525 モテたい
我々には目的があった。
それはクレブリでパン屋をこころざす少年、口と態度の悪いエルンがふかふかのパンを焼きたくて言われた通りにしてるのになぜかこの世に生み出した不本意なるフランスパン的なものに感銘を受けたメガネが、本人のこれじゃない感じをほっといてフランスパンの完成度を高めるために地元のドワーフに発注し開発したハンドル式の霧吹きを小型化、そしてそれに合わせたおしゃれなビンを手に入れて、化粧水を充填ののちお中元として主にご婦人などに配り歩いて一瞬でいいからモテたい。と言う、割と下心しかない目的が。
「俺もね、聞いて。俺だってモテたいんですよ公爵さん。解ります? いっつもね、リコばっか。そりゃお中元とかお歳暮とかに配ってるの大体リコの強靭保湿シリーズだからリコがちやほやされるのも解るんですよ。その時だけ。その時だけですけど。でもねー、俺だってねー、たまにはちやほやされたいって言うかー」
「たもっちゃん、その時だけってやたらと強調してくんのやめて」
「意外だなぁ……。私、タモツはエルフにしか興味がないのかと思っていたよ」
モテたいメガネの切々――と言うにはめんどくささが強すぎる主張に、さり気なく混入された自分へのディスりを察知する私。
続いて、ものすごくどうでもよさそうな、当たり障りないコメントをよせるのはアーダルベルト公爵だった。
この豪華に整えられた公爵家の居間で、ゆったりとソファに腰掛けた屋敷の主人。きらきらしきその人は、王都の門から街へと入り、かと言って馬車や歩きではなくその辺の適当なドアからスキルを使って屋敷へと急にわいわい押し掛けてきた我々を「あぁ、うん」と慣れた感じで迎えてくれた。
薄々そうかなと思っていたが、いつもご迷惑お掛けしています。
それでまずは近況と言うか、ふええと公爵に相談したもののそんなに差し迫った危機でもないとの判断でたまには自分たちでなんとかしてみなさいと言われてしまった砂漠の街のシュピレンの、ブーゼ一家に吹っ掛けられた借金の件がどうなったかなどをつらつら話して聞いてもらったりしていたのだ。
ブーゼ一家に対しては借金ではないものの結局は塩の納品が続くと言うことで、無事に終えたテオの件とは別枠で契約が新しくなるのならクレブリの塩組合にはちゃんと話を通したほうがいいね。と、公爵から色々と利権に配慮したアドバイスをもらい、なにも考えてなかった我々は自分たちに足りないのはこう言う広めの視野だなと妙にじっくり納得させられた。
異世界の常識人たるテオならこれに近いものがなくもないのだが、最近は自分もど真ん中に巻き込まれていることが多くてどうしてもいつも手一杯みたいな印象がある。我々も、できればもうちょっと自分でしっかりするなどして行きたい。
と、まあそんな感じで借金については、メガネにあつくわっしょいと恩義を感じる人々のお陰で搾取ではなく正式な依頼になりそうなこと。
あとは、なぜか砂漠の民の湖水の村からふわっと呼ばれてるのがちょっとだけ気になっていること――を、ただの事実ではあるのだが、うっかり軽く言ってしまって公爵に「えぇ……」と戸惑いの声を上げさせたのが割とついさっきのことである。ええ……。
それ早く行ったほうがいいんじゃないのと引き気味に言う公爵に、いや違うんす。ほら、渡ノ月くるし。それに王都で用事もしたいこともあったしと、まあまあ必死で言い訳する流れで霧吹きとビンとお中元の話になって、たもっちゃんの内心でくすぶっていたらしい嫉妬と欲望がぼろぼろと全部流出してしまって現在にいたる。
我々の話を聞きながら公爵はもうずっと引き気味になっているのだが、しかし本心を見せない貴族的ながんばりを発揮し「そっかぁ」となんかすごく遠い目をしていた。
遊びにきたばっかりなのにすでに我々の相手に疲れている公爵のフォローは砂漠でむしった小さな花を新鮮な状態でアイテムボックスに預かっていたものをもじもじしつつも「げんきだして」とお渡ししている公爵担当のじゅげむに任せ、たもっちゃんと私は普段からお手数とご迷惑をお掛けしている関係各所への時節のご挨拶をして一瞬ちやほやされんがためにお中元の準備に全力を尽くした。
と言っても、私にできるお仕事は魔族らの花壇ピラミッドで収獲してきたスゲーヘチマの種をふやかしヒマさえあればむやみにまぜて、夏用の強靭な保湿ジェルを量産することくらいだ。
