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539 闇夜に溶ける

 湖水の村の若君が我々のため用意してくれた客室に、まるで闇夜に溶けるみたいにひっそり現れた男は言った。

「つらいっす」

 そうだね。隠密だね。

 彼らの口調はどうしてか、我々に初期装備されている音声自動翻訳でどこかの体育会系っぽく聞こえてしまう。かわいそう。そのせいで勝手に正体が解ってしまう。ホントかわいそう。

 しかもこの、砂漠の民の湖水の村で再会してしまった隠密は最初に会った環境が隠匿魔法を無効にしてしまっていたために、めちゃくちゃ普通に顔まで解る。

 なんかそれ、隠密的に大丈夫なのかなと思わなくもなかったのだが、案の定全然大丈夫ではなかった。

 隠密はここまできたらもう知るかとばかりに、シピとミスカとネコたちとは別に用意されている我々だけの客室で、勝手に長椅子に陣取ってサイドテーブルに盛り付けられたフルーツをもりもりかじりながら言う。

「冗談じゃないっすよ……。自分、姐さん達に顔知られたじゃないっすか? それで国外出張が多いって理由で今の仕事回されたんす。わざわざっすよ。それがまさか、よりにもよってここで会うとは……」

「我々のせいだったか……」

 我々に正体が知られてしまうと隠密の仕事に支障が出る、みたいな感じはなんとなく解る。隠密なので。

 ほぼほぼ自動翻訳が勝手にしていることなので別に我々も悪気はないのだが、その結果としてあのパワハラムーブの止まらない商人にぴったり密着し行動を監視する仕事を招いたかと思うと、それはさあ……。

「ええ……ごめん」

「内偵対象の旦那が厄介できっついっす」

「ごめんて……」

 長椅子に浅く腰掛けてかじり掛けのフルーツ越しに足元の、床を見ているようでいて隠密の瞳はその実なにも映していないかに思われる。

 うつろって言うの? ものすごく暗い目をしているの。ええー……。

 やっぱそうか。厄介だよな。解るよ。なんかずっと怒ってるもんな、あの雇い主。やだよね。解る……。

 しかもあれだろ。隠密として潜入してるから、勝手にはやめられない感じだろ……。

 私やメガネもさすがに若干、ほんのちょっぴりの責任を感じ、ごめんごめんと言いながら隠密の前に疲れにいいお茶やめずらしいお菓子なんかをそっとお供えのようにどんどんと置いた。

 最近うっすら気が付いてしまったのだが、どうやら我々はなんらかの過失を人に詫びる時、カロリーでどうにかしようとする傾向がある。しょうがないですね。人間、なにをするにもカロリーが必要になりますからね。自明の理。生命の摂理。

 そうやってものすごく暗い目をした隠密にとにかく食えよとカロリーをぐいぐい押し付けながら、たもっちゃんが問う。

「でもさ、大丈夫なの? ここにいて。内偵先の雇い主に怪しまれたりしない?」

 これはつまりあの怒れるパワハラ商人のことだが、確かに旅先で急に部下の姿が見えなくなったらさすがになにかあったと思うかも知れない。

 しかし、隠密はそうはならないと首を振る。

「宿から放り出したの、あの旦那っすからね。商談が全然進まなかったんで、若君の弱みでもつかむまで戻っちゃいけないらしいっす。それもあって、しょうがないんで忍び込んでみたんっすけど」

「普通の商人は族長の家に忍び込まないと思うんだわあ……」

 隠密の仮の立ち位置としては商人って言うか、その部下なのかも知れないが。どっちにしても、えらい人の家に忍び込むのは業務外だと思うわあ。

 そしてやっぱり商談はダメか。若君、なぜかクモには強火だもんな。愛情が。売らんわな。

 どちらも譲る気がないのなら、交渉以前にどこまでも平行線やろなみたいな所感しかない。

 だが、そもそも、商人もなんでそこまでこだわって湖水の村のクモを欲しがっているのだろうか。

 いや、夕食の席で若君に彼らが騎馬として育て上げたクモがどれだけ有能で愛すべきものかさんざん自慢されている。だから、なんかすごいのは解る。

 でも、クモはクモじゃない? 我々はやたらと軍曹を敬愛してしまうが、万人受けはしないと思うの。

 それともあれか。そこがいいのか。

 地球でもわざわざペットにクモを飼う人もいるのだし、どうしても軍曹を養いたいみたいな性癖があっても不思議ではない。

「なるほどね」

「いや、なるほどじゃないっすね……性癖ってなんすか……」

 私なりに名推理を発揮して、一人で納得してうなずいてたら全部口から出ていたようだ。

 隠密を筆頭になんか男子たちが引いてたし、隠密へのカロリーついでに夜食のおやつを確保していたレイニーがじゅげむの耳をぎゅっとふさいでいるのが見られる。年齢に配慮した保護である。すまんな。なお、夜食については金ちゃんもしっかりせしめているので心配はいらない。なんの心配かは知らないが。

