520 ごうごうと強火で
昨日の不公正な取り引き、もっと言うと誤った情報操作で冷静さをかなぐり捨てたメガネに対し、作為的に借金を背負わせた……と思われる、世が世ならなんらかの法令にゴリゴリと抵触しそうな一件について。
その黒幕であるラスはどうやら、とある筋からそりゃねえんじゃねえのと念入りに苦言をていされていたらしい。
「全く、こんな酷ぇ話はねぇよ」
短く刈った赤茶のまざる白い頭を横に振り、腹立たしげに吐き捨てるのは膝から下に棒の義足を取り付けた砂漠の街の老いた猟師だ。
「大恩人によ、あんまりじゃねぇか。えぇ? ラスの旦那」
よく日に焼けたその顔を義足の老爺がぐいっと近付け迫るのは、めずらしく本心を隠そうともせず、見るからにうんざりしているラスの眼前だ。
彼らはちょうど、ブーゼ一家の本部の屋敷で我々の話をしていたようだ。いや、話って言うか、文句って言うか。
そう広くもない室内にぎっちぎちに集まって、ラスを取り囲むようにしてくどくどと苦情を浴びせているのはフェアベルゲンの猟師や異世界タコ焼き屋たちである。
どうも昨日の一件を知って、恩義あるメガネのためにわっしょいと集まり強く抗議してくれていたらしい。
我々はそこへのんびりのそのそと現れた訳だが、理不尽な借金を背負わされた我々の姿を実際に見て、改めて老爺の感情と不満が燃え上がってしまった。
きっとそのせいなのだろう。
「二年前のフェアベルゲンだってよ、はした金で買い取って、うまいこと売り捌いたってぇじゃないか。白旗焼きだってどうだい。今じゃブーゼ一家の立派なシノギだ。このお人らぁ、もう充分に一家の稼ぎを作ってくれたんじゃないのかい。それをよぉ」
礼をするでもなく、恩に着るでもなく、しぼり取れるだけしぼり取ろうってのか。どう言う了見だ。道理や情が足りねえんじゃないのかい。
――と、言うような話を、我々が到着してから聞いているだけでももう同じ感じで三周くらいしている。
ある程度年齢を重ねたシニアのお話ってね、なぜか同じところをぐるぐるしちゃうよね。わかる。
そのせいでラスの忍耐力が試されているが、我々が到着するまでにも何周かしてたらしいので調子の悪いレコードよりも同じフレーズがくり返されている可能性が高い。
老いた猟師がブーゼ一家の幹部たるラスにがぶがぶ噛み付いて、そうして懸命に怒ってくれているのは間違いなくメガネのためだった。
たもっちゃんは以前、シュピレンにタコ焼きの屋台文化を持ち込んで、ケガなどで失職したフェアベルゲンの元猟師らに新しい仕事を発生させている。
完全になりゆきでしかないのだが、そのことを彼らは今も変わらぬ温度で恩義に感じているようなのだ。
そんな理由で憐れなるカモである我々のため、主にうかつすぎるメガネのために、猟師たちの代表としてごうごうと強火でエキサイトしている老爺。
その様に、たもっちゃんと私は逆に凪いだ気持ちで思う。
「俺、借金ってできたらもうしょうがないのかと思ってたけど、もっと抵抗してもよかったんだなぁ」
なんかね、借金って言ってもね、返済はお金じゃなくて塩じゃない? そのせいでなんとなく、まあまあまあ、現物ならまだ多少はね? みたいな気持ちがちょっとだけあって、のんびりしてしまったところはあった。
いやだってほら、塩だし。
しかしこうして自分たちの代わりに自分たちより怒ってくれてる人たちを見ると、我々は借金と言う概念をもっと真摯に受け止めるべきだったのかも知れない。
今さらすぎるそんな感想をぼんやり述べるメガネの横で、私は私で借金とは別の部分にそわそわとしていた。
「ねえ、シノギって言っちゃってるね。シノギってなんか物騒じゃない? いや、うっかり巻いちゃったフェアベルゲンはともかくとしてだよ。白旗焼き。大丈夫かな」
なんかさあ、社会に反する勢力感あふれるブーゼ一家の資金源になってるとしたらさあ。イモヅル式に我々まで検挙されちゃわないかなあ。心配だなあ。
少し考えれば解ることではあるのだが、この砂漠の都市のシュピレンはそもそもが永遠の反抗期みたいな組織によって成り立っている。
なので恐らく検挙もなにもあったもんじゃないが、ただなんか、ふと心配になっちゃうことってあるじゃない? 今とか。
やだあ、こわあい。
