572 乗り込んできた男
異世界の冬は二ノ月と共に訪れる。
移動の辞令を持参していい年なのに最近かわいい妻をもらった新婚騎士を連れて帰るお仕事を終え、我々はきたる渡ノ月を王都の公爵家でだらだらと全力での休養にあてた。
その間にはお歳暮を配り歩いたり、久しぶりに会う人に構ってもらうなどしてなかなか楽しい時間すごす。
渡ノ月を終えれば自由とばかりにローバストやクレブリにも足を運ぼうと、そろそろ行きますと報告するとアーダルベルト公爵は一瞬、悩ましげと言うには暗澹としすぎの表情を見せた。我々の日頃の行いがそうさせるのだ。
結局は仕方がないと送り出してはくれたが、ただし、としっかり念押しされる。
「詳しい日程はまだ決まってないけど、冬の間に叙勲の式典が計画されているそうだ。日取りが決まったら連絡するからね。ちゃんと通信魔道具が使える様にしておいてね」
「……ありましたね、そんな話も」
なんか勲章くれるってやつ。
もうなんか、ばったばたしてて全然忘れちゃってたけども。
冬は異世界の社交シーズンであると言う。
貴族らによるきゃっきゃうふふとしたパーティーが夜な夜な開催されるのと同時に、王の名の元に行われる式典もこの期間に集中するとのことだった。
王の名の元とか言われると、なんとなく大げさに思われてちょっと気持ちが引いている。やだあ。
なんかなあ。いちいち重たいんだよな。
とか言って、多分ありがたいのだがありがたすぎて逆にしんどいとぶちぶちとした文句多めに我々は、先々代王妃のための別荘のある農園のプロ農家さんたちから砂漠の砂に水やってたら一応なんらかの芽は出たが秋になってすぐ枯れた。悲しい。みたいな話を聞かされたり、クレブリでカニやエビを始めとした海産物を買い込んだり、ローバストでクマの老婦人がじゅげむのために新しく編んでくれたクマ毛のセーターにひゅーひゅーさわいでお礼を言ったり、その合間合間に特製保湿クリームをお歳暮として各所に配り、皇国からきた美意識高い宿屋のおかみに改めてなぜこれに専念しないのかと強めに不思議がられたりと、意外に忙しくしている内につい先日遊びに行って海産物にまみれたばかりのクレブリから「なんかきた」と連絡があった。
なんかってなんなのと思ったら、意図せずクレブリで突然生まれたフランスパンを研究するため王様が、本当にパン職人をよこしてきたらしい。
その場では軽い感じで言ってても、王様の言葉は重いのだ。恐いね。
ブルーメよりも寒冷な隣国ほどではないものの、クレブリもそこそこ雪が積もる地域だ。だから冬の移動となると、通常ならば大変になる。
しかし海の少ないブルーメでクレブリは貴重な海辺の街であり、魚介類を新鮮な状態で運ぶため王都とは転移魔法陣でつながっていた。お陰で冬の移動も比較的簡単安全のような、転移魔法陣に魔力を流す魔法使いの怨嗟を含んだ鬼哭の声がどこからともなく聞こえるようなことになっているのだ。
しかし、クレブリで孤児院を預かる院長先生ユーディットがわざわざ連絡をよこしてきたのはそればかりが理由ではなかった。
王が転移魔法陣を利用してクレブリに人を送ると聞きつけて、パンとは全然関係ないのにこの機に乗じて妻同伴で乗り込んできた男があったのだ。
「ゲルトは渡してもらう!」
「えぇー……」
我々は諸事情あってクレブリの孤児院となっている建物に、直接はドアのスキルで出入りしてはいけないことになっていた。
そのためクレブリの海の沖にある異世界イグアナのいるはずの、しかし寒くなっているからか今はなんの気配もしない小さな島へ、我々の手により勝手に設置されている自立式ドアを通じて一旦移動しそこから船でよっこら飛んで「きたよ」と孤児院に入ってみたらこれである。ええー。
いや、正確にはさらに孤児院の玄関から教室や食堂をかねている部屋まで廊下を歩き、そこにすでに集まっていたユーディットを始めとした職員たちや子供らがざわつくところへなになにどしたのと合流してはいるのだが、細かいことは今はいい。
その大人と子供が入り混じり密度高めの広間の中心で、まだ幼く小さな男児、ゲルトを抱き上げ腹の底から轟くような声を出しこの子を渡せと迫るのはヒゲのもじゃもじゃとした大柄な男。むきむきぱつぱつとした全身を、色々あって最近よく見る王城の騎士服に包んだ人物だった。
