573 本来の目的
※本作品はフィクションです。親のない子供の人権に関わるネガティブと思われる描写があります。ご注意ください。
王都からやってきた一団の、本来の目的であるフランスパンのことについては当事者であるエルンにも利があるらしく、パン職人と言う名の見知らぬ大人に囲まれながらに本人が「むしろよし」みたいな空気を出しているのでそれはまあマジでいいとして。
そのパン職人の護衛のような、恐らく引率ポジションでありながら、なぜか妻を伴いやってきたヒゲもじゃの騎士はいつまでも、どうあってもゲルトを離さなかった。
この頑なな姿勢にうすうすそんな気はしていたのだが、この夫婦、ゲルトを養子にしたいと希望してクレブリまではるばる足を運んできたらしい。
「ふぁー」
ここまで。わざわざ。王都から。
それも、どれくらい前のことだったのか正確にはちょっともう忘れたが、多重的な事故により迷子になったゲルトとヒゲ騎士の涙なしには語れない偶然の出会いからそれなりの時間が経っているのに、なんかまあまあの熱量で。ふぁー。
そんな気持ちが入りまじり、たもっちゃんや私の口からはよく解らない鳴き声みたいな音が出る。
それに反応したのかどうか。広間に集まる子供たちの間で、今年も毛糸の帽子をかぶせられた大きな鳥が「キエエ」と合いの手を入れてきた。
ローバストでクマの村にいた我々が、冒険者ギルドに預けられたユーディットの伝言を割と即座に受け取ったのは二ノ月の十四日、お昼を少しすぎた頃である。
最初にたまたま訪れた時には食堂や酒場もかねた小さな宿屋があるだけだったその村は今や、集落を囲む森を介して大きな木材工房や移住者たちの住まいが増えて著しい発展を遂げてようとしていた。
ローバストの某敏腕事務長の誘致によって様々な施設の誘致も進み、そこに小規模ではあるものの冒険者ギルドの支部が含まれていたのは我々に取っては僥倖だった。大変便利。
今回だって、その恩恵を受けている。
お歳暮ついでに村でぬくぬくしていたら、委託職員として冒険者ギルドに出入りしている村人がなんか伝言きてたぞと教えてくれてユーディットの呼び出しに気が付いたのだ。
まあ、村人と言うか元文官でなにかと便利にされている皇国出身の宿屋の婿の話だが。
我々が冒険者である限りギルドを通せばいつか確実に届く伝言ではあるが、朝ギルドに出されたものに昼頃気が付けたのはまあまあ早い。運がよかった。運じゃなく、普通に連絡付くようにしとけよと思わなくもない。
「いや……通信魔道具、置いてってない? 俺、孤児院用に通信魔道具作ってない?」
これ我々もよくないぞと自省を込めて言い出した私に、たもっちゃんはもはやなんの記憶も定かでない感じの、めちゃくちゃ険しく両目を閉じた顔面をぐっと虚空に向けながら答えた。表情の割に自信がなさそう。
この時はまあまあちょっと落ち着いてお話しましょうと、孤児院の広間の机を集めてくっ付けて、イスに座って周りを囲みゲルトとゲルトを養子に欲しいと言う騎士夫妻にどう対応したものか会議を始めよう、と見せ掛けてやいやいと好き勝手に話しているだけだったので確認まではしていない。
ただ、あとで聞いた話によると確かに通信魔道具は以前、孤児院用にメガネが作って置いて行った事実はあった。が、ただ置いて行っただけだった。
そして孤児院の院長先生ポジションでありこの街の元城主の妻と言う経歴を持った貴族的教養を備えたユーディットに、なまじこの世界でのかさばるタイプの正しい通信魔道具の知識があったがためにあんなちょっと大きいまな板がなんなのと憐れにも魔道具は放置され、そうする内に忘れ去られて孤児院の階段下にある掃除道具などが乱雑に詰め込まれた納戸の奥でほこりにまみれて魔力切れの状態で発見されたとのことだ。悲しいね。
まあそれはいい。
これまで事件や事故もなく――いや、我々が原因以外にはなく、急いで連絡を取る必要がなかったこととマジで我々がいてもいなくてもユーディットたちが孤児院をしっかり運営してくれていたのは幸いだった。通信魔道具が納戸から出てきた瞬間は、メガネだけちょっと泣いちゃってた。
このメガネの涙エピソードはまたのちの話だ。
それよりも今、我々にちょっとしたおどろきを与えているのは降って湧いた養子の申し出に、孤児院側である我々とヒゲの騎士の夫婦が話し合いの場を設け、なぜかその場に近所の老人がキリッと参加していることである。
