541 若君と我々
とりあえず、現場レベルでのパワハラがなくなったのはよかった。
商人の上にはややこしい貴族がいるらしいから、自分を見つめ直してもどうにもならないような気はするが。
でもその辺はほら。隠密の内偵も入っていたことですし。ややこしい権力者とズブズブの商人も反省し、もう一押しで自白とかしそうじゃないですか?
そうしたらなんかぶいぶいと上から下までの意識、行動、企業体質の改善を行政とかが指導すればいいのではないか。
多分悪だくみしてる貴族は企業じゃないし、入るとしたら行政指導ではなくてもっとえらい貴族とか王の粛清になりそうではある。
とにかく、こうして我々は直接関わらず、なんならあんまり訳の解らない内にごりごりとした商人の脅威は湖水の村を去った。
もしかすると商人自体はまだ滞在するのかも知れないが、なんかこう、もう多分大丈夫じゃない? の雰囲気を肌で感じた。
それでやっと改めて、若君と我々の話し合いである。
反省商人と部下に扮した隠密がひたすら腰を低くして去り、応接室にはハイスヴュステの民であるシピとミスカを付き添いに、いつもの我々が残された。
若君はそんな、一応の客を前にして、細長いクッションをぎゅうぎゅう抱きしめ長椅子に寝っ転がった格好で言う。
「やはり話は明日にしよう」
「大事な話を俺らより先送りしたがるって相当ですよ……」
なんかもうやだの空気を濃厚にかもし出す若君に、瞬時に言い返せたメガネはちょっとえらかったと思う。その内容はあれだが。
寝転がっているのに堂々と、やたらと凛々しく提案する若君は完全にやる気を失っていた。この姿から凛々しさを抜いたらまるで普段の我々である。
なぜこの人はちょいちょいと、こう、我々に変な親しみをいだかせるのか。
もしもこれが計算の上なら恐くてドン引きするところだが、若君と同じハイスヴュステの民であるシピとミスカの証言によると割といつもこんな感じでのらりくらりとしているらしい。
たもっちゃんはこの、お前は俺かと言う勢いでだらけ切った様子にてきめんにやられた。
「えぇー、やだぁ。何かちょっと偉くて恐い感じする人がだらしないとこ見せてくると好きになっちゃうからやめてぇ」
「そうかそうか、なれなれ」
若君はごろりと横向きに寝返りを打ち、片手を立てて頭を支える格好でメガネの好意をめちゃくちゃ軽率に包み込む。
これはいけない。なんかのマンガとかで見た、身分はあるのに軽薄で不敵なモテ貴公子みたいなおもむきがある。こんなのはキミ。あれだぞ。我々が心に秘めている夢見がちな少女がときめいてしまうぞ。解る。好き。
こうして、親の顔より少女マンガとかで予習した不遜系貴公子の風を全身に浴びせられた我々は、そこそこすぐに陥落し若君にきゃっきゃとなついてしまうことになる。
「若君若君、それでね、聞いて。俺も考えてたんだけどね、あの、遠隔で水を呼び出す魔道具。あれをさー、各村に俺が一人で設置して行くのは無理があると思うのね。いや俺も結構暇にはしてるけど、秋には大森林とか行かなきゃだから。でね、思ったんだけど、ハイスヴュステの呪術師の人とかに水呼び出す魔道具の魔法術式教えてさ、自力で設置してってもらえばよくない? 故障とかしてもいちいち俺呼ばなくていいようになるし、みんなニッコリじゃない?」
「若君若君、お茶飲みな。お茶。昨日あげたやつも体にいいから。すげーいいやつだから。私がむしって干したから。人の手作りがダメな時は本当にごめんな」
「わかぎみ。これね、おちゃね、ぼくもほすのおてつだいしました」
なんか若君、大丈夫ちゃう? 本能でそう察知したメガネと私が若君を囲んでわあわあと好き勝手に押し付けがましく色々言って、そんな大人の様子を見てか大丈夫そうなら僕も役に立たねばと一緒にプレゼンしてくれるのはじゅげむだ。
応接室の壁にそいぐるりと囲む格好で長椅子はいくらでもあるのだが、まだ寝っ転がっている若君の近くに遠慮なく密集してしまっている。
さすがになつきすぎなのだろう。
砂漠の民の黒い衣装に身を包み、近くに控える若君の召使いたちが若干おろおろとしながらになんかちょっと引いている。
でもー、なんかー。若君もくそほど雑にテキトーな感じで受け入れてくれるし、受け入れてもらえるならまあまあぐいぐい行っちゃうじゃない? だからさー、我々もね。これはもーしょーがなかったってゆーかー。
