563 新米貴婦人
まだ若く、無邪気なほどに真っ直ぐな好意をあふれさせる貴婦人。まぶしい。
その人と最初に会ったのはマダム・フレイヤの娼館である。
ちょうど貴婦人のドレスを試着しているところに遭遇し、同時に出会ったペーガー商会のフーゴを通じて安全ピンを作る切っ掛けになった人物でもあった。
出会った時の姿の割に現在彼女が身に着けているのはもっとシンプルなドレスだが、ピンを使って着付けるドレスはそもそもが正装って位置付けだったような気もする。ならばいかに貴婦人と言えど、必ずしも普段から着るってものでもないのかも知れない。それにこの貴婦人は、割と新米な訳ですし。
副産物としてペーガー商会に安全ピンをもたらした我々との出会いのあとで、彼女はかねてより恋仲だった平民から騎士になり爵位を得ている男性と結婚したと聞いている。
また別の機会には夫のほうから我々に会いにきてくれて、言葉を交わす機会もあった。
だから、親しいと言うには足りないかも知れないが、以前からの知り合いではあったのだ。
ただ私には名前だけでは残念ながら解らず、依頼主がその新米貴婦人であると気が付いたのはメガネだ。
「ねー。なんかねー、偶然だねー」
あいつもよく覚えてたよなと思いながらにのんびりお茶をいただいていると、貴婦人はふるふると首を振りテーブル越しにぐいと頭を近付けて言う。
「理由はなんでもいいわ。きてくださってありがとう。お礼をね、言いたかったの。旦那様がお手紙で知らせてくだすったのよ。命を救われたって。旦那様を助けて、戦争を止めてくだすったんでしょう?」
「ん? うんん……?」
それさっきも言ってたな。でも、あったっけ。あったっけそんなインパクトの強そうなエピソード。
もはやなにもかもあやふやゆえの困惑に、私はうんともううんともつかない声をごまかすようにうめいてこぼす。
その横でお茶をゆったりいただきながら、レイニーが憐れみみたいな顔をして私のいつでもどこでも怪しい記憶を補完するようにそっと言う。
「リコさん。ありました。ありましたよ。最初から、意図して止めた訳ではありませんでしたが」
そうか。あったか。
そう言われるとそうなのかも知れん。
ただ絶対にそんな人の役に立つことを我々にできるはずがないので、恐らく常に見ているだけのうちの天使が言う通り結果そうなったってだけだろう。私には解る。まるで見てきたかのように。もしかすると実際に見ていた可能性もある。その割に記憶と心当たりが全然ないが。
なるほどね。やっぱ全然覚えてねえわ。
私はそろそろ空になってきたカップを飲むでもないのに口元によせ、顔だけはやたらとムダにキリッとしておいた。
あっ、違う。今日は仕事や。遊びにきたんちゃう。
と、言うことを私が思い出したのは、仕事ですからね。早めにね。などと一応のやる気を久々に出し、午前中に訪れた依頼主のお宅でなんかちやほや接待されてゆっくりお茶をいただいたあげく、では昼食もご一緒にと誘われてからのことである。
さすがになんかおかしいなと思った。
「違った。ごめん。くつろいじゃった。今日はお仕事でした。庭。お庭どうなってます? 私、さすがに草むしらなきゃ……」
「えっ……だめよ。あなたたちにそんな。だめ。させられないわ」
「いや、でもそれできたんで。仕事なんで」
「奥様、とにかく昼にしましょう。お話はそちらで。ご用意します」
「そうね。そうしましょう」
「リコさん、昼食はチキンだそうです」
「レイニーは私に味方しないとダメじゃない? ねえ。せめて。ねえ」
私だって流されやすいんだからな。レイニーまでそっち行っちゃったら誰も止められない訳じゃない? チキンもいいよね。
新米貴婦人と使用人の連携でちゃちゃっと昼食の席が設けられそうになり、人様の作ったごはんを食べさせてもらうことに抵抗の低すぎる我々がほぼほぼ流され掛けていた時だ。
訪問者が玄関を叩いた。
お昼時である。
たもっちゃんがいつか言っていたのだが、飲食店は別として食事時に急にくる客はそれだけで万死に値するらしい。
しかも今やってきた訪問者は応対に出た使用人夫婦が止めるのも聞かず、どかどかと家の中までやってきた。無礼千万待ったなし。もしかしたら客ですらないのかも知れない。
それは男だった。
