557 貴族主義
そう言えば、貴族主義の派閥と聞くと思い出すのはお花の砂糖でこの世の春を謳歌する某ズユスグロブ侯爵である。
もしかして、今回のことにも代替わりした新侯爵とか逆に電撃的に隠居した先代がなんか関係したりしてますか? だとしたら引くんですけど、と。
遅ればせながらにちょっと心配になってきて、おそるおそる確認するとそれはギリギリ関係ないのでセーフとのことだ。
ギリギリっつうのがもうきなくせえじゃねえかとも思うが、それは今回の反乱分子が元々はズユスグロブ候の派閥に属していたと言うだけだった。
つまり、今は違う。
我々には某ズユスグロブ領の大地主のご子息と説明されてたし今もそう言うことになっている例の、生まれる前から呪いにやられた若様に強靭なる体にいいお茶が運よく効能を発揮。大地主の若様だから侯爵には関係ないはずではあるのだが、以来、なぜか我々に対して手を出さなくなった先代のズユスグロブ侯爵の弱腰に俺が思ってた貴族主義と違うっつって離反した一派が今回の反乱計画において主幹をなしていたと言う。
ややこしい。ただややこしいのは大地主の若様とズユスグロブ侯爵の間にうっすらありありと相関関係が見えるのにかたくなに関係ないことになっているとこだけで、侯爵の派閥から離反した貴族に関しては動機も立場も割とシンプルって気もする。
じゃあマジで今回の事件はギリギリお砂糖の派閥辺りとは関係ないんすね。
と、言った話を聞きながら、お腹を空かせた金ちゃんに頭部をぼよんぼよんと連打されよく弾むボールみたいになった私がどうかこちらでご勘弁くださいとクレブリでパン屋見習いに最近なった少年エルンが嫌々ながらにお金のためにせっせと焼いた、ちょっとしたスニーカーサイズのフランスパンに切れ目を入れてお野菜とサクッと揚げた魚のフライをはさめるだけはさんであるものを備蓄の中から差し出して、私と金ちゃんのこのやり取りを見ていた王様が「そのパン知らない」と言い出したことから王様だけでなく武者姫と意外に王妃様までもが召し上がりたいとご所望になってしまった。夕方頃から色々ありすぎて、お夕飯がまだだったらしい。
フランスパンを焼いてるのはしぶしぶのエルンで、手法としてはふかふかのパンを焼いてるはずがなぜか仕上がりがこうなっている。別に本人も望んではいないのに、なぜか開花してしまった変化球の才能である。
エルンの場合は普通に焼いたらフランスパンが焼き上がるので本当に意味が解らないのだが、たもっちゃんはなぜか「ワシが育てた」みたいな顔でうれしげに、張り切ってバゲットサンドを手早く作った。具材に多少の違いはあるが似たようなやつが備蓄にもまだあるのだが、我が家の料理担当のメガネは新鮮なほうがいいかと思ったとキリッとしていた。こだわりである。
そうしてできたボリュームと食べ応えあるバゲットサンドは、しかし直接は王様たちには渡らない。食の安全に対して一定の管理意識を持ったメガネが「これ、誰に渡せば。誰に見てもらえば。こんな時ですからね。安全をね。確保しておいしく食べて欲しいの」と、少しおろおろ周りを見回して、空気を読んで進み出た王様付きの侍従の人が「お預かり致します」と受け取ったからだ。
王様や王妃様や武者姫は国で一番えらいご一家なので、食事にも気を使うのだ。今日はほら。反乱とかもあった訳ですし。恐いよね。毒とか。
そのためバゲットサンドは一度部屋の外へと運ばれて、少しのち、恐らく安全を確認されてから豪華なお皿に乗せられてナイフやフォークと共に運ばれてきた。
王城の奥まった場所にあるこの部屋はくつろぐための場所なのか、いくらか控え目でありながら豪華な装飾があちらこちらに散りばめられてよく手入れされた家具や調度がこれ自体美術品であるかのような魔石のランプに品よく輝く。
そんな中、ぱっと見オシャレな感じがしなくもないが庶民派の、お野菜やフライでボリューミーに彩られたフランスパンが王族の前へとうやうやしく並んだ。
大きなテーブルを囲むと言うには広すぎる間隔を持ちながら、席に着いた貴人らは指の先まで上品に。ふかふかのパンより強度があって、けれども従来の試練パンよりもっちりとしたバゲットサンドに少し苦労しながらも、ナイフで小さく切り分けてそっと口の中へと運ぶ。晩餐会。よく知らないが晩餐会の三文字が頭の中にぼやややと浮かぶ。
サンドイッチをこんな感じで食べる人類を初めて見たが、ここは王様の家なのだ。
