532 「まあいいか」
私は普通に会話する小さなキツネのフェネさんと砂漠の民たるシピの姿をちょっと後ろのほうから眺め、気が付いてしまった。
フェネさんが人語を解するために言葉をあやつる知性と力を身に着けた魔獣、ではなくて、普通に獣族の子供と思われてる疑いに。
だとしたら、人として。
我々が、尊厳と言うか倫理を踏みにじり、獣族の子供を素っ裸で連れ回してるヤベエ奴だと思われてないか急にものすごく心配だ。
金ちゃんが色あざやかなフルーツを積み上げ商売していた屋台を襲い、自分の肩に乗っかったじゅげむに「ほれ」と与えて自らも手にした果実にかぶり付く。私はあわてて代金を支払うメガネに多めに買わせた謎フルーツを両手に抱え、財布をしまうすきも与えず理不尽な出費に嘆くメガネに体当たりした。
いや、手がフルーツでふさがっていたので。
「たっ……たもっ、たもっちゃん! 大変だよ! 今さらなんだけど、今さらなんだけどさ、フェネさんになんか洋服とか着せない? チョッキとか。ローバストでクマとかが着てるようなやつ。あーゆーの、着せない?」
私にどーんとぶつかられ、どーんと転び掛けたメガネは「えぇ……」と若干引きながら、それでもあわあわ要領を得ない私の、後ろめたさでひそひそと自然と小声になった懸念をどうにか聞き取り一応なにが心配なのかは理解してくれたようだった。
その上で。
「いや、だとしてもさ、獣族の子供はそもそも何も着てないじゃん。毛皮そのままじゃん。なぜか服的なもの着てるの、大人ばっかりじゃない?」
と、なんとなくドライな感じで言った。
「あっ」
そう言われるとそうだったかも知れん。
まあそれでも下半身はノーガードだから、どう言うことなのか解んないのは解るよ、と。
たもっちゃんが変なフォローをはさみ込むのを聞きながら自分の記憶を掘り返してみると、確かに獣族の子供は全般的に最初から服着てなかった気がする。それにクマのチョッキがあったとしても、隠せるのは上半身の限られたせまい範囲だけのことだ。
でも、獣族的にはそれでオッケーなのだろう。持ち前の毛皮もあることですし。
毛皮のない種族もいるのはいるが、砂漠の都市のシュピレンで出会った頭だけなぜかモヒカンのハダカネズミやゼルマの部下のリザードマンは下半身までしっかりガードするタイプの服を身に着けていた気がする。やはり、その辺は種族や毛皮の有無で対応が変わってくるのかも知れない。
「そっかあ」
大丈夫なのかあ。
私はフェネさんにはゴージャスな毛があるからセーフだと安心するのと同時に、なんか無意味にあわてちゃったなとしょんぼりとした気持ちだ。
そのすぐ隣を歩きつつ「いや俺もアルットゥとかにフェネさん紹介するの忘れてたわぁ」と今やっと思い出した感じのメガネと共に謎のフルーツにじゅくじゅくと噛み付き、「やっちゃたね」と反省し、でも受け入れてもらえるならなんかもうこれはこれでいいのではないかとよからぬ感じでじわじわ意見を合わせるなどしてうなずき合った。
反省ってね。まあいいかってなっちゃうと続かないよね。
そうして、本人の知らないところで「まあいいか」とされた水源の村の一員の、シピの案内で湖水の村の奥、白く巨大な岩盤の広いひさしに守られた集落の中心部へとたどり着く。
それは岩盤の屋根と大きな湖の間のえぐれたような、閉じ切らないトンネルのような空間で、湖水の村の住人は大波めいたその壁面に箱型の小さな家をぽこぽこ貼り付け暮らしているようだった。
屋根を持った岩盤の壁に砂岩のブロックを積み上げたみたいな集落の、わずかながら平たい地面の広がる場所に一つだけ特に大きな建物がある。
この集落ではめずらしく立派な門扉を持っていて、基本はほかの家々と同じくブロック状の、しかしそのブロックをいくつもいくつも組み合わせた大きなお屋敷だ。
ざらりと砂岩めいた外壁はやはり他の家と同じだが、けれどもよくよく見てみればその表面は凝ったレリーフで飾られている。富をね。感じるよね。富と権力を。
シピはその屋敷の前で足を止め、我々のほうを振り返り言う。
「湖水の族長に挨拶をしてくる。会えるかどうかも聞いてみるから、少し待っていてくれるか」
「あ、はい」
どう考えても我々の用事に付き合ってきてくれているだけなのに、率先して雑務を引き受けてくれるこの感じ。知らない人の家をどう訪ねたらいいか解らない我々の脆弱性を解っているとしか思えない。助かる……。