ねーねー若君若君おやつもあるよおやつなどときゃっきゃしている我々に対し、お前たちを湖水の村へ招いたのは水を呼び出す魔道具が理由だと自分はもう告げていたか? と、若君を軽く不審がらせたものの、たもっちゃんからなされた魔道具に必要な魔法術式よかったら教えますけどの提案はなかなか好感触で受け止められた。
「それが適えば……願ってもない話だが……構わないのか? 魔道具はいい収入になるだろう」
なお、じゅげむの手前か一応受け取ってくれた若君のお茶は口を付けず長椅子の上にそっと置き、ただ手を添えている状態だ。用心深い。気持ちは解る。よく解らない人間にもらったよく解らないお茶は恐い。解る。でも思い切って健康になってしまえ。
私とじゅげむのお茶飲めよとの熱い視線を受けながら、若君の少しおどろいた様子の問い掛けにメガネが「あぁ……」と低くぼそぼそと答える。
「俺ら別に魔道具売ってる訳じゃないんで……あの水出すやつもたまたまなんで……」
「たまたまで……魔道具を……?」
たもっちゃんの言葉を受けて、弱々しく呟く若君の声には「お前それは本当に訳が解らないぞ」みたいなものがありありとにじむ。気持ちは解る。けれども、そうして困惑を覗かせたのはほんの数秒のことだ。
若君は気持ちを切り替えるように、ふ、と軽く息を吐きゆるゆる首を横に振る。
「しかし、術式を授けられても魔道具をこちらで作るのは難しいだろう」
「えっ、なぜ」
俺は誰かにいっぺんに教えればいいし、そちらは好きに設備を増設できるのに。
たもっちゃんは、効率の面でも結構いい提案をしたと密かに自負していたらしい。俺のなにが不満なの? と、若君の白い服にしがみ付いて迫る。重ための恋人かなにかか。
しかし、ハイスヴュステの集落の中でも特にさかえた湖水の村の若君は、重ための感情を押し付けられても動じずになんとなく慣れた感じでシカトした。そして事実だけを言う。
「砂漠の呪術師が使うのは精霊魔法だ。外の魔法とは体系から違う。外の魔法術式をうちの呪術師が描いても、恐らく発動さえしない」
「あっ、そう言うあれでしたか……。それはマジで魔法術式だけ教えてもしょうがないですね……」
なぜなら魔法の成り立ちが違うので。
たもっちゃんは急に冷静な顔になり、若君をぐらんぐらんにゆすっていた両手をそっとなかったことにするように離した。
なんとなくあっさりしすぎててやけに聞き分けがいいな思っていたら、すぐに「じゃあこっちの魔法術式を精霊魔法に移し替えたらよくない?」などと軽率に、首をこてんと横に倒しながら言う。
魔力と魔法への適性がザコの村人である私には全く理解の及ばないことだが、どうやらこれも大変非常識な話だったようだ。
そのためにメガネは、「体系の異なる魔法に互換性はない。魔法術式を移し替えるなど不可能。やるな。やめろ。事故でも起こったらどうする!」――と、族長を訪ねてきた客がなんかやり始めたと聞き付け集まった、湖水の村の呪術師たちからよってたかって割とまともな批判をわあわあ浴びていた。
確かに、不可能だっつってるものをムリに試して事故でもあったらどうすんだって気持ちも解る。そらやめろってなりますわ。
だからこの場合どっちかと言うと多分メガネが悪いって感じがするのだが、奴は基本人の話を聞いてない。よく考えたら聞き分けなんかあるはずがなかった。
それでいつも通りにガン見を駆使して「何かできた」と普通に魔法術式を砂漠の精霊魔法に移し替えて書き上げて、さんざん止めようとしていた呪術師たちから「ちょっとはためらう素振りくらいしろよ」と若干泣きながらキレられたりしていた。メガネが悪い。
村の呪術師はどうかしてると言い続けていたが、精霊魔法に対応した術式そのものはちゃんとできていたようだ。いつまでも苦い顔でぷりぷりとなに一つ納得してない呪術師たちも術式の図形と書きかたを学び、これから順次、砂漠に散らばるハイスヴュステの村々に魔道具を設置して行くと言う。
こうして、まあまあ強引に話を運んだ部分もあるが、湖水の村を訪れた当初の目的は達成された。若君も我々もニッコリである。
我々や我々の素行を心配して付いてきてくれたシピやミスカが若君に捕まり、「なんなんだあいつらは」と割とガチめに問い詰められたりしていたが、用件は大体ちゃんと片付いたので文句などないのだ。全然誰もびっくりするほど釈然とはしてないが。