「何これ」
実際にそう言ったのはメガネだが、気持ちは大体同じ感じだ。直近のもめごとを思い出すなどし、なんとなく因縁めいたものを感じてしまう。
マジでなにこれと戸惑う我々が勝手知ったる慣れた感じでやってきて、いつの間にかそこにいると気が付くや「遅いですよ!」と声を上げたのはユーディットだった。
私の気のせいなのかも知れない。でもどこか、ぴしゃりと叱り付けるようでいてほっとしているようにも聞こえた。
なぜなのか。なんでそんなに追い詰められた感じを出すのか。なにがあったのかは知らないが、厳格なる院長先生ポジションのこの人を追い詰めるとはなかなかではないのか。
そんな思いが一瞬で頭の中を駆け巡る。
「えぇー」
一体なんなのと我々の口から、うめくような声がこぼれるのも仕方なかったと思う。
そうする内に広間に集まる人間やエルフや獣族の、大人や子供の注意がこちらに向けられて、その一人。ヒゲもじゃの男が目を開く。
「以前会ったな?」
会ってたらしい。
具体的には我々がドアのスキルで孤児院に直接出入りしてはいけなくなったきっかけの、アクシデントでわちゃわちゃしてて気付かぬ内に付いてきた子供をうっかり遠隔地に置いてきてしまった事件の時に、その子供であるゲルト当時五歳を保護してくれていた騎士がこの人だったのだ。
まあ例によって私の記憶にはとんと覚えのないことだったので、たもっちゃんに教えてもらって思い出した。これは思い出したとは言わないような気もする。
とにかく、出会いがそんなんだったので、この人の中では我々に対する信用が最初からマイナスに振り切れていたようだ。
彼は、ヒゲでもじゃもじゃの顔面を厳めしい表情に改めて問う。
「もう子を見失ってはいないか? あの折の様な事は二度と許さんぞ!」
「それはマジでおっしゃる通り」
ぐうの音も出ねえレベルで納得し、深くうなずく我々の、視界の外から静かな声が掛けられたのはそんなやりとりのさなかのことだ。
「あなた」
と、近しさを自然とにじませて呼ぶのはヒゲもじゃ騎士の大きな体の陰になり、存在を見落としていたご婦人だった。
恐らく普通にしていれば、そう小柄でもないだろう。しかし折れそうな痩身であることとむきむきのヒゲもじゃ騎士の隣にいるせいか、小さく儚げな印象の女性だ。
そのご婦人はより添うように隣に立った、ぱつぱつと大柄でヒゲもじゃの騎士の妻であると言う。
この状況もよく解らない。
マジでなにこれと、自身も戸惑っているユーディットや職員たちに解っている範囲で説明してもらうと、王都からフランスパンの研究を命じられたパン職人とそれに同伴する騎士が現れて、職人は意図せずフランスパンを生み出し今も生み出し続けている少年エルンをびっちり囲みパンだけでなくエルン自体も細大漏らさず観察する構えで、それはエルンがうぜえとキレまくっているだけだからまあいいのだが、一方で王命としてパン職人を連れてきて護衛のような役割を果たす感じのヒゲもじゃ騎士がなぜか妻を伴っていてわちゃわちゃと何人もいる孤児院の幼児の中でゲルトを探し出して抱き上げて離さないのはどう言うことかちょっと解らないとのことだ。
長い。
あとエルンのことをあんまり誰も心配してなくてひどい。
見れば、人の多い広間の中で特に大人が密集している辺りにちらっとエルンの姿が見えて、王都からやってきたらしきパン職人にうぇいうぇい囲まれ今にも研究されてしまいそうだ。色んな意味で心配になる。
「エルン、エルン、嫌なことは嫌って言っていいけど相手もお仕事だからできれば穏便に嫌がって」
それでつい、そそそと忍びよりなんの役にも立たない口をはさんだ。本当になんにもならないことしか言えず、自分でもびっくりしてしまってる。あと、研究の響きをどこか不安に思うのはなんとなく王都の錬金術師を連想すると言うだけの偏見だったかも知れん。
当のエルンはそんな私に気が付くと、私に会うと大体そうであるようにやたらと迷惑そうな顔をした。そして言う。
「別に嫌がってねえわ。めんどくせえけどよ。硬めのパン焼くの見せる代わりに、やわらかいパンのコツ教えてくれるって言うしよ。しゃーねーから面倒見てやるよ」
さすがだ。
孤児として生き抜いてきた少年は、柔軟で全然たくましかった。




