悩んでいるのだと言葉にするユーディットの姿に、私はやっと思い当たった。

「もしかしてそれで私らのこと呼んだの?」

 ヒゲの騎士と迷子のゲルトが出会った時に、ゲルトを探しに行った我々も二人が一緒の場面を見ている。決して長い時間ではないが、それでも判断の材料にできればとユーディットにはすがる気持ちもあったかも知れない。

 親のない子を迎え入れ、大切にしてくれるならこれほどありがたいことはない。

 だけど相手がどんな人間か、本当に見抜くことは難しい。

 今回だってそうだ。いい人そうに見えるけど、わずかに一度会っただけ。それもずいぶん時間が経ってからわざわざ迎えにくることに、本当に他意はないのだろうか。

 人が人をジャッジするのは傲慢で、その権利があるかどうかも解らない。けど。

 ユーディットは多分、子供の最善を考えている。

 子供を思い最善を尽くすと言うことは、考えたくもないようなことまで入れなくてはならないと言うことでもあるようだった。

 だがら迷いながらもそうやって、まず疑って掛からなくてはならなかったのだ。

 そのために、ほんの少しでも頼りにできればと、一縷の望みを掛けるみたいに我々を呼び出したのだろう。

 養育者として秘めていた深い覚悟を間見て、私まで胸がきゅううとしてしまう。

 ユーディット、あんた鑑や! 大人の鑑やで!

 ――と、そんな私の繊細な心などお構いなしに、子供を預かり守り育てる厳格なる貴婦人は一瞬、しかし間違いなくものすごく苦々しい顔を見せてからしぼり出すように歯切れ悪く言った。

「……それも、ありました。えぇ、確かに。ありましたとも。けれど……いざ顔を見たら思い出しました。これまで、そなた達が頼りになった試しは……全くとは言いませんけれど、もしかするとそんなにはなかったやも、と……」

「ユッタン……それは……ユッタン……」

 ねえ、待って。と、今度はこちらがすがるような格好で、普段は心の中でだけ勝手に呼んでるユーディットの愛称を口からぼろぼろこぼしてしまう。

 ねえ、まさか。困り果てて呼んではみたけどマジで役に立たなくてちょっと後悔してるみたいな。まるで。ねえ。

 そんなばかなと動揺し、そわそわ周りを見回すとユーディットだけでなくその侍女であるモニカや、以前は公爵家の騎士だったフリッツや、もはや去る気配のないエルフたち。それから孤児院で教師を務めたり料理を一手に引き受ける、しかしその正体は隠密である男女などの面々は我々と同じ机を囲んだ状態で、顔面を全体的にぎゅっと堅く閉じてたり、めちゃくちゃ露骨に顔をそらしたりした。

 あまりにもひどい。


 ……まあしかし、自分としても役に立つか立たないかで言うと、正直それはマジでそうと思わなくもない。

 それに、逆に言えば恐らく、血迷って我々を頼るくらいに困り果てていたのだ。

 元はクレブリの城主夫人の地位にあり、それ相応の貴族としての振る舞いを身に着けているユッタンは。

 子供のこともその将来も大切にしたいが、今回ゲルトを我が子にしたいとやってきたのは王命で、いまだ解明されない謎のメカニズムによってエルンがなぜか生み出し続けるやわらかいパンの亜種、フランスパンを研究するためわざわざやってきたパン職人――に、同行してきた王都の騎士夫妻だったから。

 なんか改めて言葉にすると職人たちの引率で一応付いてきた感があふれてしまい、よく解んない感じになっちゃうなこれ。

 しかし、肝要なのは相手がそれなりの身分で、王に仕える立場っぽいと言うところだ。

 その辺の空気感は私もよく解らないので大体の感じで言ってるが、それでもこれを無下にはできないし、ヘタに機嫌を損ねると厄介な話にもなりかねないと言うくらいは解る。色々、ふわっとだとしても。

 それで、ユーディットは慎重に、できる限りの手を打った。

 この「手」の中に我々が含まれていたのがあわてふためいた貴婦人のミスのようなものだとしても、なんか。アグレッシブに全力でなんとかしようとした感じがするからか、ありがとうねみたいな気持ちが割とある。

 そして、幸運にも、ユーディットの心配は杞憂に終わった。

 王命を拝し国の首都からやってきた騎士とその妻は、どうやら善良な人々のようだと少しずつ解ってきたからだ。

 呼ばれたからきてみれば、顔を見せただけでなんか違ったなと冷静になられてしまった我々。逆に納得みたいな気持ちで別にいいっちゃいいのだが、それはそれとしてもうちょっと優しくしてくれてもいいよねと、広間の暖炉前に集まってきゃっきゃしている大量の子供やその子供の中にどーんとまざる金ちゃんや、フェネさんやおんたまにねえ聞いてよともちもちお肉や毛皮や羽毛の辺りをもみしだく形でうざめに絡み、いい年こいた大人なんだからこっちに気い使わせんなよと大きめの子供たちにやいやい言われたりしながらにもりもり夕ご飯はしっかりいただくついでに孤児院で一泊してから、翌日。

 冬のクレブリは雪である。

 一晩でも結構積もってしまい、この時期は雪かきが毎日欠かせないそうだ。

 白い雪におおわれてなにがなんだか解らなくなった地上では、我々が留守の間に港の漁師があいつらこれ食うだろと売りにきて保存のために雪に埋めていると言う岩石みたいな異世界ガニを我々が孤児院の庭先でせっせと発掘すると見せ掛けて実際には休憩多めに手を止めて、身体能力に優れてたくましい白ヤギ的な獣族のグリゼルディスが雪かき用に面積の広いシャベルを担いでストトンとレンガでできた二階建ての建物のそれなりの高さの屋根へと実に身軽に上がり、層となって積もった雪をさくさく四角く切り出してすくい上げたかたまりを、孤児院の近く、しかし建物からはそこそこ離れた海のほうへとかたまりのままぶおんぶおんと放り投げ見る見る内に処理する様を、なにあれすごいとぽっかり口を開け気味に圧倒されるような気持ちで見上げるところへその人たちはやってきた。

 クレブリの街の人たちはこの時期、それぞれの自宅近くの雪をどけ、捨てたり脇によせることから一日を始める。

 今はもう、午前中でもそこそこ昼近い。

 だから雪の話だけならずいぶん歩きやすくなってはいるが、道に石を敷き詰めて坂の多いこの街はどこもかしこも滑りやすくて慣れない者には歩くだけでも難しい。例えば私とか。冬のクレブリ、すげえから。全然まともに立てもしねえの。

 だから恐らくそのために、顔面にもじゃもじゃのヒゲをたくわえた騎士は、細く折れそうな自分の妻をほとんど抱きかかえるようにしてのしのしと慎重に歩いてやってきた。

 夫妻は外に我々がいるのを見付けると、冬の空気に凍えた顔をぎゅっと硬く緊張させて思い切ったように言う。

「……また、きてしまった。何度でもくる。今回は数日で王都へ戻らねばならないが、またすぐに顔を見せにきたいと思う。自分や、妻を知って欲しい。信頼され、信頼に答えられる様、誠実を尽くすと約束する」

 吐き出す息に移った熱で空気を白くさせながら、きっぱりと言葉にしたのは強い決意だ。

 そして彼らは実際に、これからじっくり時間を掛けて宣言通り心からの篤実を示した。

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