我々はよぼよぼしながらに、ありがとねえとお礼の声を何度も掛けて、あいつはあいつで湖水の村のえらい人には会うの気が進まないんだろうなと伝わるような、どことなくしょぼしょぼとしたシピの背中を見送った。
なんだっけ。ハイスヴュステのえらい人が集まる席で若君につかみ掛かって絡んだんだっけ。それ絶対気まずいな。
なのに多分その若君がいる族長の家っぽいとこに、代表して挨拶に行ってくれている。えらい……。
戻ってきたら体にいいお茶とおやつを出していたわってあげよう。
そんなことを内心で思い、でも思うだけなので実際は全部シピに丸投げしつつ、我々はシピのネコを預かって一緒に門の前に残ったミスカと一緒にその辺でぼーっと立って帰りを待った。
余分に買ったフルーツをヒマを持て余した金ちゃんに奪われ、または自分でもじゅくじゅくかぶり付こうとしていると、待つ、と言うほどの時間も経たずシピが戻った。
「お前たちの話をしたら、若君が会うと。ただほかの予定もあるから、ひとまず中へとのことだ。どうする?」
「そりゃ待つけども。えー、若君って忙しいんだね。急にきて悪かったかな」
じゃーそうさせてもらおっか。と、こちらの顔を見回しながらにメガネが気を使うようなことを言う。
しかしそれを聞いたミスカがほとんど食べ終えたフルーツの、指につまんだ切れ端を名残りおしげに見詰めながらに口をはさんだ。
「いえ、暇でしょう。若君は。大体確実に暇にしています。湖水の村の若君ですので。しかし身分の高い者が下の者を待たせるのは慣例と言いますか、忙しい中わざわざ時間を作って会ってやると示す意図がありますね。だから暇にしていても来客を待たせ、どちらの立場が上かを明確にした上で話を有利に持って行く一種の手管で――」
「あっ、リコ。大変だ。さっき買った果物、このショッキングピンクのやつ。ちょっと発酵してなぜかアルコール出ちゃってる」
「マジか。またかよミスカ。酔ってんの? この止まらない感じ、酔ってんの? だからアルコールには気を付けろとあれほど……。えっ、じゅげむも食べちゃった?」
金ちゃんから分け与えられたフルーツを子供も食べてた気がすると、あわててそちらを見上げると謎革の帽子とマントに身を包み金ちゃんに肩車されているじゅげむは、ふるふると帽子の下で首を振る。
「ぼくはみどりのしましまの」
「あ、それは私も食べたわ」
私も酒類は得意ではなくて判定が厳しいほうではあるのだが、全然気にならなかったから多分それは大丈夫なやつだわ。
やだー、なにー? 砂漠のフルーツって色によって罠とかあんの? やだー、困るう。
とか言って、なんとなくふわふわいい気分って感じでぐらんぐらんふら付いて見えなくもない金ちゃんの肩からじゅげむを回収し、テオがナイフで切り分けたフルーツをあーんと食べさせてもらってたフェネさんが「つまぁ、我ちょっと酔っちゃったかもぉ」と特には普段と変わらない様子でがっしり広い妻の肩にべたりと貼り付き甘えているのを「はいはい」と優しく見守って、静かに酔っているミスカを引きずり湖水の村の族長宅でひとまず休ませてもらうことにした。
多分だが、そうして最初にわちゃわちゃしていたせいだろう。
族長宅の広く豪華な応接間に通された我々は、特に緊張するすきもなくなんだかだらだらとくつろいでしまった。
こちらは酔っ払いを二人もかかえているのだ。金ちゃんを含めて。もうやってられないみたいな気持ちも正直だいぶん持っている。
ただ我々のだらけた感じはそれだけが理由ではなくて、今回どうして湖水の村にふんわり呼ばれたのか解らなすぎて事前にメガネがガン見して、どうやら前にネコのいる深淵の村でマジ水汲み大変じゃんとなった我々の、特に軽率さとムダな応用力だけはあるメガネが谷底の水を簡単に呼び出す魔道具を設置。その件がほかの村にも伝わって、それらの村を取りまとめる立場である湖水の村の族長に、うちにも欲しい。なんとかならないかと要望が多く集まって、それで湖水の村でも無視できず、一応話だけはしてみるからと村々の長をなだめている状態のようだと知っていた。
このためホントに話があるだけなんだなと我々も、油断と言うか、変な余裕が出てしまい人様の家でのんびりだらだらしてしまっててネタバレってマジでよくないなと思った。