いつの間にかそこにいて、ちゃっかりイスに陣取って当事者めいて訴える。
「ワシだってなあ、前から子供くれーくれーっつってんだ。なのによ。ずっと待たされちまっててよ。もういい加減くたびれてんだ」
めいてと言うか、苦情だった。
じょりじょりと短く白っぽいヒゲの生えたアゴをなで、切々としていながらに意外と雑な文句を言うのは幼児ながらに才能を見込み、手もみ塩ガチ勢の子供が欲しいとずっと言ってる元塩職人のおじいちゃんである。
王都から子供をもらいにきた夫婦がいると聞き付けて、だったら自分のほうが先じゃろと雪の中を素早く駆け付けてきたらしい。フットワークよ。
しかしそんなおじいちゃんに対して、ユーディットが若干めんどくさそうに答える。
「そちらは、もう週に半分はお泊りしているでしょう? もう少し様子を見て、問題がなければ本格的に縁組をと言っているではありませんか」
「老い先短いジジイを待たせて……」
「ですから、もう少しです」
「冬に塩は作れんし……」
「塩が作れない時期でも可愛がるべきです」
はよ……孫、はよ……と、哀れっぽい感じをかもし出すじじいに、しかしユーディットは慣れた感じで断固ならぬと首を振る。この感じを見るに彼らはこれまでも、似たような会話を幾度となくくり返してきたようだ。
突如目の前で始まったこの訳の分からないやり取りを、謎の老人の乱入で無益に待たされているはずのヒゲもじゃの騎士とその妻はしかし、はっとした様子で見守った。
まるで食い入るように熱心で、どうしたのかとこちらが戸惑うほどである。
けれども戸惑っていたのは実際は、あちらのほうが先だった。
「……そんなに、厳しいのか」
ぼそりと呟くようにして、ヒゲのもじゃもじゃとした口元で騎士である夫のほうが言葉をこぼす。
それを受け、妻である痩身の女性が顔を困らせ迷い迷いに言葉を継いだ。
「ごめんなさい。孤児だと聞いたものだから、夫も私も……その、引き取ると言えば喜ぶものと思い込んでしまって……」
まさか、と言ってしまうのが正しいかは解らない。けれども事前にじっくり時間を掛けて、引き取られる子供と引き取る家族のかね合いを確認するとは思っていなかった。
だから子供を引き取りすぐにも連れて帰るつもりで、身一つできてしまった。
夫妻はイスに腰掛けて、夫のほうは幼児を抱き上げ膝に乗せた格好で少しぼう然としたように語る。
孤児院とそこに暮らす子供を預かる代表者として、答えるユーディットは努めて静かに事実だけを告げた。
「残念ながら、すぐにとは参りません。ただ一時遊ぶ事と、共に暮らし守り育てる事はやはり違う様に思うのです。放り出されては困ります。お二方がそうであると申し上げているのではありません。ただ、わたくし達はお二人を知りません。知る機会が欲しいのです。わたくしにも、ゲルトにも」
ユーディットの言葉は、否定的にならないように注意の上でのものだった。そう思えた。しかし子供を引き取ろうと考えている人には、どう響いたか解らない。
「……そうか、解った」
「あなた」
解ったと答えた自分の夫を不安げな表情で妻が見る。その視線を受けながら、もじゃもじゃとしたヒゲの騎士は穏やかに言った。
「いや……不思議だ。今のを聞いて、ほっとした心地がする。この子は、よいところで育てられているのだな」
どことなく寂しいようにそう言って、彼は「横柄な態度だった。済まなかった」と頭を下げた。
普通、これはこの世界においてと言う意味でだが。孤児を渡すのを嫌がる大人はいないのだそうだ。
だって親となり養う大人が現れたなら、そのほうがいいに決まってるから。
いやでも大人っつっても色々いるからいいのかどうかは場合によるんじゃないかと思うが、孤児は誰にも気に掛けられず、ほとんど守られることもない。そのために、あくまでもざっくりとした風潮として、確かにそう言った傾向が見られるとのことだ。
そんな前提があったからこそ。
孤児のままでいるよりは、自分の庇護下にあるほうが子供にもいいはず。大事にする。その自信はあると慢心し、強引な態度に出てしまった。ヒゲの騎士とその妻は、吐露するようにそう述べ謝罪した。
まだ本当には解らないのかも知れないが、なんかちゃんとしてるっぽい夫婦は偏見があったとしょんぼりしてしまった。




