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542 愛ゲー

 砂漠の外の魔法理論で練り上げた便利な魔法術式を精霊魔法に変換する作業は、たもっちゃんがガン見のスキルを駆使した上でもなんだかんだで時間を食った。

 なにかを創造すると言うことは、よく時間を溶かすのだ。私知ってる。大きいイベントが控えるなどするとSNSにあふれる、予定ではこうなるはずじゃなかったけど割増料金払えばヘーキヘーキの呟きとかで。

 ただ極道入稿は本当の意味のヘーキじゃなくて、印刷所の人の命をちょびっと買い取っているだけらしい。恐いね。SNSには現代社会の闇がある。

 しかしまあ、たもっちゃんはイベント前の同人作家ではない。

 明確な期限が設定されている訳でもなくて、それなりにのんびり、けれども湖水の村に住んでいるハイスヴュステの呪術師たちに「正気か」「やめろ」などと、わあわあ言われながらに数日掛けて作業した。

 では、それを待つ間、ヒマを持て余した私やレイニーやじゅげむや金ちゃんに、あらゆる意味で我々を放っておけないテオとその肩にへばり付いたフェネさんはどう時間をすごしていたか。

 答えは、ちょっと訳が解らないけども遠隔で水を呼ぶ魔道具がもしかしたら湖水の村で生産できるかも知れない予感を鋭敏に感じ取った若君に、愛馬ならぬ愛ゲーゲンの自慢と言う名の張り切った接待を受けていた。

「よし、そこで待て。動くな。すぐにくるからな」

 ヒマなほうの我々を砂岩のような素材でできた族長宅の建物から連れ出し若君は、その庭先で身振り手振りをまじえつつ「ステイ」とばかりにそう言って、これからすごいものを見せてやるぞ感を出す。

 そして白い仮面で目元の隠れた顔を上向けピゥピヒ、と。特殊な音色で口笛を吹いた。

 建物の外、と言っても湖水の村の住民が暮らすこの区画はもう一つの天井がある。砂漠の民たる彼らが守る水脈の果ての、とめどなく水をこぼし続ける岩盤の屋根だ。

 だから若君が見上げた先に空はない。

 代わりに視界いっぱいに広がっているのは、ざばりと大きく立ち上がった波がトンネルを形作るギリギリで止まったかのような、ゆったり巨大な白い岩盤の天井だ。

 それもこの集落の位置からすると、崩れてくるのを波の内側で待っているみたいな錯覚を起こす。改めて見るとすげえなこれ。

 顔を上向けた若君に釣られ、ふええと上を見た我々が口を開けたり開けなかったりしながら「すごーい」と、のん気に感心できていたのはほんの数秒のことだった。

 若君が口笛を鳴らすと、すぐに。

 遥か頭上にゆったりとしたアーチを描いて伸し掛かる、岩盤の天井にかさこそと小さな点が現れた。それが我々の真上までくると、ためらいもなく落ちてくる。

 実際には落ちたのではなく自ら手を離し――いや、手と言うか。

 それはほっそりとした枯れ枝みたいな八本の足をパッといっぺんに天井から離して、ぽってり丸い尻から出したほとんど見えないほどの細い糸を頼りに、さあっ、と地上へ下りてきたのだ。

 私がこれを理解したのは少しのち。

 遥か頭上の岩盤にあっては小さな点にしか見えなかったものが、落下の速度でぐんぐんと近付き、その姿があっと言う間にくっきり大きく鮮明に。そして人も乗せられる巨大なクモとして。

 目の前の地面にボトッと、安定感の三文字を思わせる様子でおり立ってからだ。

 私は叫んだ。

「軍曹すげえー!」

 若君が白い服に包まれた体の前で腕を組み、やたらと胸をぐいと反らしてはちゃめちゃ自慢げな空気を出した。

 湖水の村のハイスヴュステが愛してやまない巨大グモ、ゲーゲン。

 大体の感じで私も軍曹と呼ぶなどの変な親しみを持ってはいたが、いざ間近で見てみるとゲーゲンの親しみやすさはそんなものではなかった。

 若君が集落の空を閉じた岩盤に向けて響かせた、あの独特の口笛は自分のゲーゲンを呼ぶための吹きかただそうだ。

 そうして呼ばれたゲーゲンは、八本の放射状に広がった枯れ枝みたいな細い足をしなやかにたわませ、その中心の胴体部分をわずかに弾ませ反動をいなして主のそばへと着地した。なんかこう、大きさが大きさだからそこそこの重量を思わせる感じで。

 地上へやってきたゲーゲンはそれから、きたよ。きたよ。呼んだ? きたよ。とでも言うように、若君の周りでそわそわうろうろ付きまとい、どうにか構ってもらおうとしていた。愛おしい。