 一方でフェネさんは保護が間に合わなかったらしく、テオに向かって純真に「ねー! せいへきって?」とはきはき問い掛けていた。

 まあそれはテオがかわいそうなだけなのでいいのだが、隠密は私の推理に全然違うと首を振ってダメ出しをした。

 そうして語るところによると、例の商人がこの村のクモにこだわっているのはとある貴族に命じられた仕事だから、とのことだ。

「それもブルーメの貴族っすけど、このところ兵や武器を集めてるって噂の家で。反乱の恐れもあるってんで、内偵してたんす。で、その手足となって動いてるのがあの商人なんすね」

「やべえじゃん」

 本人もやべえけどその後ろにいるのがもっとやべえ感じじゃん。

「えっ、商人て反乱に加担したりすんの? やべえじゃん。マジやべえじゃん」

 思わず私は取り乱し語彙がバグってしまったし、たもっちゃんやテオも長椅子から身を乗り出すようにして「ええー」とばかりに食い付いている。

 しかしまあまあ不穏な話を持ち出した、張本人の隠密はあっさりと言う。

「貴族に取り入れば儲けもでかいすからね」

「お金って、強いね……」

 しかしそれはなんかこう、うまく言えないが、こう……なにかが致命的にいけないのではないか。人として。

 たもっちゃんと私はそんな感じでざわつくが、話はまだ終わっていなかった。

「最初は、あの旦那も貴族に取り入るのが目的だったみたいっす。でも段々と取り引きがきな臭くなって、もう間違いなく抜けるに抜けられない段階になってるんっすね。客が何を考えてるか、商人は求められた商品で解るんす。貴族のほうも、商人に気取られてるの承知の上で歯牙にも掛けてない。邪魔になったら消せばいいと思ってるからっす。今さら抜けようとしても、仕事を失敗しても、結果は同じっす。旦那もそれが解ってるから、この仕事は必ずやり遂げなくちゃいけなくて神経尖らせてるのもあるんっす」

 隠密は、だから商人も必死だし、絶対に引けないのだと淡々と語った。

 今度は先ほどの隠密に負けず、我々がうつろな瞳で床を見詰める番である。

「俺、その話聞きたくなかったわぁ……」

「たもっちゃん、奇遇だね。私も。私も、あのパワハラ親父が自分もパワハラの被害受けてて進退きわまってるとか知りたくなかった……」

「解る……悪い奴だと思ってたら事情があって追い詰められてただけってあとから解るのほんとに困る……いや、元々がめついとこに付け込まれた可能性もワンチャンある?」

「なんなの? パワハラって伝染するの? 三連鎖したら天罰くだるとかないの? この世に神はどこにもいないの?」

「いや、その場合はパワハラ消さないと連鎖にはならないんじゃない?」

 そう言うたらせやな。

 たもっちゃんの指摘に私は妙に納得し、上から無限に落ちてくる色違いのグミ的なものをうまいこと消して行くゲーム画面を思い浮かべた。ほんまや。

 解りにくいかも知れないが我々も我々なりにパワハラの連鎖マジやべえじゃんと暗澹として、しかしぼそぼそ感想を言い合う内に話題が荒ぶり好き放題に脱線してしまう。よく解らないけどいつもそう。不思議。

 その間にレイニーと金ちゃんは確保したおやつをじゅげむにも分け、もう寝るところだったのにこんな時間におやつ食べていいのかなと子供をドキドキさせていた。そして自分らはもくもくと一心に夜食を消して行く。その近くでは我々のぼそぼそとした会話の中に「神」のワードを発見したフェネさんが、当然のように占拠したテオのお膝をてしてし小さな前足で叩き、「ねー。ねー、我? 我のこと? 呼んだ? 呼んだでしょ?」と、くりくりのおめめをぴかぴか光らせ、おっきな耳をピンと立てて張り切って、神ならここにいますけどと一生懸命にアピールしていた。

 もうねー、混沌。

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