553 まぶしさ
私が勝手に武者姫と心の中で呼んでいる真夏の直射日光めいて容赦なく溌溂とした姫様は、しかしわくわくと期待に胸を膨らませていた大森林の冒険を前に、ぐっと自分にブレーキを掛けた。
武器はある。防具もだ。
騎士やお付きのメンズも油断なく備え、武者姫は今すぐにでも冒険に出掛けられたのに。
けれどもメガネ自慢の空飛ぶ船で颯爽と、大森林の中に開けた原っぱにおり立ち姫はなによりもまず言ったのだ。
「ドラゴンに会いたい。礼をしなくては。用意はしてきた。まず、わたしの知るおいしいものをドラゴンに捧げる約束を果たしたい」
後光が見えるかと思った。
自分が楽しく遊ぶことよりも、大切な宿題を先に済ませたい。
まるで私が小学生の頃、夏休み二日目にたまたま会った同級生が宿題全部終わらせたから図書館に行って予習するなどと訳の解らないことを言っていた時のまぶしさに近い。自分の存在が消し飛ぶかと思った。
子供心にお前は本当に私と同じ人類か? と本気で疑ったし、あの夏、私の宿題は長期休暇が終わっても未完結のままだったものさえもあった。
水さえやってりゃ勝手に育つなどと見込み、自由研究に植物の成長記録を選んだのが敗因だったと思う。朝顔。
そもそもね。植えてすらないものは成長しようもないですもんね。びっくりしちゃいましたね。
まあそんな遠い過去の話はいいのだが、武者姫の目的は冒険よりも……いや恐らく冒険もあるが。
それはそれとしてまた別に、存在自体が希少と言われる最上位種のドラゴンから直接譲り渡された、ドラゴンさんが胃袋の中で魔力に染めた希少でありながら大量の素材。その対価を支払うことを、なによりも優先すべき目的としていたようだ。
武者姫はメンタリティが武士なので、恩は返さねば気が済まないのかも知れない。
姫はそのため王城の料理人やお付きのメンズたちに命じ、姫の好きな料理や菓子を作らせて、または広く募って集めた食べ物を一つ一つ自ら吟味し姫の琴線をかき鳴らしたものから順にこのために持参していたらしい。
「さあ! エアストドラゴンを迎える準備だ! 急げ! 抜かるな! よし! わたしも少し手伝……」
「姫様はご指示を」
「姫様はこちらで」
お付きのメンズや一部の騎士が忙しく立ち働くのを用意されたイスに腰掛け見ながらに、どれ私もといそいそ立ち上がろうとする武者姫を両脇でがっちりガードした精鋭らしき二人の侍従がすかさず慇懃に、それでいて強固に押しとどめて阻止した。
侍従に止められイスに戻る武者姫の姿が、なんとなく「キュウン」と鼻を鳴らすイヌみたいでかわいそう。
でもあれだ。私には解る。
悪気はないしがんばってるけどなぜか周囲に被害をもたらす生まれながらのクラッシャーの気配が姫にはあった。解るよ……。私には解る。同類は同類を見分けるんだぜって前に読んだBLまんがで魔性の当て馬モブが言ってた。理屈は解らない。
こうしてお手伝いを封じられ悲しげな姫の声援を受け、もうどうしてこうなったのか解らない様子で口からぶつぶつ「なぜ……」とくり返し声がこぼれてしまっているテオや、たくさんのおいしい食べ物の予感に誰よりキリッとした顔で積極的に準備を手伝っているレイニー。そしてお手伝いそのものにやりがいを見出しているじゅげむと共に、アイテムボックスからぽいぽい出して提供したいくつものテーブルへとメガネや私も料理や食器をどんどん並べて用意を手伝う。
そうする内にふと気が付くと、大森林の真ん中でお食事会か宴会の準備を猛然と進める我々にまざり、結構な数のエルフらがテーブルクロスのしわ一つ許さず、または食器の位置をミリ単位で整えていた。
いつの間に。そしてなぜなのか。
あと細かすぎるテーブルセッティングがエルフの感じにめちゃくちゃ似合う。美意識。
なんでエルフがここにいるのか本当に解らず私はふえっと混乱したが、どうやら彼らは先日メガネが調味ダンジョンに行ったついでにドラゴンさんに姫がくることを伝えたのを聞きつけ、ドラゴンさんに日頃の感謝を伝える会には自分たちも参加しなきゃダメだろと大森林の間際の町でラーメン屋に勤務するバイトのエルフを斥候に人族の国から姫がくるのを今か今かと待ち構えていたらしい。
エルフ、ドラゴンさんの自宅の下のダンジョンにドラゴンさんに運んでもらってせっせと通い、手に入れた調味料や日本酒などを大森林の間際の町でさばいてるから……。
