570 がらみの案件
とにかく貴族はややこしい。
ぼんやりしている我々も、さすがにそのくらいの認識はあった。それでもちょっと危機感が足りず、ふんわりしすぎって気はしてる。
だからと言うか高度な繊細さが要求されたりするらしき、貴族がらみの案件が我々にどうにかできる訳がない。
これもまた、ほかならぬ自分のことながら猛烈な納得しかない共通認識ではあるのだ。
いやでもね。せやからて、理不尽を理不尽のまま置いとくんはアカンやないかいなんとなく。
そんな思いで我々が、泣き付いたのは安定のアーダルベルト公爵である。
「聞いて! 聞いてよアダえもん!」
ほぼほぼメガネのゴリ押しで意外とさくさくお庭を片付け依頼を終えて、気軽な感じでばーんと帰った公爵家のお屋敷で、ばーんと玄関の扉を開いて移動して、居間の扉をばーんと開くなりはきはき言った我々に淡紅の瞳をぱちぱちまたたき公爵は「アダエモン……?」と呟き少しの間を置いて言う。
「……まぁ、話を聞くのは良いけど。その前に見て」
そうして指し示すのは、今日も金ちゃんとお留守番していたじゅげむだ。
じゅげむはちょっと恥ずかしそうに、でもどこか誇らしさもあるように、大きな紙を両手で持って広げて見せる。
「あのね、きょうね、れんしゅうしたんだよ。みんなのお名まえ、ひとりでかけるようになったよ」
公爵が用意させたものだろう。
しっかりとした動物性の皮でできた紙に、堂々としたインクの線で書かれているのはタモツやテオやレイニーなどの親しみのある名前ばかりだ。アーダルベルト公爵のファーストネームのオスカーもあるし、有能執事のところの末っ子のノルベルト、それに私の名前まである。
あと、愛称と言うか、名前かどうか微妙な感じの金ちゃんやフェネさんらしき文字列もしっかりあって、そのことを妻たるテオから教えられたキツネの神は白く小さな毛玉みたいな分体で「我も? 我のお名前もあるの? 我ね、そーゆーまごころっぽいの凄くいいと思う!」などと飛びはねて、じゅげむの周りをそわそわいそいそとうろついた。
心底解る。その、なんだかじっとしてられないようなそわそわした気持ち。
これはねえ、つい次々と崩れるように倒れちゃいましたねよね我々も。
帰るなり純度の高い子供の波動を浴びせられ、これが一日の疲れも吹っ飛ぶと言うやつかと新たな世界を知った独身の我々。たもっちゃんは別とする。
ただ、確かに疲れは吹っ飛ぶかも知れないが同時に、感情のタガが外れてしまい使える語彙が「ばぶう」しか残らなくなる。危険だ。なんなんだあれは。
こうして、あばばばばぶうと異形の者の鳴き声のような、なんの意味も持たない音をただただ口のすき間からこぼして我々は、あわあわと落ち着かない気持ちをかかえたままにデザートまでしっかりごはんを食べてお風呂入ってほっかほかになって寝た。公爵さんに相談すべき案件はどっかで置き忘れちゃった。
そのため、アダえもんことアーダルベルト公爵にちゃんと泣き付いたのはまた翌日のことである。ちゃんと泣き付くってなんだ。
「あのね、あのね、貴族の人が何か偉いって言うのは俺も解るんですけどね、概念としては。でもね、でもね、でもねぇー!」
「たもっちゃん、解る。言いたいこと全然言えてないけど言いたいことは解る」
「いや、言えてないんだから解らないだろう……」
うんうんと悩みに悩んで言葉を選びあぐねた末に「でもねえ!」としか言えてないメガネに、大体の感じで同調する私。
そこに損のしやすい常識人として、テオが仕方なく正論で突っ込む。いつもありがとうございます。
それからメガネと私がわあわあと言いたいとこだけ好き勝手に語り、虫食いの虫ほどにしか語れていない大体の事情をテオが横から自分も全て把握できてはいないのですが恐らくと補足してくれた。
お陰で、一夜明け語彙力を比較的取り戻してきたものの話すのが元々くっそヘタクソな我々が、なにをわあわあ言っているのか自宅の居間で草色のグラスを片手に付き合ってくれる公爵もざっくりながらに把握できたようだった。
「これ、夏に飲みたかったかな……」
公爵がささやくような小さな声で述べるのは、むしった端からアイテムボックスにぽいぽい入れて処分をこちらに任された異世界ミントを使用した飲み物についての感想である。