 感情が高ぶりすぎて語彙力をなくし、すごい。すごい。としか言わなくなった私と、私の語彙力消滅に釣られてか「すごいね。すごいね」とくり返すじゅげむのすごいすごいボットと化した我々に腕を組み胸を反らした若君が満足そうにうなずいている。

 と、なぜか。

 もう呼んでいないのに、さらに数匹ボトボトと巨大なクモが次々に天井から落ちてきた。

「あっ、呼んでない。今じゃない。今じゃ」

 ごく小さくひそめた声であわてたようにそう言って、落ちてきた何頭もの巨大なクモをぐいぐい押して隠そうとするのは若君のお付きの召使いたちだ。

 騎馬的に人を乗せられるクモは大きくて全然隠れてないのだが、勝手にボトボト落ちてきたのは彼らの愛ゲーゲンであるらしい。

 若君のゲーゲンが呼ばれたことで、我も我もと主人のもとへ構え構えと押し掛けてきてしまったようだ。

 主たるものいついかなる時も自分を構ってしかるべきと言うような、ゲーゲンの高らかなる自尊心。すごくいい。

 ただ、いいねいいねと言いすぎたのか、なんとなくおもしろくなかったらしきミスカから「貴方がたのねこに対する思いはその程度ですか」とゴリッゴリに当てこすられて、別のものを愛おしいと思ってもそれはネコへの愛を減らして愛している訳ではないしネコはいつでも愛しているし向こうが愛してくれないとしても私は勝手に愛しているのでそれはそれやろがいとキレ返してしまい、なんか最後にはミスカと私で胸倉辺りのつかみ合いになり、レイニーがさっと私から離れ、じゅげむがふええと若干泣いて、金ちゃんが「おっ、ケンカか。いいぞ」みたいな感じで自らの腰布にはさんだ武器に手を伸ばし、しかし今は人里にいるのでそこに物騒な武器はなく、テオが子供の前でなにしてるんだ! とめちゃくちゃ真っ当なセリフで間に入り、その肩でもっふりと三角の大きな耳を少し伏せたフェネさんが「ねこより我のほうが凄いと思う。神だし」と真剣に言って、なぜ急にケンカが始まったのか理解が追い付かず仲裁に出遅れたシピと、どうしてそれでケンカになるのか全く解らない様子の若君にドン引きさせるなどの事件にはなった。

 なぜこんなことになったのか、本当に私にも解らない。


 この件に関してはのちに、族長宅の一室でハイスヴュステの呪術師に囲まれ思いとどまれと説得されながら全然そんな忠告は聞かず、せっせと魔法術式を精霊魔法に移し替える作業を進めていたメガネから「俺だって軍曹のかわいいとこ見たかった!」と、めちゃくちゃストレートにだだこねられることになる。

 だがそのほかは意外に、人間関係やその場の空気がまあまあぐっちゃぐちゃになった割にはあんまり遺恨を残したりはしなかった。

 これはメガネが全然自重せず、外の理論で組み上げた魔法術式を精霊魔法に移し替え、そもそもが諸事情あって場当たり的に人の目をごまかすためだけに作った魔道具だったからガン見のスキルで精霊魔法に組み替える作業でなんかうまいこと整頓されてむしろ元の術式よりも効率と正確性は上がっちゃったなどと言いながら、三日ほど掛けて新しく「どうしてなんの事故もなく成功したのか解らない」と頭をかかえる砂漠の呪術師たちが使えるように練り直したやつをせっせと書き上げてからのこと。

 場所は砂漠。夜である。

 湖水の村の黒衣に身を包んだ男らが枯れ枝めいた長い脚で器用に歩くゲーゲンの上から、「迷いモグラがくるぞ! 備えろ!」と、なかなかのパワーワードを連発し、手に手にカゴやボウルを持った村人たちを鼓舞する。

 なぜかその、なんらかの入れ物を持参してわらわら集まった中に我々はいた。

 いや、なんか。

 クモとネコにはそれぞれよさがある。愛を分けるのではなく、一つ一つ別に愛せばいい。その点ではお前の言うことは共感できる。

 などと若君にほめられながら一仕事終えたメガネと共に夕食にお呼ばれしていたところ、湖水の村の青年が部屋に駆け込んできたのが始まりだったような気もする。

「若君! 迷いモグラが近付いています!」

 迷いモグラて本当になんなの。

 登場と同時に必死で叫ぶ青年に我々の頭はそんな疑問でいっぱいになったが、ここからの若君は迅速だった。

「距離は? ゲーゲンを出せ! 人を集めろ! 急げ、あれが存外足が速いぞ!」

 若君はゆったりくつろいでいた長椅子から飛び起き、なんだかわくわくと檄を飛ばした。

 そして完全に手近にいたと言うだけで、我々を「おもしろいものを見せてやろう」と集落の外へ引っ張り出した。

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