調味ダンジョンは大森林の深層部にあるので、エルフでもドラゴンさんの送迎がないと立ち入るが厳しい区画とのことだ。
だからその恩義と言うか。普段も料理などを捧げたりはしているが、こう言うイベントも大事にして行きたい。みたいなことを、やたらと大きな鍋を手に、ムダにうろうろしすぎてて若いエルフからちょっとジャマにされている長老の小池さんがキリッと語った。
秋になってほどなくの今日。
朝から王都を出発し、近郊の転移魔法陣のある場所へ移動。大森林最寄り魔法陣まで転移して、馬車で大森林の間際の町へ。
そこで町の人々に歓迎を受け、いざ大森林へ足を踏み入れたのはお昼をいくらかすぎた頃である。
自由と宴会場所を求めて飛ばした船で遅い昼食をもそもそ軽くいただいて、森に開けた原っぱでドラゴンさんを迎える準備を整えた時にはほとんど夕方に近くになっていた。
たもっちゃんが「じゃーちょっと行ってくる!」と軽率に、レイニーに黒い障壁の箱を作ってもらったその中でドアからドアへとスキルを使ってドラゴンさんを迎えに行って、本当にすぐ戻る。
ドラゴンさんは、どんな気持ちだったのか。
これは私の想像でしかないのだが、自分のために宴会が開かれ、主役として到着を待たれていると言うことに、もしかするとわくわくと心を浮き立たせていたのかも知れない。
それでつい、テンションが上がってしまった可能性はある。
丸々太ったヤギくらいのサイズになったドラゴンさんがメガネにちんまりと手を引かれ、ドアをくぐった瞬間のこと。
ドラゴンさんから「きたよ!」とばかりにパアアと放たれた魔力の波は、まるで張り切りすぎた太陽フレアのようだった。
ぶわりと強く、突風めいた圧迫感が瞬間的に周囲を襲う。まるで見えないぶ厚い膜が、ドラゴンさんを中心に内から外へとふくらみ爆ぜて行くかのようだ。
武者姫の安全を守る騎士たちが魔道具を駆使して辺りに張ったドーム状の障壁は砕け、あわわわとテーブルに取り付き料理を守らんとするお付きのメンズや我々のそばでは白く小さなフェネさんが「ぴえ」と密かな鳴き声と毛を残し光の粒となって消し飛んだ。
「フェ……フェネさあん!」
大混乱である。
フェネさんが毛となって消えてしまった理由は、どうやらこれまでの日常生活で神本体が分体に練り込んであった魔力をまあまあ消費してしまってて、そこへ浴びせ掛けられたドラゴンさんのわくわくとした圧倒的魔力に耐え切れず分解されたのだろうとのことだ。
「じゃ……俺、ちょっと行ってくる……」
「おれも……」
そう言って、吹き荒れた魔力の風の勢いを思えばよくぞ見付けたと絶賛したい数本の毛をにぎりしめ、黒い障壁の箱へと消えるのはうちのメガネと神の妻たるテオだった。
急いでフェネさんの本体に会いに行き、分体を練り直してもらうのだ。
我々は謎の波動で飛び散ったフェネ毛をうわあああと泣きながらかき集めようとしたのだが、我々のそんな取り乱した姿で二次的にわあああとなった姫やメンズやエルフらも毛の確保に協力してくれた。
これか? これもそうか? と毛らしきものを持ちよってくる彼らの顔は、混乱と動揺で完全に悪い意味でドキドキとしていた。
ドラゴンの気配を察してか、いつの間にかじゅげむを確保してレイニーの後ろに隠れたものの隠れて切れてない金ちゃんだけがいつも通りでむしろなんかほっとしてしまう。
あれだなあ。フェネさん自称神だけど、元は魔獣で比較的長く生きる間に力を付けただけだから、もっと強い生物の前には普通に負けてしまうんだなあ。
そんなうっすらとした悲哀が辺りの空気に濃密に溶け出し、たもっちゃんらが本体に頼んで練り直してもらったフェネさんをテオが胸元にひしとくっ付け戻ってくるまでなかなかの気まずい時間をすごした。
なんだかうれしくなってしまって魔力が多めにこぼれてしまったっぽいのだが、ドラゴンさんは責任を感じてか体を中玉スイカほどに縮めて地面にずしりとめり込んだ。
普段は体を浮かべているが、今はもうふよふよと飛んでいられない気分だったようだ。そして体は小さくなろうとも質量はぎゅっとしてるだけなので、逆に重さが一点に集まり地面にめりめり陥没してしまう。
ドラゴンさんにはできるだけ機嫌よくしてて欲しいし、事故はほら。どうしても起こるものですし。これから気を付ければ。ねっ。と、よってたかって必死でフォローした。