我々が昨日飲んだ時には労働の途中であったので、普通にしてると秋には少し冷たくてスッキリしすぎているのかも知れない。
まあそれはともかく、と。
公爵は氷の浮かぶ透明なグラスを机に戻し、ソファの上でゆったり組んだ自分の足に両手を重ねて置いて言う。
「これは私の予想になるけれど……、そのご婦人はマダム・フレイヤと縁があったとか? ならば、ヴァルター卿が何も承知してないとは思えない。君達も知っている通り、平民が貴族の籍に加わる事に嫌悪を示す者もいる。残念ながらね」
公爵は酷薄なほどに整った顔で淡々と、「そしてそう言う者達は気に入らぬ相手には何をしても構わない。むしろそうすべきだとすら考える」と続ける。
「真意は本人にしか解らない。けれど、庭は荒れてもそれだけだ。聞けば、愛人にと迫った騎士も巧くあしらっていたそうだし。新妻の評判を考えて卿やマダムが距離を置いていたのなら、ある程度までは手を出すまいと線を引いていたのかも」
だって平民を重用するのが気に入らなくて、王への反乱を実行する奴らまでいるのだ。そう言った一部の貴族のありかたを思えば、もっとひどい嫌がらせだってあり得た。
ならば限度はあるけれど、少々の不快な思いには目をつむり騎士の新妻となったその貴婦人はもう、マダム・フレイヤの娼館とはもうわずかばかりの関係もないと静観する姿勢でアピールするのを選んだと言うこともある。
「あくまでも、私の考える可能性の話だよ」
公爵は蜜色の髪をしたたるようにきらめかせ、ゆるゆると首を振って念を押す。そしてさらに言葉を重ねた。
「事実はまた別にあるのかも。けれどもその仮定で見てみると、正直、少し迷ってしまうな。そのご婦人の置かれた状況に外から手を出して良いものか、また、その必要が本当にあるのか」
アーダルベルト公爵はきっと、これまで自分が実際に見てきた貴族社会と言うものをかんがみ、実態のない噂やいわれのない誹謗中傷などのあらゆるリスクを視野に入れて言っていたのだと思う。
公爵はその爵位と共に、人の嘘が解ってしまうスキルを受け継いでいる。
それはもう想像も難しいレベルでえぐい体験もしているのだろう。ちゃんと聞いたことはないので、大体のイメージにはなるが。
だからこの人の言うことは恐らく、この世界において真実の一つではあるのだ。あるのだが、小市民にはいま一つしっくりこないのと、ここまでの話がまず長い。
そのせいか、たもっちゃんと私の口からは図らずも同じセリフがはきはきとこぼれた。
「貴族! めんどくせぇー!」
思ったより大きい声が出ちゃったし、タイミングまで全く一緒でなんか仲よしみたいで嫌だよね。
そんなこんなでもうなんか、解らん! なにも解らん! と、地面に大の字で寝転がるかのような、ぐでーんとした気持ちで考えることを放棄して「けどまあ部下を他国へやっている間にその新妻を愛人にしようとしていた中年騎士の件だけではあるけども、王城でまでわあわあ言うて騒いできましたし。そこはまあ、ねっ。あとはほら、誰かがうまいこと全方位に円満になんとかしてくれたらええんとちゃうやろか?」とか言って、都合のいい可能性を求めてぐだぐだしていた時だ。
公爵家にどっさりと、豪華なお花や贈り物が届いた。
知らせを受けて玄関ホールへ足を運んだ公爵が、有能執事からカードを受け取り少し視線を落としただけでこちらへよこす。
「ヴァルター卿から君達へ、詫びの品の様だよ」
公爵家のゴージャスな、階段ホールもかねた広い玄関で「これどうします?」とばかりに使用人たちがかかえているのはリボンやフリルで飾られた箱や、丹念に作り上げた美術品みたいなお花の束だ。
「スパダリじゃん。加減を知らない富豪系スパダリのプレゼント攻勢じゃん」
なんらかの金と権力を持て余した恋愛ものでしか見たことのない光景に現代サブカルっ子のメガネと私はスパダリスパダリとざわつくが、残念ながらここに溺愛される系のヒロインはいない。
どうやらアポなしでの訪問が難しい公爵家――に、普通にいる我々に関係者が世話を掛けたとヴァルター卿が取り急ぎ謝意を現し届けたものであるらしい。
でもあれ私が勝手にケンカしただけだし、お返したほうがいいのかと。一瞬検討はしたのだが、気付けば金ちゃんがバリバリとなにかの包みを破り取り、でっかい骨付き肉に噛み付いていた。素早い。そして肉。なぜ肉。




