564 意欲はあった
※ご不浄関係の話題があります。
「……って、ことがありまして。だからね、こう、動けない訳じゃない? 胸倉つかまれてる訳ですし。決してさぼるつもりじゃなくて、意欲はあったの。やろうやろうとは思っててー、でもなんかごはん食べて話聞いてたら肝心の庭も見ないでもうすでに夕方、って言う……」
つらつらと、私の口からはそれはもうおどろくほどになめらかな言い訳が次々と出てくる。
それを腕組みしながらに、ソファに座った私を見下ろしじっくり聞いてメガネは言った。
「不可抗力だったのは解る」
「マジか」
「ただ一ミリも仕事になってないのは事実なのに自分悪くないって開き直ってるメンタリティを批判してんだよ俺は」
「ガチの人格批判じゃん」
さすが幼馴染。意外と全肯定パターンあるかと思ったら普通にそんなこともなかった。
自分でもまあそうやなと思う気持ちはあったので、逆に納得みたいな所感すらある。
時はすでに夕暮れである。
それでいてまだ我々は、庭をなんとかするお仕事のために訪れた新米貴婦人の家にいる。
なぜか?
私が動けないからだ。
なぜ動けなくなったのか?
私やレイニーのあとからやってきた、全力で感じの悪い中年騎士と出会った瞬間悪い意味で響き合いばちくそのケンカになり掛けて、茨のスキルが発動し騎士が私の胸倉をつかんだ格好でがっちり止まってしまったからだ。
お昼はね。使用人夫婦特製のなんらかのタレに漬け込んでこんがり焼いたチキン的なものを貴婦人自ら切り分けて私にあーんと食べさせてくれた。優しい。
あとから思えば私が動けないのは胸倉だけで、両手は自由だったので自分で食べられたような気もする。不思議だよね。
食事のかたわら使用人の証言をまじえて貴婦人のマジ困ってんだわと切々とした話を聞いて、どうにかしてこの胸倉騎士をどっかの司法機関に突き出せないかとみんなでうんうん頭を悩ませる間に時間ばかりがどんどんすぎてしまった。
そうする内に自分たちの仕事を済ませ、合流した男子たち。テオとメガネがなんか遅いけどそんな庭荒れてんの? と、こちらの様子を見にきてくれたのだ。
そしたらほら。私は仕事どころではなく茨に巻かれた騎士的なものに胸倉をつかまれ、むしろ依頼主である貴婦人たちに世話を焼かれている状態だった。
そりゃあね。解りますよ。なにこれってなるのも。
「でもね、たもっちゃん。私もね、ただぼーっとお昼ごちそうになってただけじゃないんだよ」
「ぼーっとはしてたのか……その状態で……」
人様のお宅で動物を野放しにはできないと、フェネさんをしっかり確保しテオが呟く。
常識人は神経が細やかなので、ちょっとした違和感もスルーできないようだ。しかし、まあそれはいい。
「正直ね。私もそろそろトイレが限界なんですよ。だからね、茨を早くほどきたさはあるの。でもここで自由にすると、こいつまた引き続きか日を改めて同じことくり返す訳じゃない? 多分。ねえ聞いて。こいつマジでひでえの」
マジで。
トイレへの渇望でちょっと早口の私にまくし立てられて、男子らはすでに一回説明したのと大体同じ話を駆け足でくり返し浴びせられなんかもう解ったみたいな顔をする。
そして困ったような微妙な表情でテオと一瞬顔を見合わせて、たもっちゃんの最初のリアクションがこれだ。
「トイレは行きなさいよ」
解る。私も行けるなら行きたい。
まあそれで。
ああだこうだと協議のあげく召喚されたのは兄だった。テオの。
テオのお兄さんであるアレクサンドルは王城の騎士で、かつては代々貴族の家柄ながら諸事情あって平民の身分となっていたものを自分の代で見事貴族の爵位を得直している人物だ。
一代限りの爵位もあるらしいので、お兄さんがその辺どうなのかまでは知らない。
幸い、と言うべきかどうか。
どうにかしたい相手の男は完全に、暴力を振るう瞬間で茨に巻かれた状態でいる。
これならば正攻法で王城に訴えて、裏工作で帰国させないようにしている新米貴婦人の夫のことまで全部一気に片付けてはどうか。
そう言ったクレバーかつ冷静な提案がテオのほうからあったのだ。