これをさらに薄めると、霧吹きに詰める化粧水にもなると言う。えらい。ヘチマ。お前はえらい。
そうしてこちらが公爵家のメイドさんたちのやたらと熱心なサポートを受けてヘチマジェルの培養作業に没頭する一方、その、今年の新作お中元の目玉。
コスメティック用品としてのおしゃれ小型霧吹きの製作については、たもっちゃんがクレブリでドワーフに発注して作ったハンドル式の霧吹きとこれから作りたい小型霧吹きの設計図をペーガー商会に持ち込んでいる。
うん、そうだね。「これ、多分売れるよ」と、王都を生き抜く商人たちの弱そうなところをストレートにつついて細かい仕事を丸投げしたんだね。
こんな時だけいいように使われる商人の気持ちはいかばかりか。みたいなことを思わなくもないのだが、これは無用の心配だった。
ご婦人が手に取るたびにときめくような、そこに置いてあるだけで気分が華やぐようなやつがいい。と言う、公爵家でせっせとヘチマの種をふやかしたり、その合間にはむしってそのままにしていた草のお茶にできるものはざっくり束ねて一回蒸して公爵家の敷地の中を草のにおいでいっぱいにしながらどんどん干して夏の日差しでからりと仕上げる私からの、概念しかない要望をメガネ経由で押し付けられたペーガー商会のしっかり者の長男と遊び人風の次男が、それはそれは必死をこいて小型霧吹きの試作を重ねてときめきのデザイン案を掛けずり回ってまとめてくれたとのことだ。
まあまあの利益が見込めるとなった時、商人は逆に心配になるくらいやたらとがんばると言うことがよく解る。
ペーガー商会ではパンを大量に焼くためのオーブンも少しずつ業績を伸ばしているそうで、もはやうっすらとしか覚えてないがそれより前に遊び人のおもむきながらに意外と家業を大事にしている初対面のフーゴを食い付かせた安全ピンの売れ行きもなかなか好調であるらしい。
やはり貴婦人のドレスを針で着付けるのはそれなりのリスクがあったのだろう。知らんけど。その点、安全ピンなら安全なのだ。名前にも安全と付いてるほどですし。
私は関知してなかったがその辺の技術使用料もほかのものと同様に、売り上げに合わせて我々の口座に次々と振り込まれていると言う。
「ありがたい。豪遊しよう。経済を回そう」
ちなみにこれは、小型霧吹きの開発進捗を聞かされるついでに金なら割とあると知った私の間髪入れぬ第一声である。だってお金あるって言うから……。
日々せっせと草をむしってちまちまと日銭を稼いでいる人間が急に、まとまったお金の存在を感じると浮かれてしまう。仕方ない。
たもっちゃんはこの即物的な手の平返しに「貯蓄と言う発想すらないの逆に頼もしいな」と変なほめかたをした。もしかしたら別にほめてはないのかも知れない。
まあそんな、前後不覚の浮かれ具合も、実にはかなくほんの一瞬のことだった。
霧吹きとしての機能、そしてときめきと華やぎに全振りしたデザイン。
そのどちらにもこだわって、お中元に用意した小型霧吹きの製作コストがえらいことになっていたからだ。
支払いの額を知り、私のか弱い魂が一回消し飛んでしまったほどに。
入ってきたと思ったらすぐに出て行くお金ってなんなの? 実家に帰った時のテオみたいじゃない? やだあ……。
想定外にコストがかさんだ理由としては、この世界では高級な透明な素材を使ったボトル部分を王都でも名の通った一流のガラス細工を扱う店に外注したと言うことがある。
できあがった霧吹きはもしかしたら王城に献上することになるかも知れん、と言うことをうっすら伝え聞いたペーガー商会の兄弟がそろってびびり散らかしたあげく堅実な手法を取ったのだ。
まあ、それも仕方ないのかも知れない。だって王族ってなんかこう、死ぬほどえらい訳ですし。我々にはピンとこないってだけで。
また、外注先である一流ガラス細工の店は以前私が魔族たちへのおみやげに小さな置き物を泣きながら買った王都でも指折りの高級店だそうだ。
そう聞くとこのお値段も納得みたいな気持ちになるし、さすがに仕上がりも最高で、なんかもうぴっかぴかの夢みたいですらある。
ペーガー商会としてもこの製品は積極的に売りに出したいと言うので、たもっちゃんが独占契約を交わした代わりに請求書にはこれでもいくらか手心が加えられているらしい。
ときめきって安くはないなと思ったが、もう逆に訳解んなくなってるし、これで今年もご婦人たちモテるなら、まあ。