とか言って、私はふわっふわの漠然とした不安におののいてしまった。
ただ、逆に言えばそれだけだ。
やはり我々はどこまで行ってものんびりしすぎているのだと思う。
たもっちゃんがうっすらこぼしていたように、我々はもっと借金の恐ろしさと言うものを真剣に考えるべきだったのではないのか。
そしてもっと必死になって、ラスの黒い陰謀と戦うべき状況にあったのかも知れない。勝てるかどうかは別にして。
いや、今でこそラスの暗黒微笑にも若干の疲れが見られるものの、これは老いた猟師がぷりぷり怒って同じ話をエンドレスで浴びせ掛けた成果だ。
新しく悪巧みを思い付き、しかもうまく行きそうだとの確信につやつやと充実していた昨日のラスにはどうやっても歯が立たなかった可能性も高い。無力ですよ私は。
でもほら。意欲って言うかね。姿勢って言うか。せめてね、抵抗の意志だけでも見せておくべきだったのではないかなって。
さすがの私もね、ラスに文句を浴びせる集会にフェアベルゲンの猟師らにまぎれて最初から参加していたと思われる、異世界のタコ焼きたる白旗焼きが絵柄になったTシャツをユニフォームのように仕方なく着せられた聖人属性の元ホームレスのヨアヒムが、シュピレン通貨のやり取りに使う魔道具を「これ、借金返済の足しに……」と、両手でおずおず差し出して、恐らくせっせと働く屋台の稼ぎでコツコツ貯めたなけなしのお金をメガネに全部渡そうとしているのを見た時に思いましたね。じわじわと。
ええ……? そんな? そんなに……?
どう見ても人がよすぎて困ってる仲間とか付き合いのために散財し自分の貯金とかできないタイプのヨアヒムの、大事なお金を受け取ると思われるくらいにまずいの? 今の我々は。ええー……。
本当に今さらの気付きではあるのだが、私がふわっと思っていたよりも状況はずっと悪かったのだろうか。
そしてそんなにまずいのに常識のズレによってどこまでもふわっふわしてる我々に、老いた猟師やヨアヒムたちに余計な心配をさせてしまっていたのか。
さすがにこれは申し訳なかったし、借金がやべえのは多分異世界に限ったことではないので我々の常識がアレなのは元々だった可能性に変な恐怖心を感じるなどしている。
まあ、それで。
今回の件は結局、ラスがしぶしぶ折れることになった。
砂漠の中の離島のようなシュピレンの、貴重かつ不可欠な資源であるフェアベルゲンを狩ってくる大事なお仕事をしている猟師らや、現在は街のあちらこちらで小金を稼ぐ白旗焼きの屋台を運営する組合が集まり善意と義憤にごうごう燃えて激しい抗議をしてくれたことで、ブーゼ一家の幹部としてもその意向を黙殺できなかったようだ。
一家のシノギに直結している組合の底力って気もするが、民意がスーパーヤンキーの理不尽に打ち勝った格好である。ありがてえ。
こうして、ラスはしぶっしぶメガネにかぶせた借金の返済を無期限として、その内に借用書がうっかり紛失することにしてくれた。
してくれたと言うか、そもそもなかったはずの借金なので全て消し去ってくれてもいいのだが、ブーゼ一家の体面もあって一度成立した借金をどうにかするにはこれが落としどころのようだ。
またそれはそれとして定期的な塩の入手もあきらめるつもりはないらしく、そのためラスは改めて冒険者ギルドを通して塩の調達を我々に正式に依頼すると言う。
「うーん。今さらとは思うけど、できれば最初からそうして欲しかった」
これはつい、私の口からこぼれ出たまじりっ気のない本心だ。が、ほとんどひとり言でしかないそれに、ピクリと眉を跳ね上げてラスががぶりと食い付いた。
「悪かったねぇ、欲を出して。これまで返済分として懐に入っていたものに、身銭を切るのは気に入らなくてねぇ。それに、相手は借金の返済ですら危うく忘れそうになる人間だろう? 果たして、依頼を出したところで信用できるものか解らなくてね」
前半はともかく後半は身に覚えがありすぎてめっちゃ剛速球で打ち返してくるじゃんと思ったが、抗議のためにぎゅうぎゅうと室内に詰めていた猟師や屋台のおっさんたちが「それはまあ」「うん」みたいな感じでそっと歯切れ悪くうなずいていたので、我々に対するその印象はシュピレンで共通認識になってしまっているようだ。ええ……。