大柄の、筋肉も恐らくあるのだがどことなくたるんだお肉の気配を感じる外見の、王城の騎士服に身を包む中年である。
王城の騎士と言えばテオのお兄さんやその部下たちや、王族のそばに控えるエリートとしての印象が強い。
けれども目の前にいる騎士は、それらと似た身なりでありながらなぜかひどくだらしなく映った。
この評に、偏見が全くないと言い切る自信はちょっとない。
なぜなら男は非常に感じが悪かった。
「客か? なんだ、冒険者か。客ではないな。こちらの用が重要だろう。さっさと席を空けないか」
追いすがり無礼を責める使用人を意にも介さず居間まで入り込んできた男は、先にいた私やレイニーの姿を見るなり鼻で笑いそう言った。鼻で笑うのマジで感じ悪いな。
私もまだ帰る訳には行かないが、家の裏にあるらしい庭が一体どうなっているのか確認したいし草をむしるお仕事もある。だから正直、席を外すのはやぶさかではない。
ではないが、お昼ごはんのお誘いをいやいやそんなと遠慮するためソファから浮かせていた腰を、私はすっと戻して座り直した。
「やっぱりお昼ごちそうになろうかなー。そんでゆっくりいただいちゃおうかなー。もうほら。せっかく誘ってもらったし。ごはんはほら。ゆっくりちゃんと食べなきゃだから」
「あ? 聞こえただろう。さっさと消えろ」
なんだこの空気の読めない平民は。そんな様子で男はしっしと手を振って、私にソファからどくようにかなり雑な身振りでもって上から押さえ付けるように命じる。
それを受け、私はしっかりうなずいた。
「もしかしたらお泊りするかも!」
ケンカである。
自分でもなぜ一回うなずいたのかは解らんが、こいつの思う通りには絶対にしねえとの強い意志が急激に芽生えた。仕方ない。相手の感じが本当に悪い。
まあ、この時点ではケンカの相手がかつてマダム・フレイヤの娼館でお仕事していた新米貴婦人の元客で自分が愛人にしてやろうと言うのを断って平民上がりとバカにしていた騎士の妻に収まったのがおもしろくなくて、夫である騎士を自分の部下にして婿入り王子の供としてザイデシュラーフェンへと送り戦がなければ一年で戻る予定のものをずるずると理由を付けて今もって国に帰れないように手を回し夫が不在で新妻と使用人夫婦しかいないこの家に約束もなく押し掛けては今からでも愛人になれとごりごりの理不尽を強要しようとしているクズだとは知らなかった訳だが、なんか本能的にケンカを売ったしなんならナチュラルに売られたものを買ったくらいの感覚さえある。
では、この新米貴婦人を取り巻く事情を私がいつ知ったかと言えば、まず感じの悪すぎる騎士とのケンカが秒で売り買い成立し、頭に血をのぼらせた騎士が生意気な口をと私の胸倉を片手でつかんで逆の手を振り上げた。ここで攻撃判定が出たらしく、どこからともなく茨が吹き出しどことなくたるんだ騎士の全身を巻く。私の胸倉をつかんだままでだ。
「あっ、どうしよう。なんか手が外れない。なんかこれ外れない。どうしよう」
天界製の茨のスキルで巻かれるとそのまま時間ごと止まってしまうので、私の服をつかんだ腕も全然動かなかったのだ。困る。
「一度解くしかないのでは」
「でもそうしたらまた暴れる気がする。茨が出て殴るまでは行かないとしてもさー。暴力はふえんってなっちゃうからさー。やだ」
まあせやろとなと言うようなレイニーの冷たいまでの正論に、なんとなくやだの気持ちで私は結論を先のばしとした。
それで、殴り合いのケンカが始まり掛けたかと思えば悲鳴を上げる間すらなく訳の解らない茨がぶわりと出現し夫の上司である騎士を巻き、巻かれた男が微動だにしなくなったところで現場となったこの家の新米貴婦人と使用人夫婦が「ええ……」と引き気味に困惑。
なんなのこれどうなってんのと貴婦人と使用人夫婦が茨に巻かれた男の周りをそわそわ囲み、心配すると見せ掛けてさり気なく蹴りを入れるなどしていた。この感じだと私のケンカもそんな怒られなくて済みそうで助かる。
茨に巻かれた物体に胸倉を捕まれた状態で動けなくなった私はそのままご厚意に甘え、これはもうしょうがないですからねとレイニーと二人ですでに用意されていたチキンでお昼をごちそうになり、よく解らんけどコイツには手を焼いていたから多少はね。と新米貴婦人自身から彼女を取り巻く事情について説明を受けることになったのだった。