ただ一つ、兄と顔を合わせるのがちょっとやだとテオが暗澹とした空気をかもし出してはいたものの、背に腹は代えられないとぐっと私情を飲み込んでくれた。えらい。
でもつらい時はつらいって言っていいんだぜ。私は「そっかあ」と聞くだけで、特にはなにも助けたりしないが。
そうして軽くどんよりとテオが自らアレクサンドルに話を通し連れてきた、と思ったらなんか部下のヴェルナーもいた。
これは、テオから軽く事情を聞いただけでもくだんの騎士がいくつかの法と規則に反しているのが確実だったからと言う。
だからなのだろう。
アレクサンドルは現れた時からもう不機嫌で、実際に被害を受けている新米貴婦人や私などから話を聞くとさらにどんどん放つ雰囲気を凶悪なものにして行った。そして。
「このふざけた男はいつから愛人話を持ち掛けていた? もっと早く訴えるべきだ」
やっと口を開いたと思ったらこれである。
「えー。やだあ。とりあえず当事者になんか言いたいのも解るけれども。言うならやったほうにして。やられたほうが強く出れない時はさあ、あるじゃないすか。事情とか」
汲んでくれよその辺を。
お兄さんの厳しい感じに私は思わず理不尽なりと反抗したが、これには意外なところから加勢があった。ヴェルナーだ。
「アレク様、わたしも同じ意見です。相手は夫を国外にまで飛ばせる身分。妻として、下手な事はできなかったはず。むしろ今まで致命的な怒りに触れず、しかも一歩も譲らずによくあしらってきたものと感心します」
弱い立場に思いをはせて、おかしいと思えば上官をいさめることもいとわない。ヴェルナーはただの隠れ甘党ではないのだ。
「えらい。これぞ腹心」
「えらい。さすが片腕」
あとで甘いものでもこっそり渡してあげようねえ! と一瞬にしてメガネと私はヒューヒューとしたが、特には誰も触れてはくれず勝手に盛り上がるだけだった。
一方で頼りにする部下の進言にアレクサンドルが「……済まなかった」と貴婦人に謝罪。そして手早く、しかし念入りに事後処理に当たった。
ちなみにこの時点でもうすでに私の膀胱は限界を突破していたが、そののっぴきならない危機はギリギリのところでレイニーに救われた。
彼女はこの家の使用人夫婦にご不浄の場所を教えてもらうと足を運んで自分のその目で確認し、少しの間は誰もトイレを使用しないように言い置くと私の膀胱辺りに手をかざしなにやら魔法を展開させた。
するとどうだ。もはや決壊寸前のなにかが、嘘のように消え去った。
そしてレイニーはそんなばかなとおどろく私をその場に置いて、魔力でなにもかもなかったことにするタイプの異世界のトイレを流しに行った。なんとなく、消えたなにかの行方は解った。
まさかの。
まさかの本人はここにいながらにして限界を迎えた膀胱を救う魔法があったと言うの……?
私は震えた。心でだ。
「嘘でしょ……? すごい……レイニーすごい……。こんな魔法あるの……? こんな魔法が実在するの……? どうしてもコタツから出たくなかった冬のあの日にいて欲しかった……!」
「リコ、俺達絶対もっと凄い魔法見せた事あるから。それよりマジで感動するのやめて。いやすげーけどさ。確かに。でももっとすげー魔法あるから。絶対。やめて」
吐息を感じるほど近く。背後に迫り、今にもこの首に鎌を掛けんとしていた尿意からの解放に、私のテンションはおかしくなった。
この暴走にドン引きで、そして不満げにマジレスするのはうちのメガネだ。
解るよ。おかしいもんな。自分でももうなにを言ってるのか解らない。解る。
あと、ほかの常識的な紳士らは絶対にこの話題には関わるまいと顔をそむけてそれぞれ別の壁を見ていた。賢明である。
でもほら。すごいじゃん。脆弱な人類が冬のコタツから出るなんて絶対にムリなのに、のっぴきならない尿意によってどうしてもコタツを離れなくてはならないと言う逃れようのない厳しい、そして勝ち目のない戦いに今こそ勝機が。レイニーの魔法で。勝利が。今ここに。
「レイニー!」
「わたくし、もうこんな事はしませんからね」
居間へと戻ってきたレイニーに、冬! よろしく! と言おうとしたら、先手を取って牽制された。
はい。