場違いなのはむしろ、トロールが振り回すのに最適な棍棒サイズのフランスパンを思えばまだ手頃だが二十センチほどもある小型のバゲットをそのまま使ったサンドイッチをむしゃむしゃと二口で消した金ちゃんと、なぜか品よく見えるのにがっつりフランスパンを噛みちぎるレイニーのほうなのだろう。いや、わたくしもって言うから……。夜だもん。お腹も空いちゃいますよね。
なんとなく持ち前の天衣無縫が半裸の全身からにじみ出す金ちゃんはともかく、レイニーはもうちょっと人の目を気にしたほうがいいのではないかと思わなくはないが、まあこの流れはもうええやろと我々はおもむろにバゲットサンドを自分のぶんも取り出したし、じゅげむやフェネさんやテオにも渡した。
じゅげむは「いいの?」と小さな声で聞いてから、王族の中で一番近くに腰掛けた姫に「よい」と言われて素直にかじり付いてたが、テオだけはめちゃくちゃ途方に暮れていた。
そうする内に王様がメガネにあれこれ質問を重ね、フランスパンはメガネにも焼けずなぜか海辺の街でパン職人を志すエルンと言う少年だけが作り出すことができるところまでを突き止めた。
なにげない話をぽいぽい振って本当に欲しい情報を引き出す感じ、一見そうとは気付かせないレベルでめちゃくちゃ高度にあざやかだった。
象牙色の口ヒゲをバゲットサンドの弾力にふさふさもぐもぐさせながら、なんだか真剣に王様は言う。
「スキルだろうか? その者にしか焼けぬとは。これもまた味わいがあってよいパンだ。何とか作り手を増やしたいものだが……。クレブリにも人を出してみようか。根気よく学べば同じパンを焼ける者が出るやも知れぬ」
ふかふかのパンもいいのだが、おいしいパンはいくらあっても困らないのだ。そんな心の声が聞こえそうなくらい、キリッとした顔だった。
この辺りから、と言うか金ちゃんや王様たちがバゲットサンドを食べ出した辺りから話がどんどん妙なほうへ入り込み、もうすっかり戻ってこれなくなってしまった。多分、状況としてはそれどころではない。
反乱の知らせを聞いて騎士に守られ駆け付けたアーダルベルト公爵が王城の召使いに案内されてこの部屋へときた時は、蜂起はしたがすぐに制圧されてしまった反乱のことはなんかちょっと横に置き、とにかくクレブリにもパン職人を送ると言うことだけが熱心に話し合われて決まろうとしている状態だった。
解る。大変なことになったと急いで王城へきてみれば、王族となぜか我々が和気あいあいとしっかりもちもちとしたパンを味わっているのだ。そうだよね。訳が解らないよね。解るよ。
そんな中、王妃様は小動物めいて優しく可憐な雰囲気そのままに、ゆっくり少しずつ食べていたバゲットサンドの半分も行かずお腹がいっぱいになってしまったようだ。
困った様子で、そして全部食べられなくて申し訳なさそうに「どうしましょう……」と呟くのを聞き付けて、「だいじょうぶ」と凛々しい顔でうなずいたのはじゅげむだ。
「きんちゃんがたべてくれます。きんちゃんはなんでものこさずたべてえらいです」
そう言ってやたらと力強く請け負った子供に、王妃様は「そうなの? 凄いわ」とウサギみたいに温和な顔をぴかぴかさせた。
そして「少し食べてしまったけれど、構わないかしら?」と、おっとり話し掛けながら王妃様は手ずから金ちゃんに自分のバゲットサンドを差し出した。
例え食べ掛けであろうとも捧げられた食べ物は当然全部俺のものとばかりに、ばくりと遠慮なくいただく金ちゃん。
半分以上残ったパンを一口で消した金ちゃんに、「あら凄い」と盛り上がるこの国で一、二の身分を争う貴婦人。
それでは私もといそいそと武者姫が参加して、そうでしょすごいでしょ。みたいな顔でなんとなく得意げにふんすふんすとしているじゅげむに、我だっていっぱい食べるもん! とフェネさんがキャンキャン跳ね回り、もう訳が解らない。テオの情緒は死んでいる。
そりゃアーダルベルト公爵も、駆け付けるなりこの光景では王や王妃の御前であるにも関わらず「えぇ……何これ……」と引いてしまうのもムリはない。解る。
あと王妃様は金ちゃんの食べっぷりにハマり、侍女に命じてわざわざ食べ物を用意させてはほいほいとわんこそばのようなテンポのよさで金ちゃんの胃袋に消しては「小気味のよいこと!」と顔面をぴっかぴかに輝かせていた。
えらい人の考えることは解らないものだが、金ちゃんのついでに我々も王城の一流料理人による豪華なスイーツなどを食べさせてもらってなんか得しちゃいましたね。




